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ひできの八ヶ岳ブログ

未来に残したいリジェネラティブな社会づくりを考える

シリーズ「新しい社会の基本がわかる」について

2009年11月05日 09時14分27秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
シリーズとして、
時々、このブログに書いてきた、
「新しい社会の基本がわかる」ですが、
これまでに6項目の話を掲載してきました。

ブログの仕組みでは、
過去に書いた文章がわかりにくいので、
ちょっとここでまとめておきます。

【1】自己組織化     (シリーズその2)
    ~人間社会で自己組織化が起こる条件
               (シリーズその3)
【2】必要十分であること (シリーズその4)
    ~必要最小限のものを、必要なだけ
【3】“地域”が基本であること
                (シリーズその5)
【4】競争から協調へ   (シリーズその6)
【5】Boundary ~ ”境界”を意識する
               (シリーズその7)
【6】“繋がり”を増やす (シリーズその8)

上記の項目は、全て、地球生命系が生まれ、
それが共進化しながら続いている原理と同一です。

(シリーズその1)にも書いていますが、
最後にもうひとつ、第7項目が残っています。
第1項目から第6項目は、第2項目目をのぞいて、
主に集合としてのあり方が書かれていますが、
最後は、その構成員である「個人」についての基本です。
ここでは、人間の“全体性”についても、
触れざるを得ないかと思いますが、

これら7つの項目は、
全て揃って初めてシステムとして成立します。
この一部だけが成立するということもありませんし、
ひとつだけ欠けるということもありません。
必ず全部が同時に成立するか、しないかとなります。
これは、地球生命系が、
生きたシステム(系)として成り立っていることを意味します。
これからの社会も同様に、
個人、夫婦、家族、地区、地域、地方、国家、世界の、
それぞれのレベルでゆるやかに個に分かれていながら、
相互は密接に繋がり、依存しあい、補完しあうことによって、
全体がひとつの系として成り立つことを意味します。
そうして初めて、人間社会は地球生命系と基本を同じにする、
調和した共生社会を実現することができるのです。

これには、個人のあり方が最も肝となります。
個人の考え方、想い、話す言葉、態度、行動、意思決定の仕方など、
それぞれが、今と変わっていかなければなりません。

いずれこのテーマも、このブログにアップしたいと思います。
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【シリーズ】新しい未来の基本がわかる その8

2009年08月23日 13時58分46秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
“繋がり”を増やす

よく生物多様性が大事と言われますが、
単に種類が増えればよいと言う問題ではありません。
生物多様性の先にある、もっと大事な点は、
種と種の間で、
お互いに相互依存しあう関係が、
いかに多く築かれているかどうかです。

ある一定の大きさのコミュニティーがあったとします。
仮に、それを構成する種が少なく、
食物連鎖のようなお互いの繋がりが、
単純な集団だったとしましょう。
たとえばキツネ、ウサギ、草の種があり、
キツネはウサギを捕食し、ウサギは草を食べ、
草はキツネやウサギの排泄物を栄養にするとします。
このようなコミュニティーの場合は、
構成する種のうちの一つの個体数が少し変動しただけで、
別の種の個体数は著しく増減し、
コミュニティーはとても不安定です。
ちょっとした拍子で、
ある種が絶滅する可能性は高く、
もし絶滅した場合には、
連鎖的に他の種もすぐに絶滅します。

ちなみに食物連鎖(FOOD CHAIN)と言うと、
なんとなくそのイメージは、
A→B→C→D→E→F→G→・・・
といった直線が、
X→Y→Z→A→B→C→・・・と回帰して、
輪になった円環的な感じがします。

しかし、現実の自然界はちょっと違います。
例えば、
ライオンは百獣の王と言われますが、
他の動物を食べるばかりでなく、
死んだり、弱ったりしたときは、
必ず食べられる側にまわります。
ハイエナやワシはもちろん、
虫やバクテリアなどいろいろなものに、
食べられてしまいます。

普段でも、
ライオンの口やおなかの中や、皮膚には、
数えられないくらいの種類の細菌が住んでいます。
つまり、ライオン一頭をとっても、
お互いに持ちつ持たれつの、
また、食べたり、食べられたりの、
多様な相互依存の関係の中に存在しています。
お互いがお互いに生かされている関係です。

この地球上には、
数え切れない数の生命が住んでいますが、
それが各々に、
まさに無限に近い相互依存の繋がりを作っています。
それはもはや円環ではなく、
縦横無尽に繋がりが複雑に交錯する、
“FOOD WEB”となっているのです。

この相互依存の豊かな“繋がり”のある、
コミュニティーは、
一部の種の個体数が少々変化しようとも、
コミュニティー全体としては、
非常に安定しています。
仮に、一部の種が何かの要因で絶滅したとしても、
その“繋がり”の欠損を他の種が補うことができることから、
コミュニティーは、やや姿を変えながらも、
そのまま持続維持されていきます。
こういったコミュニティーを、
flexibility(柔軟性)
robustness(健全性)
に富んでいると言い、それらは、
健康的なコミュニティーの特徴と考えられています。

これは、地球レベルだけの話ではありません。
大陸レベルから、地域レベル、
小さな孤島や砂漠の中の小さなオアシスでも、
それぞれのレベルのコミュニティーの中に、
この相互依存の豊かな“繋がり”があり、
生命の営みが維持継続されているのです。
そしてそれは、“エコロジー”の、
最も重要な特徴の一つでもあるのです。

これは、私たちが、
幸福度が高く、質の高い社会を目指すうえで、
とても重要なヒントとなります。

現代の社会は、
インターネットや遠距離輸送の発達によって、
これまでの取引形態にとらわれない、
様々な地域、国々との売買が活発になりました。
いわゆるグローバル経済です。

しかしながら、それらは必ずしも、
相互依存の豊かな“繋がり”にはなっていません。
多くは、買った、売っただけに完結する、
“一方向的”な取引形態です。
しかも、何かあったらすぐに取引は打ち切られる、
ドライな関係でもあります。
つまり、簡単にプチプチ切れる、
距離は長いけれども、
いたって貧弱な“繋がり”なのです。

では、相互依存の豊かな“繋がり”のある社会とはどのようなものなのでしょうか。

人間が日常的に移動できる範囲、
人間の知覚の範囲、
人間同士がお互いに理解できる距離、
など、それぞれに限界があることを考えると、
それは、そう大きくない、
地域レベルのコミュニティーの中で、
基本的な生活に関わる多くを生産し、消費する、
地域循環型の経済社会を作ることと言えます。

そのためには、
生産する人も、消費する人も、
地域を意識して行動するようになることが大事です。

そうしていくと、
社会は着実に変化していきます。

まず、生産者と消費者の距離が近づくため、
お互いのニーズにあった商品が増えてきます。
農産物などは、朝採れた新鮮なものが食卓に届きます。
遠距離輸送が激減し、
環境負荷が大きく軽減されます。

食材は、地元の工場で加工され、
地元の輸送会社が商店に届け、
地元の商店がそれを販売します。
つまり、すべてに地元の人が関わることで、
地域にお金の循環が生まれ、地域が潤います。

グローバル経済の中では、
見えない海外の企業を相手に、
コスト一辺倒の競争に陥りがちでしたが、
小さな地域の中では、
皆がお互いのことを知るために、
コストのみならず、
品質や企業姿勢も重要な要素となります。
会社間では、コスト競争というよりは、
お互いが切磋琢磨してしのぎを削り、
本当に良い会社の良い商品が、
市場に多く出回るようになります。

お互いが近い関係だけに、
そう簡単に“繋がり”は切れません。
その代わり、お互いの信頼と責任が、
より一層問われ、
品質、モラルの向上につながります。

地域がより連帯してくると、
経済面だけでなく、
教育、福祉、文化などの様々な活動が生まれ、
地域が活性化され、進化していきます。

さらに地域コミュニティーが成熟してくると、
人々は、どのような人でも、
コミュニティーの中に、
自分を必要とする場所があることを知り、
何かの役に立てている喜びを感じられることでしょう。

そこに、格差などはありえません。

相互依存の豊かな“繋がり”は、
人間の本源的な愛の表現です。
コミュニティーが成熟するにつれ、
愛の表現もより光り輝いていくはずです。

一方で、
このままグローバル経済を進めていっても、
決してこのようにはなりません。
グローバル経済を進めていき、
国際分業を目指しても、
それは国家や国際機関が、
コントロールできる代物ではありません。
恐竜が巨大化しすぎてしまい、
絶滅したのと同じように、
全世界をどん底の不幸にしたあげくに、
消えていく運命をたどるのが落ちです。

一日でも早く、国をあげて舵を切り、
相互依存の豊かな“繋がり”をもった、
地域コミュニティーづくりに、
向かってほしいと願ってやみません。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その7

2009年06月30日 23時49分27秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
Boundary ~ ”境界”を意識する

“境界”(Boundary)とは、
境の向こうとこちらとでは、
世界が異なることです。
これは、自然界において、
いたるところに、
当たり前のように存在しますが、
そこには、とても重要かつ、
深遠な意味が含まれています。

例えば、私たちの身体は、
細胞壁で囲まれた、
一つ一つの細胞で出来上がっています。
細胞は、それぞれが分離し、
自律した働きをしているものの、
お互いに密接な情報交換をし合いながら、
協調した働きを行い、
それが臓器や脳、筋肉として、
非常に効率的で、
周囲の環境変化に柔軟に対応できる、
そういった身体を形成します。

もし、人間の身体が単細胞で出来上がっていたとしたら、
決してこれほどまでに、繊細な動きや、
様々な外的環境の中で生存することは、
決して出来ません。

一様だった世界に“境界”が現れ、
「個」が生まれたことは、
地球生命系にとっての大きな出発点でした。
そして、その分離した「個」は、
ただ分離している閉じられた系ではなく、
適度に外に開かれた開放系も持っています。
それぞれの「個」が、
お互いに協調的な働きをすることで、
地球は豊かな生命の世界を実現したのでした。

細胞と言うミクロな世界だけでなく、
マクロな世界でも“境界”が、
重要な役目を持っています。

日本のように、様々な山や尾根、
渓谷が複雑に入り組んでいるところでは、
そういった山や尾根、渓谷が、
“境界”の役目を果たしています。
その“境界”の向こうとこちらとでは、
様々な様相が異なることから、
そこに生息する植物や動物たちの種類にも、
違いが出てきます。

これは、野山にある岩や小川といった“境界”でも、
同じことが言えます。
こういった“境界”が野山の中に、
多数存在すればするほど、
そこの種の多様性は増大します。

多様性が増大することで、
自然環境は安定していき、
豊かな自然環境が育まれていきます。

パーマカルチャーでおなじみのスパイラルガーデンも、
基本的には同じことが言えます。
狭い空間をスパイラル上に“境界”を設けることで、
非常に効率よく多様な植物を共存させることができるのです。

一方で、砂漠や草原のような一様な世界の場合、
そこの生命の多様性は、
“境界”の多い地域に比べて著しく低くなり、
数えられるくらいの限られた種しか生存できません。

“境界”の形成(分離)という、
自然界の重要な摂理のひとつが、
“協調”というもう一つの摂理と相まって、
いかに大事な役目を担っているかが、
お分かりいただけたと思います。

これは、私たちの社会や組織にも、
全く同様のことが言えます。
特に、今日的なテーマである、
グローバリゼーションによって、
“境界”が失われ、
どこのスーパーに行っても、
同じようなものしか売っていないといった、
世界全体が一様(ノーマライゼーション)の、
方向に進んでいるのは、
誰もが感じていることでしょう。

私たちが安心で、安定した、
質の高い生活を営むためには、
ある程度の“境界”を維持した、
基本的な生活を維持でき、
自分の生活を安心して預けられる、
地域コミュニティーを形成する必要があります。

地域コミュニティーと言っても様々なレベルがあります。
集落的、或いは、都市部で言う街区のレベル、
村、或いは、都市部で言う地区のレベル、
地域レベル、県レベル、地方レベル、国レベルなどあります。

少なくとも生活していく上で基本となる、
衣食住に関わるものや福祉、
そして生活のセーフティーネットは、
比較的小さな地域のレベルとなりますし、
逆に、自動車や鉄鋼などの重厚長大なものは、
場合によっては、
国家規模のレベルかもしれません。

では一体、基本的な生活を維持できる、
その小さな地域とは、
どのくらいの大きさが理想なのでしょうか?
かつて、地域コミュニティーの研究家、
リチャード・ドゥースウェイトに聴いた時、
彼は、小さな図書館などの機能があり、
その地域の人々の基本的な生活を維持する人々、
(例えば食料品店、鍛治屋さん等)
が生計を立てられるくらいの規模で、
人口1500人程度が理想ではないかと言っていました。

私自身は、理想的な規模は、
もう少し大きいのではないかと考えています。
人口1500人規模では、
かなり質素な生活を余儀なくされます。
現在の物質的豊かさに慣れた人に、
それを要求するのは無理があります。
また、様々な面での創意工夫を進めるには、
その地域内での多様性、つまり、
地域に一店舗だけではなく、
数店舗が存在し、お互いに協力し合いながら、
切磋琢磨できることも必要です。
それを考えると、
人口5000~1万人程度の規模が適当かと考えます。

もっとも、現代の物質的な豊かさを、
失わないとするならば、
ざっくりとですが、10万人~30万人程度の、
コミュニティーが必要ではと思います。
これくらいの人が力を合わせれば、
重厚長大なものを除けば、
現代生活に必要なほとんど全てを、
自分たちで生産でき、
しかも、物を選ぶにも、
充分な選択肢があるかと思います。

ただ、あまりこの数字には、
こだわらなくて良いかと思います。
結局は、地理的条件や現在の人口に合った、
それぞれの地域で実現可能な、
地域コミュニティーを作らざるを得ないからです。
また、この“境界”は、
個々の物やサービスごとに、
その地域での自給自足できる規模が異なることから、
それぞれにその範囲の大きさが違ってきます。

これは、サービスや行政においても同じです。
その内容によって、
どの範囲で自律的なサービスや行政を、
達成できるのかを見極めたうえで、
その“境界”を決める必要があります。
従って、地域の“境界”といっても、
様々なものが同時に存在するのです。

あくまでポイントは、
先にも書いたように、
“境界”で分離した地域は、
完全に閉じられたものではなく、
適度に外に開かれます。
そして、地域同士の連携、助け合いも極めて重要となってきます。

この絶妙な美しいバランスをもった、
Boundary=境界をいかに形成していくかが、
これからの社会づくりの肝になってくるはずです。

会社などの組織作りにおいても同じことが言えます。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その6

2009年05月29日 20時26分39秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
競争から協調へ

これまでの社会では、
自然界は弱肉強食の世界であり、
生存競争が基本となっていると、
教えられてきました。

しかし、それは、
自然界の表層を見ただけであり、
奥深い、その基本となっているところが、
見えていないために、
そのような認識をしてしまっている、
のではないでしょうか。

自然界では、
お互いの協調的な関係こそが、
この壮大な自然を形作っている、
原動力であり、基盤になっています。

その基盤が成り立っている世界の中で、
満たされない環境に陥った場合に、
争いが生まれてくると考えられます。

「協調」の本質は、非常にシンプルです。

基本的に、二つの出来事で成り立っていると考えられます。

一つは、「個」が自律性を持って生きていること。
もう一つは、「個」が他に与える影響と同等に、
他からの影響を受け入れることです。

それが合わさることで、
他から受けた影響を、
自分の自律性の中で処理し、
それが再び他へ影響する、
といった一つの形式ができあがります。
これが「協調」の原型と考えられます。

このシンプルな仕組みが、
全ての生命同士の間と、
生命とその環境との間で行われています。
そして、それらが集積して、
この壮大な地球生命系“ガイア”、
を形作っていると考えられています。

その地球生命系は、
お互いがお互いに与える影響が、
壮大な規模で連鎖しているために、
決して同じ姿を留めることなく、
常に、ダイナミックに変化しています。
生命とはモノではなくプロセスだ、
と言われるのも、この点に因ります。

さて、
いま世界各地で、
大量生産、大量消費を行う社会の構造や、
自然との共生よりも、
会社の利益や個人の利益を優先する、
経済活動に対して、

安全な食の生産や流通の構築や、
地域を中心とした自律的なコミュニティーづくり、
或いは、誰もが安心して生活できる社会づくりや、
健全な自然環境を復活させる活動などが、
10年前に比べて、
一気に盛んになってきました。

そういった活動は、
これまではオルターナティブと言われ、
ちょっと肩身の狭い思いをしてきました。

そのオルターナティブの最も顕著な特徴は、
自然と人間、或いは、人間同士の
「協調」を基本としていることです。

そういった活動では、
お互いが結びつき、
他者同士でも助け合い、
お互いを補完しあうことで、
これまでになかった、
新しいメリットを生み出しています。

そこに「競争」という概念が入り込む余地は、
ほとんどありません。

「競争」というより、
お互いが協力し合いながら、
より高い質を磨く「切磋琢磨」が、
品質などを高める原動力となるでしょう。

さて、ここで、
ひとつだけ注意すべきことがあります。
一般に「競争」の反対が「協調」と思われがちですが、
必ずしもそうではありません。

先ほどの、相手を「受け入れる」ことの、
度合いを軸に考えてみると分かりやすいと思います。

「相手を全く受け入れない」状態は自己中心です。
他者の「無視」や他者との「競争」がそうです。
「無視」は、相手に対して何もしません。一方、
積極的に相手を打ち負かそうとする行為を伴うのが、
「競争」です。

その逆に、「相手を完全に受け入れる」行為の代表というと、
それは「服従」です。
完全に自分を殺して、
他者を受け入れてあげることです。
つまり、完全に利他的な行為です。

すると、「協調」は一体どこに位置するのでしょうか。

「協調」は、その利己と利他の中間点にあると考えられます。
自己を大事にしながらも、他も大事にすること。
自分勝手でもなく、服従もしない生き方。
自律しながらも、協働している状態。

今後の社会では、
これが人間行動の基本となり、
それが集積して、新しい社会ができてくるはずです。

自然界とシームレスにリンクした、
美しく、愛に溢れる社会の原点がここにあります。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その5

2009年05月26日 20時46分06秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
“地域”が基本であること

生命の世界では、
ある生命が住んでいるその場が、
その生命にとっての中心であり、
行動範囲の中に、
食べるものや飲むもの、
住みかの素材が存在し、
そして、死んでもなお、
その身体は、その土地に還り、
新たな生命の基となっていきます。
その地域のなかで生命は育くまれ、
そこには、生きていくための全てが満たされています。

生命が生まれて、死ぬまで、
それが自然界全体に対して行う貢献は計り知れません。
たとえ、小さな虫であっても、
その虫相応の、多大な貢献をしています。

その虫の、
食べること、
動くこと、
住みかを作ること、
糞をすること、
そして、
他の虫や動物に食べられること、
分解されて肥料になること。
生命は、生まれてから死ぬまで、
いや、死んでからも、
全てのライフステージにおいて、
常に違った形で、
他の生命のためになっているのです。

基本的に、生命系というものは、
こういった個々の生命の営みが、
奇跡のような調和を保ちながら集積し、
まず、小さなオアシスのようなコミュニティーが形成され、それがさらに大きな地域レベルのコミュニティーを形作り、そして、最終的には地球規模のコミュニティーとなります。

でも、常にその基本は、
その生命が生きている、
その「場」=「地域」に変わりありません。

その「地域」と「生命」との関係は、
切り離すことの出来ない運命共同体であり、
見た目は別々でも、
まさに一つの命といったほうが良いでしょう。

人類も昔は、
地域の生態系と運命共同体として、
生活を営んでいました。

しかし、農業を覚え、
技術の蓄積を始めてからというもの、
運命共同体としての感覚を忘れ、
地球生命系の中で、孤高な存在となり、
今は、
他の生命を脅かす存在とさえなってしまいました。

それは、文化や価値観という形で、
親から子へと引き継がれ、
今日に至っています。

でも、
現代のように、
人類と地球生命系とが分離してしまったことを、
人類が道を踏み外してしまったためとは考えないほうが良いと私は思います。

いわば、進化の次の段階に入る準備のために、
通らざるを得なかった通過点だったと、
考えた方がよいと思います。

人類が発生してから、
人類は身体的、精神的な進化をしてきました。
それは、止まることなく、
今も進化し続けています。

その証として、
世界的に、
人類と自然とは運命共同体であり、
地球生命系としての一つの命である、
といった認識や価値観が再び戻りつつあります。
しかも、かつての動物的、直感的な認識とは違って、
一度「分離」したことによって獲得した、
客観的な視座と、
自らに自由意志と創造力があることを知った上での、
新たな認識と、新たな価値観です。

その新たな認識や価値観を持った人々は、
まず、地域の自然生態系のことを考えます。
私たちが荒らしてしまった地域の自然生態系を、
調和のとれたものに戻そうとします。
これは既に1960年代から始まっています。

次に起こるのは、
自分たちの生活を、
地域との密接な関係の中で維持し、
様々な社会活動の基本を、
地域におくようになります。
これは、まさにいま、
世界的に急進展している出来事と言って良いでしょう。

特に、命に関わる水や食料は、
本当に歩いていける範囲の場所で、
生産し、消費され、
まさに“地域コミュニティーで命を守っていく”
そういう基盤が形成されていくはずです。
そしていずれ、
生活の基本財を生産する他の産業も加わり、
地域で循環する経済の構築へと、
向かっていくはずです。

そのような地域コミュニティーが増えてくると、
それらは、
他地域やグローバルなコミュニティーと、
ゆるやかに連携し、相互補完しあいながら、
適度な自律と、適度な相互依存のバランスを実現することになるでしょう。
まさに生命の秩序と同じ社会の構造の出現です。

これは、時代の要請という以上に、
人類の精神的進化の結果です。
今後、政治やマスメディアの影響によって、
グローバル化の話題が多くなるときもあるかもしれませんが、
根底を流れる潮流は、
決して変わるものではないはずです。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その4

2009年05月07日 21時20分44秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
必要十分であること ~ 必要最小限のものを、必要なだけ

健康な生命の営みでは、
全てに無駄が無く、
生命の維持に必要なエネルギーは、
必要なだけ作られて消費されます。

たわわに実っている果実も、
種の継承に役立ったものの他にも、
動物や虫の食料になったり、
土の肥料となったりと、
結局は循環する生命系の営みの中で、
見事に全てが役目を果たします。

捕食動物の代表であるライオンも、
おなかが減っているときは、
一生懸命獲物をとって食べますが、
そうでないときは、
目の前に小鹿が通りかかっても、
見向きもせずに寝ています。

人間以外の生き物は、
過剰な欲を持たず、
必要最小限なものを、
必要なだけ自然界から頂くという、
自然界の鉄則のようなルールに従って、
生きています。

ネイティブインディアンや、
日本でもアイヌなどの古い伝統の中にも、
最小限必要なものを、必要なだけ自然界から頂く、
という鉄則は、大事な教えとして、
代々伝えられてきています。

とにかく、現代社会は、
次から次へと、人の欲望を掻き立てる様に、
新しいものを作っては、
買えよ買えよと宣伝しています。
私たちの周りは、情報とモノに溢れ、
私たちは欲望のおもむくままに消費をし、
そのためにゴミは始末に困るほど膨大な量となり、
自然は急速に破壊されていき、
人々の健康度も、みるみる低下していきました。

私たちの生活は、
自然界の摂理からは、
遠く離れたものになってしまいました。
そろそろ、本格的に歯止めをかけなければなりません。

必要最小限なものを、必要なだけ作って消費し、
質素で、謙虚に生きるライフスタイルを、
とりもどす必要があります。
これは行政の問題でも、社会制度の問題でもありません。
一人ひとりの心の問題です。
一人ひとりの考え方が変わって行き、
その人のライフスタイルが変われば、
社会もあわせて変わっていいます。

それが現実となった新しい時代には、
「貨幣経済」中心の社会は終焉し、
全ての人が、
今よりずっと幸福に暮らし、
自然と調和した生活を営んでいることでしょう。

奇しくも、安曇野にある、
シャロムヒュッテのオーナーの臼井さんが、
このシリーズの「その2」にコメントを付けてくださいました。

臼井さんのところは、まさに、
「必要十分であること ~ 必要最小限のものを、必要なだけ」を、
実践されているところです。

今年のシャロムヒュッテのブログは、
とても充実しています。
様々なスタッフの方が、
日々の出来事を報告してくださっています。

私としては、特に、イッシーさんの農業の記事は、真剣に読ませてもらっています。

皆様にもお奨めです。
新しい時代の訪れを予感させる、
安曇野の自然と調和した生活を感じることができます。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その3

2009年04月28日 08時55分27秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
人間社会で自己組織が起こる条件

その2では、自然界の自己組織化について、
それが新しい社会の一つの基本になる可能性について書きました。

それが人間社会において起こりえるのかどうか、
起こるとしたらその条件とは何かということが、
今回のテーマです。
自己組織化の本質は「協調」にあります。
今回のテーマを、
“協調的組織”作りのための条件、
と言い換えることも可能です。

ただし、ここで一つおことわりしておきますが、
人間社会にも自己組織化が・・・
といっても、学問の世界でいう厳密な意味での、
決定論的な自己組織化が起こるかということを、
述べているわけではありません。
生物の世界で起こっている自己組織化をメタファーとして、そのメリットが活かされる組織づくりが可能かどうかと言うことです。

やや長文ですので、お暇なときに、
ゆっくりとお読みください。

この条件を抽出した基本となっているのは、
自分の大学院時代の“協調”についての研究
The Self-organized Community Emerged from Individual Cooperation
が中心となっていますが、
その他に、発想の原点となったのは、
H.マチュラナとF.バレーラの
オートポイエーシス(自己生成)理論。
ブライアン・グッドウィンの、
構造主義から複雑系生物学にいたる諸研究。
そして、発想の裏打ちをしてくれたのが
デビッド・ボームとデビッド・ピートらによる
Dialogueの研究です。

その他に参考にしたのは、
従来からの創造的組織論の諸研究、
パトリシア・ショウらの複雑系組織の研究、
フリチョフ・カプラが解説してくれたシステムセオリー、
Cooperative Inquiryの研究などがあります。

今の段階では11の条件にまとめています。
今後、追加されたり、整理整頓されたりする可能性がありますが、
今日は、さらりとそれらをご紹介しておきます。
きっと、少なからず日々の職場などで使えると思います。

1.情報の共有

参加者としての人々は必ず、話し合う内容や共に行動を起こすために最低限必要な情報を共有する必要が必須です。決して参加者同士の間に情報の偏りがあってはいけません。

2.公平な立場で参加すること

そのコミュニティーに、他者を強制するリーダーや、闇雲に追随するだけのフォローワーがいてはいけません。一人でも存在すると真の自己組織化は起こりません。

3.自由であること

基本的にルールや規則は出来る限りない方がよいでしょう。自己組織化は基本的に「個」の真の自由から生まれます。自由な発想、自由な行動が許されないことは、それは大きな阻害要因になります。(真の自由とは、エゴを実現する自由と言う意味ではありません。エゴからも自由になった状態といった方がよいでしょうか。)

4.参加者の自主性

参加者は自ら考え、自らそれを他者に表現する必要があります。それがないと自己組織化の原動力である相互の交流は生まれません。個人が積極的に他者と関わり、お互いを理解しあうことが必要です。

5.他者の受容

自分の意見も言いますが、自分の意見と同じだけ他人の意見も受け入れなければなりません。この作用が実は自己組織化のエンジンのような役割をします。ちなみに他者を受容する努力は組織の大きさに乗数的に比例します。小さな組織ではそんなに苦労はいりませんが、少し大きくなるだけで、お互いを理解しようとする努力はとてつもなく大きくなります。

6.断定はせず常に仮説としてとどめる態度

これまでの社会では判断や断定、結論、決定と、何か決まった固定的なものを求めてきました。そのために、誤った理解が広まり、長い年月のあいだ、間違った理解が定説として流布することが多かったのも事実です。生命は決して固定したものではなく、常に変化し続けています。私たちが下す判断も、その時はある程度正しかったかもしれませんが、時間がたつとそうではなくなることが少なくありません。従って、判断を固定することなく、仮説の状態に維持しておき、つねにより相応しい認識、判断を求め続ける態度が必要です。

7.組織は適切な大きさであること

全てのものには、それに応じた相応しい大きさがあります。人間社会の組織にも同じことが言えます。適切なサイズを維持することの大切さは、E.F.シューマッハが残した言葉の大事な一つでもあります。人が集まって何かを話し合う場合、その適切なサイズは6人から12人くらいと言う人もいれば、30人までと言う人もいます。しかし、それは内容や参加者によってケースバイケースだと思います。

8.目的が明確であること

何を目的に集まっているのかが明確でない組織では、活発な相互交流は生まれませんし、一つのコンセンサスに向かっていく推進力がありません。その組織の目的を明確にしておくことは、参加者一人ひとりの心に、組織に貢献するためのエネルギーを注ぐことでもあります。

9.参加者は先入観、偏見を決して持たないこと

あたりまえのようで、なかなかできないのがこれです。これができるようになるのも人間としての一つの試練かもしれません。先日にイギリスを発端に世界的な話題になったSuzan Boyleさんの一件は、YouTubeのほかに世界各国のTV放送局が放映したことから、2週間あまりの間で地球の数億人(推定)が知ることになりました。まさに、先入観を持たないことへの世界規模のレッスンとなった気がします。まだご覧になっていない方は是非どうぞ。→こちら

10.開放系 ~ オープンであること

組織は排他的であってはいけません。常に、外部との自由な出入りができ、メンバー個人の意思によって参加、不参加を決めることができる必要があります。常に開放系として開かれたものでることは、組織の適切な新陳代謝を促し、外部の環境(全体)との調和を追及するための大事な要素となります。必要な組織は適切なサイズまで大きくなり、必要のない組織は自然に小さくなっていき自然消滅します。

11.参加者全員がこの条件を理解して実行すること

一番最後になりましたが、これが一番クリアするのが難しい条件であり、私が現代の状況の中で自己組織化が一般的には無理だと思う理由です。その一方で、1~10までの条件を学んでいなくても、これらを自然に理解されている方は少なくありません。しかし、その方々を取り巻く社会、会社、組織の構成員の多くは、このことを認識するには程遠く、実現することができないのが現状だと思います。また、1から10はお互いを相互補完する関係にあり、そのどの一つが欠けても成立しない、どれもが「自己組織」という一つのシステム(系)を出現させるための必須条件となります。

条件は以上です。

これは大変だ、実現できそうに無い、
と思われるかもしれませんが、
しかし、確実に人々は、
自己組織化とか、
前述の条件の言葉を使わなくても、
そのあるべき組織のあり方や、
お互いが協調しあいながら生活するための基礎を、
いま、あらゆる側面から、
知らず知らずのうちに急速に学びつつあります。

オバマ大統領が、
Organizing for Americaとして、
地域の組織作りと活動を、
草の根レベルで積極的に推進しているのも、
アメリカにおいて、その実現に繋がる、
大きな流れの一端だと思います。

きっと、ふと気づいたときには、
いつの間にか皆がそれらを理解していて、
あるべき組織の形成は、
誰にやれといわれるでもなく、
自然に始まっていくだろうと思われます。

人々の、この10年の心や行動の変化をみていると、
これまでのように、
社会を変えようと必死にならなくても大丈夫。
過度に未来を悲観する必要ももうないでしょう。

人々自身が日常の中で、自然な成り行きを通して、
調和に向けて必要なことを学び、変化していっている、
しかも、それは益々加速しつつある、
と考えるほうが適切だと思います。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その2

2009年04月23日 22時36分59秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる
自己組織化

生命の自己組織化とは、
生命自身が、自らを形成し、
それを維持、自己管理していくことです。

自己組織化という言葉は、
生命だけに使われるものではありません。
単なる物質の世界でも起こります。
物質の世界で起こる自己組織化の様子は、
まるで生物が活動しているかのような、
活き活きとしたものです。

YOUTUBEを探したら、
自己組織化の実験の映像がいろいろ出てきました。
自己組織化を心にイメージするのに、
そういった映像はとても役に立ちます。
中でも、結構楽しめるものをご紹介します。

1) Belousov-Zhabotinsky reaction
http://www.youtube.com/watch?v=bH6bRt4XJcw

これは自己組織化の現象を、
世界の研究家が注目するきっかけになった、
有名な実験です。

単にある物質の酸化還元反応なのですが、
些細な刺激によって、
ある一点の分子を起点に反応が始まります。
そして次々と隣の分子に影響が伝わります。

反応した分子は、
一定の時間のあいだ色を変えていきますが、
しばらく時間がたつと逆反応を起こして色は元に戻ります。

それぞれの分子は、その後は、
周期的に酸化と還元を繰り返すだけなのですが、
それを分子の集合全体でみると、
このような美しい円環状の模様ができていきます。

もう一つご紹介しましょう。
こちらは家庭にもあるコーンスターチでの実験です。
単なるコーンスターチがどうなるのか見ものです。
2) Amazing Liquid
http://www.youtube.com/watch?v=nq3ZjY0Uf-g

ある一定の条件さえ整えてあげれば、
それら分子同士の動きが、
相互に影響を与え合い、受け合うことにより、
このような見事な秩序的な形態を作り出します。

・・・見事というか、その動きはまさに幼虫そのものです。

ここ何十年かの間に、
私たちの生物体の形成や活動は、
こういった自己組織化が、
元になっていることが分かってきました。

例えば、
植物や動物が発生し成長するとき、
元素や分子がお互いに影響しあいながら、
形態形成していくこと。
私たちの心臓細胞の一つ一つが、
お互いに共鳴しながら鼓動を作り出していること。
私たちが考えたり、思い出したりするときに、
脳細胞間の共鳴で起こる発火現象。
群で生活する昆虫などの集団秩序。
鳥の群生がまるで生き物のように大空をうねる姿。
その例の枚挙はつきません。

ここで大事なのは、
自己組織化の場には、
外部からの指令や管理がないということです。
その秩序(又は組織)を作っているのは、
全て当事者である「個」です。
そのために、外界の環境変化や外的に遭遇しても、
迅速に、しかも、柔軟に反応することができることも少なくありません。

自己組織化という言葉が、
人間社会にも当てはめられているのは、
まさにこの点にあります。
民主主義の原点ともいえる、
自分たちの、自分たちによる、自分たちのための、
政治や社会活動そのものです。

自己組織化によって形成されている、
組織やコミュニティーには、
リーダーもフォローワー(追随者、服従者)もいません。
(リーダーシップという言葉も、いずれ死語になるでしょう。)

そういった組織やコミュニティーは、
社会の変化に柔軟に対応することができ、
今の会社や行政組織で必然的に起こる誤謬も、
自己組織化した組織では激減するはずです。
何よりも、その当事者自身の、
想い、希望、やる気、理想、
モラル、社会正義を、
社会や環境に、より適応した形で実現できます。

自然界を形成している無数の自己組織化の連続は、
まさに神が創造したとしか言いようが無いほど、
適切な場所で、適切な時に起こるように、
奇跡のようなチューニングのもとで起こっています。

自己組織化する組織をつくるということは、
その自然界の秩序と同じものを、
神の子といわれる人間が、
自ら現実世界に創造して行くことを意味します。
これこそ本当のエコロジカル社会の出現であり、
ひとつの人類の進化と言うべき出来事となります。

しかし、現時点において、
理想的な自己組織化が人間社会に起こりうるか、
と言えば、特別なケースを除いて、
それは無理でしょう。
先の実験で、
一定の条件が整わなければならなかったのと同様に、
人間社会に自己組織化が起こるにも、
それなりの条件が必要です。

ですが、社会は明らかに、
その条件が整う方向に向かっていると考えられます。
従って、今後、世の中は、
本当の意味で民主的になり、
今なお多数派の封建社会的な会社、行政組織も、
大きくその様相を変えていくでしょう。

その条件とは何か?

そこがまさにポイントだと思います。
私の大学院の研究テーマでもあったので、
次回にでもご紹介したいと思います。

大学院を出て10年になりますが、
これまで機会がなかったのと、
機も熟してなかったこともあり、
日本の誰にも話してきませんでした。

まさに本邦初公開となります。
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【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その1

2009年04月22日 13時04分31秒 | 【シリーズ】新しい社会の基本がわかる

地球生命系に関する新しい研究によって、次々にその特徴がわかってきました。
その特長にこそ、私たちが地球生命系と共生できる新たな社会づくりのための、大事なヒントが含まれていると言われています。
その生命の智恵とは一体どのようなものなのでしょうか。

これまでの生物学の主流は、世界はあたかも機械のように出来ていて、それらを細かに分析していけば、世界は把握できるというものでした。
これを機械論的な観察などと呼びますが、極めて複雑な世界を、個別な分析だけによって観察しても、それは、例えて言うならば、複雑な立体のある一部分だけを観察したにすぎず、かなり偏った一面的な理解にならざるを得ません。
そのために、今の環境問題や健康問題など、様々な問題を引き起こした原因にもなっていると言われています。

その一方で、生命のみならず、世界の全ては、密接に相互に深い関わりを持っており、個と全体の関係を常に重視して観察するといった、全体論的なアプローチをする考え方が出てきました。古くはギリシャ時代にさかのぼりますが、20世紀以降、構造主義生物学、量子力学、そして、複雑系科学の進展によって急速に発展してきたものです。

全体論的な観察も、決して完全なものではありませんが、機械論的な観察を補完するものあることは間違いありません。全体論的な観察と機械論的な観察とをつきあわせながら、生命を理解することが大事だと考えられます。

そういった、全体論的な視点を加味して地球生命系を見た場合、これまでの生物学では注目されなかった様々な特徴が見えてきました。

米国で新しい経済の仕組みを研究するデビッド・コーテン氏はそれから得られた地球生命系の特徴から、これからの社会のための教訓を6つの特徴に分けて説明しています。わたしとしては、それに7つ目を加え、また、わかりやすく表現を書き換えて、次のようにしました。

1)自己組織化 ~ 当事者による主体的な運営
2)必要十分であること ~ 最小限必要なものを、必要なだけ
3)地域が基本であること
4)協調の重視
5)適度な境界をもつこと
6)多様性の維持
7)自主性の高い創造的な個人であること

このブログをお読みいただいている皆様の多くにとっては、すでに当たり前で、親しみの深い言葉ばかりかと思います。

ただ、私自身の整理のためにも、明日は、それぞれの項目について、多少説明を加えてみたいと思います。
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