最近、周りの人に良く言われるとこ。
「オディは本気になっていない!!」
例えば、
「今、ソウルメイトを探しているけど、いい子がいたら
紹介してくれない?」
と言っても
「まずオディが本気にならないとだめだよ~」
「えー、俺はいつも本気だよ~」
「違う。本気で探す気ならいつでも手伝うし、
それ以上にオディが本気なら私が手伝わなくても
もてもてになるはず。きっと本気じゃないんだ」
(これは他者評価で、自慢ではないからね~(笑い)
「・・・・・」
うーん。
こんな会話がいろいろなケースで交わされています。
(ソウルメイト探し以外でも・・・)
そしてある人に言われたのが
「オディはもっと野心がある(大きなことを考えている)
はずなのに小さなことで満足していると思い込もうとしている。
能力があるのでそこは居心地がいいから安心してしまっている。
でもどこかに不満や満たされないものがあると感じるよ
もしかしたら本気で動くことに不安を持っているのでは?」
ハッキリ言ってドキッとしました。
確かに当たっている部分があるなと思いました。
自分をとめている理由の一つに国際支援分野での
活動していた時の苦い経験があります。
それは
「自分はもっとできるはずなのに!!」
と自分を責め続けてぼろぼろになって行く
体験でした。
例えば、協力隊の隊員時代、ニカラグアでハリケーンの
被災者に救援物資を配って支援をしている時。
現場にいる時は仕事に追われて考える暇もなかったし、
やりがいがあったからいいけど、自分の家に戻って
ほっとしている時や外食をしている時
「この食べ物(レストランの支払い代金)を支援に使えば
後何人に食べ物を配れただろう?」
と考えて食べ物がのどを通らなくなったり、
味が分からなくなったりしたり、
「どうやってお金を使えば、一人でもたくさんの人に
ものを届けれるんだろう?」
と考え出して眠れない夜を過ごしたり、夜、飛び起きて
アイデアや企画を作り出して体調を崩したり、
精神的にも辛い思いをしました。
餓えて苦しんでいる子供たちを見てそれを助けたいと言う想い、
自分の生活を守りたいと言う思い
(自分の持っているかなりのお金を支援に使いましたが、
自分の持ち物を全て差し出すという選択はできませんでした)
そしてそんな時にマザー・テレサならどうするんだろう
などと考え出して自分の小ささ、未熟さに悲しくなって
しまいました。
私の回りにいた人は、
「羽鹿さんはすごく良くやってくれている。ありがとう」
「羽鹿さんになら信頼して任せれる。報告はいらないので
このお金を自由に使ってね」
と高い評価をしてくれていました。
でも自分の評価は決して満足いくものではありませんでした。
国際支援の現場で何度
「もっとできるのに」
「後、何人子供たちを救えたのに」
と自分を責めたことでしょう。
そして無意識的にその苦しさから逃げ出して、
自分のできる範囲で自分が苦しくない範囲で
物事をやるようになって行ったのかもしれません。
最近の友人の一言でそのことを思い出しました。
このことにもっと真剣に向き合ってみようと思いました。
最後の評価は自分自身。
自分がどんなことをしたくて、
自分がどんな人生を歩みたくて。
自分がどんなことに本当に満足できるのか。
これからしばらくじっくりと考えて
本気で進み出したいなと思います。
PS
もし分けありませんが、今日の日記に関しては
コメントをご記入頂いてもレスはなしとさせていただきます。
じっくりと自分の中で深く掘り下げて探求・整理したい
して行かなければならないテーマなので・・・
「オディは本気になっていない!!」
例えば、
「今、ソウルメイトを探しているけど、いい子がいたら
紹介してくれない?」
と言っても
「まずオディが本気にならないとだめだよ~」
「えー、俺はいつも本気だよ~」
「違う。本気で探す気ならいつでも手伝うし、
それ以上にオディが本気なら私が手伝わなくても
もてもてになるはず。きっと本気じゃないんだ」
(これは他者評価で、自慢ではないからね~(笑い)
「・・・・・」
うーん。
こんな会話がいろいろなケースで交わされています。
(ソウルメイト探し以外でも・・・)
そしてある人に言われたのが
「オディはもっと野心がある(大きなことを考えている)
はずなのに小さなことで満足していると思い込もうとしている。
能力があるのでそこは居心地がいいから安心してしまっている。
でもどこかに不満や満たされないものがあると感じるよ
もしかしたら本気で動くことに不安を持っているのでは?」
ハッキリ言ってドキッとしました。
確かに当たっている部分があるなと思いました。
自分をとめている理由の一つに国際支援分野での
活動していた時の苦い経験があります。
それは
「自分はもっとできるはずなのに!!」
と自分を責め続けてぼろぼろになって行く
体験でした。
例えば、協力隊の隊員時代、ニカラグアでハリケーンの
被災者に救援物資を配って支援をしている時。
現場にいる時は仕事に追われて考える暇もなかったし、
やりがいがあったからいいけど、自分の家に戻って
ほっとしている時や外食をしている時
「この食べ物(レストランの支払い代金)を支援に使えば
後何人に食べ物を配れただろう?」
と考えて食べ物がのどを通らなくなったり、
味が分からなくなったりしたり、
「どうやってお金を使えば、一人でもたくさんの人に
ものを届けれるんだろう?」
と考え出して眠れない夜を過ごしたり、夜、飛び起きて
アイデアや企画を作り出して体調を崩したり、
精神的にも辛い思いをしました。
餓えて苦しんでいる子供たちを見てそれを助けたいと言う想い、
自分の生活を守りたいと言う思い
(自分の持っているかなりのお金を支援に使いましたが、
自分の持ち物を全て差し出すという選択はできませんでした)
そしてそんな時にマザー・テレサならどうするんだろう
などと考え出して自分の小ささ、未熟さに悲しくなって
しまいました。
私の回りにいた人は、
「羽鹿さんはすごく良くやってくれている。ありがとう」
「羽鹿さんになら信頼して任せれる。報告はいらないので
このお金を自由に使ってね」
と高い評価をしてくれていました。
でも自分の評価は決して満足いくものではありませんでした。
国際支援の現場で何度
「もっとできるのに」
「後、何人子供たちを救えたのに」
と自分を責めたことでしょう。
そして無意識的にその苦しさから逃げ出して、
自分のできる範囲で自分が苦しくない範囲で
物事をやるようになって行ったのかもしれません。
最近の友人の一言でそのことを思い出しました。
このことにもっと真剣に向き合ってみようと思いました。
最後の評価は自分自身。
自分がどんなことをしたくて、
自分がどんな人生を歩みたくて。
自分がどんなことに本当に満足できるのか。
これからしばらくじっくりと考えて
本気で進み出したいなと思います。
PS
もし分けありませんが、今日の日記に関しては
コメントをご記入頂いてもレスはなしとさせていただきます。
じっくりと自分の中で深く掘り下げて探求・整理したい
して行かなければならないテーマなので・・・