母であり妻であり女である私の・・ひとりごと

37歳と34歳の息子と時々、私の息子に間違われるダンナ・・自転車ライフを出来るだけ楽しみたいネ♪

7月29日・・・

2023年08月03日 | 私と従姉妹
悲しい別れが現実となる日がやってきました・・

7月29日午前4時・・・
私の大事な大事な従姉妹は天国へ旅立ってしまいました

いつか‥この日が来る
という事は・・・頭では思っていましたが・・
覚悟なんて・・出来てなかったですし・・
出来ません・・

従姉妹とのブログは・・2月のお出かけまで書けていたのに・・
あと少しで・・時系列が揃うのに・・そう思っていたけど・・・
師ヶ系列が揃う前に・・お別れの日の事を書く日が来てしまったね

お別れの日の事を書きます・・

従姉妹は53歳と言う若さで天国へ行ってしまったのですが・・
25歳で結婚して家を出てから・・
その後・・離婚をしてしまったけど・・
実家には戻らず
一人で過ごしていました。

本人は「優雅な一人暮らし」って・・

そして・・
今回の入院(去年の8月から)で
自分の自宅には帰りたいなぁ~とは言っていたけど・・
実家には絶対に帰らない!の1点張りでした

何故帰りたくないか・・と言う事情は私が一番わかっていたので・・

むりやり実家へ帰すことは出来ませんでした。
実家には・・母親と兄が住んでます。

自分のマンションに帰れないなら・・このまま病院で最期を迎える!そう言っていたのです・・

その気持ちは・・ずっと・・変わらず・・
私も何度か説得してみたけど・・頑なでした。

勿論・・病院側も・・説得してくれていましたが・・
頑なでした。

それでも・・7月に入り・・
グーーングーーンと目に見えるように従姉妹の体調は落ちていき・・・
毎日毎日・・1日に何度もラインをしていたけど・・
LINEを上手に返せなくなり・・・
自分は現実にいるのか?夢の中なのか?
自分の置かれている状態が・・分からなくなってきていて・・

LINEが打てなくなった従姉妹は・・
1日に何度も私に電話をするようになりました。

「ねぇねぇ・・ソファーってどーするんやったけ?」
「ソファ??・・どーもせんよ・・夢見たんか?」
「あっ・・そっか・・・夢やな・・夢やな・・きっと・・ゴメンゴメン」

こんな感じで・・自分で何がなんだか?分らなくなったら・・私に電話をしてきていたのです。

7月になってからは・・週に2回とか3回とか病院へいっていたのですが・・

いつも・・
「あっ・・Mちゃん・・ありがとう」

そう・・ベッドの上で私を迎えてくれていた従姉妹が
7月23日に行った時・・・

私の顔みるなり・・
メソメソ泣きながら・・
「Mちゃーーん待ってたよ~~

こんな従姉妹は初めてで・・
その姿を見て・・
私は・・従姉妹を一人・・病院に置いておくのはもうダメだ!と思い・・

「一人で病院にいるの・・もうしんどいんやろ?
「うん・・しんどい」

「なぁ~お家帰ろう!

お家帰っても一人やし・・」
「いいや・・マンションへは・・帰らんよ!実家へ帰るんやよ!そーすれば・・お母さんもいるし・・お兄ちゃんもいるし・・私もお泊りして一緒に過ごせるから!もう・・一人で病院に居たらアカン!」

そー言うと・・一瞬・・えっ?!って顔したけど・・

「うん帰りたい
「そーや!帰ろう!帰って家で一緒に過ごそう!」
「うん・・お父さんが過ごしていた居間にベッドおいて過ごしたい

父親・・23年前に亡くなったのですが・・
父親がいつも座ってテレビを見ていた居間に帰りたいと・・・


そーーと決まったら・・・
本当なら・・母親と兄に確認取るべきところだが・・・
私と従姉妹で決めたので!(私は従姉妹のキーパーソンになっていました)
すぐに看護師さんにその旨を伝え・・・
退院の準備を急いでもらうことにしました。。

急がないと・・時間が…ない・・と言うことは・・・私は感じていましたから
勿論・・病棟の看護師さんたちは・・私よりもっと・・それは分かっておられました

病院で最期までと1点張りだった従姉妹が・・今日に帰りたいと言い出したので
看護師さん達もビックリされましたが・・
本当に・・大きな協力の元・・
28日の午後2時30分に・・・無事に退院出来ました。
自宅は病院から車で10分・・

従姉妹が居たいと言っていた居間に・・看護用ベットも入れてもらい・・

従姉妹は・・数か月振りに・・

極々普通の・・当たり前な日常の音の中・・・
過ごせました・・・ガヤガヤした音・・・
ドタドタ歩く音・・キッチンの水が流れる音・・
茶碗がカチャカチャとぶつかる音・・

あーーだこーーだと話す会話・・・

私が従姉妹のそばから・・離れると・・
すぐに
「Mちゃーーん」と呼ぶので・・
「どーした?」
「寂しいからここにいて~」
「よっしゃ・・わかったぞ

従姉妹の兄は私の1つ年下・・兄が隣の座敷で書類を書きながら・・・

私たちで小さいころによく歌って・・ゲラゲラ笑っていた
きらきら星の替え歌(下ネタです
それを・・何気に口ずさみながら・・書き書きしている兄・・

それを聞いて。・。
つい・・私も・・・普通に歌いだし・・・
そして・・それにつられて・・従姉妹も・・
‥歌いだし・・・
3人で・・下品なキラキラ星を歌い切り・・

従姉妹が・・ボソッと・・・
「下品や~」って・・

4人で大笑い・・・・

夕飯は・・・・
もう・・あまり食べれなくなっていた従姉妹・・
御粥にゆかりのふりかけかけて・・3口・・
その後・・夕食後の薬もちゃんと飲み

私たちは・・豚丼を作って食べようとしたら・・
「みんな何食べるん?」
「ぶたどーーん
っ言うと・・
「えーーいいなぁ~~」って言うので
「食べたい?」
って聞くと・・
「食べたい!」って・・・
さすがの食い気

私の豚肉を少しちぎり・・ご飯も・・3口食べ・・
「美味しかった~」って・・

1年も・・病院で生活していたもんね

その後・・自分でしっかり歯磨きもして
血中酸素濃度が84とか
かなり低くて・・・普通に呼吸するのみしんどい状態なのに・・・
歯磨きまでして・・(エライなぁ~~)

夜の10時に部屋の電気を消しました。
従姉妹の隣で寝ました。
私が「今日は泊まるからね~」
と言うと・・
「良かった~」って安心していたので
ベッドのすぐ下で寝たのですが
なかなか寝れなく・・それでも・・
30分くらいウトウトした時・・・
たまたまめが覚めた従姉妹の母親が
「Mちゃん!なんか・・呼吸・・しんどそーーじゃないか?」
と起こされて・・・

ハッと思い・・
従姉妹を見ると・・

確かに・・・顎を大きく動かして・・辛そうに見える呼吸になってました・・・
そこからは・・ほとんど・・寝ずに・・・
従姉妹が
カスカスな声で私を呼んで
ベットの角度を上げてほしい・・とか・・
上げたと思ったら下げてほしいとか・・

レスキューの薬(モルヒネ的な薬)を入れてほしいとか・・これは・・頻繁でした。
水も水差しで飲ませたり・・

そして・・3時半を過ぎた頃・・

天井に向けて・・手を挙げて・・何か言ってるんだけど・・
何を言ってるのか?・・
「どーした?」

どーやら・・立たせて欲しいみたくて・・
さすがに立たせる事は不可能やし・・

身体を横向きにして
(全身腹水でとても重くて・)
横向きキープで背中をさするのは・・・なかなかの力仕事でした

自分!力持ちで良かった・・

両側とも横向きにして背中をさすり・・・
身体を元に戻して・・

10分ほど経った頃かな・・

従姉妹の呼吸が・・もう顎やのどは動かずに・・

口をパクパクしているだけなので・・

あっ!・・これは・・
これは‥もう最期だ・・
すぐに母親を起こし・・

「〇〇〇の呼吸・・止まりそうだから・・兄ちゃんも起こしてきて!!」

私と母親は・・従姉妹の呼吸が静かに終わっていくのを見届けました・・

慌てたり・・
‥驚いたり・・焦ったりすること無く・・

静かに名前を呼んでやり・・・

泣きながら・・従姉妹の看取りが出来ました・・

従姉妹を・・病院から連れて帰ってきて良かった・・

ギリギリ間に合ったよ・・

病院に一人置いておかなくて良かった・・・

良かった・・・


私にとっては・・
‥大事な大事な大好きな従姉妹・・・
ずっと・・
ずっと‥一緒に悩んだり・・笑ったり・・起こったり・・泣いたり・・・

ずっと・・昔から・お互い支えあってきたのに・・・・・


悲しくて悲しくて・・悲しすぎて・・
辛いけど・・・

いつも・・泣くときは一人じゃなく二人で泣こうね・・
一人で泣くのは辛すぎるから・・と従姉妹を励ましてきたけど・・・
私は・・・一人で・・思い切り泣きました・・

8年半の闘病生活・・
ここ3か月ほどは・・体が痛くて痛くて・・辛い日がいっぱいあったからね・・・

痛みから・・やっと・・
やっと・・開放されたね・・

私は・・これから・・・しっかり者の従姉妹にしっかり見守られながら・・

元気に日々を過ごしていこう・・・そう思っています・・・



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