ひだまり オーガニックな時

阿波の地御所野という集落の谷戸で自然農の畑と田んぼを描きながら山の水薪で生活し 農園ゲストハウスを営んでいます。 

秋のひだまり農園  自然農法in葉山

2010-10-23 19:10:07 | Weblog



僕が人生で初めて 自分で育てた

黒米

無農薬 無肥料 不耕起 で

山の 自然の営みにより 元気いっぱいに 育ってくれた

宝物の 



本当に 嬉しいなぁ・・・。

ありがとう。



二年目の 秋のひだまり農園

二年前の 初めてのじゃが芋からはじめたんだよなぁ~

最初は ただ 土をほじくり そこに芋をおいて

ただそれだけから 始まったんだ。

それをその時は 自然農法とか 

意気揚々と 言っていた自分が何だか 懐かしい

それから 耕してみたり 草を漉き込んで見たり

畝を作ったり 放置したり

草で作った堆肥を入れてみたり

とにかく 色々と

試行錯誤の連続

畑で お野菜と関われば 関わるほど

現われてきたのは

自分のその時々の 心の中だったなぁ・・・。

自然農法!? 循環農法!?

本で読んだり 他の畑を見に行ったり

すればするほど 

何だか 迷っていった気がする。

そしていつも行き着く所は・・・。

自分があれこれやるよりも

お野菜を見つめ 声に耳を澄まし・・ ただその美しさと 自然の流れに

ただ 感謝して 育てられているのは 

自分だったなぁ

 今やっと少しずつ 自分の畑のスタイル見たいのが

見えてきたんだぁ

畝を作ったり 整然と区画した 大地に種を降ろし 草をただ生やすのではなく

この畑と言う大地に 僕の、 お野菜と関わる空間を 表現していく

まずは 僕らが歩く 道を描き

角を作らず どの方向からでも お野菜さんと 触れられる サイズで

空間をお庭のように 分けていき

その大地は耕さず そこに生まれてきた草達の命を還していく


ここは今、かぶさんと 春菊さんが 育ってきている場所

この周りの 寝ている草は 後から敷いたのではなく

草を何度も何度も 還し 雨が降るたびに 踏み込み

重ねてきた 亡骸の層なんだ・・・。

ほじくると 下のほうは 多くの微生物君たちの働きで

土になってきてる

本来は草の形が完全になくなり 土になった状態で初めて

種お降ろすのが ベストなのだと思うけど

・・・やはりお野菜を 作りたくて

とった方法は 

草をほじり 完全に土になった部分まで 一部を開け そこに種を降ろす

完全でない途中の状態の層に 種を降ろすと

虫さんたち にいっせいにやられる

堆肥を使うときに 未熟な状態でつかうと 亜硝酸が発生し それを分解して 解毒するために

虫さん達が命を懸けて 食べてくれるのと同じ 理由だと思う




ここはまだ 新しく作り出した場所なので 亡骸の層がまだ薄い場所

ここには わけぎさんに生きてもらっている



ここには 聖護院大根さんと わけぎさん



ここは ほうれん草さんの 種を降ろしたんだ

黒っぽく見える部分にね


ほら 芽が出てきたよ

お野菜さん達が

生まれてくる瞬間は 本当に美しく

毎回 感動に包み込まれる

本当に

素晴らしい瞬間

 


ここはずいぶん時間をかけて だいぶ層が 出来てきた場所

大根さんと 春菊さんと 小松菜さんが

育っているんだけど

とにかく元気で 虫さんもほとんど 食べない

今までで 一番 いい感じ




まるで野草のように 自然に育つ 小松菜さん

これが自然な農法 自然農法になりつつある

手ごたえ




大根さんも まるで野草みたいに

大地に溶け込んでいる

お野菜さん達は 農薬や化学肥料 そして有機肥料も入れずに

自然農で育つと 色が淡くとてもきれいな 優しい表情を見せてくれる

色が淡く薄いほうが 光合成の能力も高いらしい



春に収穫した じゃが芋さんを種芋にした 

元気いっぱいの じゃが芋さん

親子二代目なので さらに 土地に調和してきている。



わかるかな!? 

真ん中にいる 茎が 黒っぽいお野菜

これも 二代目の 紅色のじゃが芋さん

親よりも 姿がより 野草に近くなってきている

本当に自然だなぁ・・




こちらは いわゆる普通の 大きな大根さんの子供

元気いっぱい!!




わけぎさんとカブさんが寄り添いながら

すくすくと 命を育む姿に

うっとり しちゃうね・・・



ひょっこり 顔を出してる なすさん

夏から いただき続け どんどん 力強く

とにかく 元気一杯!!

化学肥料を入れると お野菜さんは

異常に早く 異常に肥大する

でも顕微鏡でその細胞を見ると 三分の二以上の細胞が死んでしまっていたり 異常をきたしているのを

見ることになる。

一番わかりやすいのは おなすさんは フライパンなどで

火を入れると、みるみる 縮んでしまう

自然農で 大地の力で育った なすさんは

火をいれても ほとんどかわらない

育つのはゆっくりゆっくり 育ち 季節の流れに沿って育つ

だから 種まきのタイミングとかはとても 繊細に 感じ取らなければ

いけないんだよね

自然農 ・・・・

お野菜さんと 自然の循環の現われ そして自分と言う存在が

自然のリズムを 音色を いかに感じるか

その自然の調和に 自分がずれると

はっきりと 畑に現れる・・・

そのお野菜さんの命をいただき 山のお水を飲み 海を感じ 玄米をいただく

その日々の自分自身のスタイルが 

自然と調和すればするだけ 畑はより美しく 

自然農というスタイルを 表現し始める

全ては

自分自身と自然との調和しかない気がする

これからも 少しづつ 自分のリズムと 自然のリズムを

織り成して生けるよう 

畑に山に 海に

触れていこうと思う。


ありがとう

2010-10-13 22:23:50 | Weblog



美しいという言葉が 生まれたのは

美しくないという 言葉と 同じ瞬間・・。

ならば 自然という言葉が生まれたのも

不自然と言う 言葉と 同じ瞬間・・。

二つの言葉に 共通するのは

命の息吹 鼓動が存在するか しないかなのかも

人が生きるということ 

人生と言う 鼓動を奏でることは

美しく 自然に生きる事なのかなぁ

とか ふと思う・・・。



それぞれの 命から生まれる

クリエイション

この 旅でであった 山の中の

作品

彼もまた 表現することで

自分と 世界との繋がり 自然との調和を

確認するんだろう・・。



空をみあげる 

きれいだぁ~

ただ ただ 美しい。



心は 自然と ワクワクする。

ワクワクは 人間力の パワーの源。

呼吸は 自然と深くなる。



僕らの 何倍も 生きてきた

究極の アーティスト

その姿は

威厳に溢れ 思わず手を合わせてしまう。



多くの 命の力 表現 が 個として光

山と言う 一つの命の 表現を演出する。

僕が出逢った 素晴らしい 

仲間を 先輩を紹介していこうと思う



色 それもまた 

自然である

いのちの現われ

自然を見て 美しいと思うのも 自然・・。

命を感じて 美しいと思うこと。



力 意思

でもそこには 絶対的な 命の輝きがある。

僕らが学ぶということ まずは感じること

そして 脳を与えられた僕らは

思考をとうして

経験として 定着させていく

命という 筆で

描いていく




自分の 心の扉を開き

命の眼差しで 見つめると

そこには 当たり前に

木々の命の 奏でる 声を聞くことができる。

彼は童話に出てくる 木のおじさんみたいだ・・。



見つめてしまう

枝ってなんだろう・・・。

知りたいことが 沢山沢山ある。

そんな時は 目を瞑り 手を彼らに委ね

心で触れ合おう

きっと 感じるはず




人は目に見えない部分を 

否定することにより

人間という命を唯一の絶対的な存在のように

作り上げてきた気がする

木々の地面の中に 張る 根の部分を

感じ様としないできた。

目に見える存在となった時 初めて

認める・・。




静寂の中に

自分を置く

自分の中に

静寂を探す

そこには 隔たりはなく

呼吸をとうして 自分と自然と言う 命を繋ぎ

共に表現する

仲間の存在を 知り

自分の無知に気がつく

僕らが歩く道は 多くの命の上にのみ

存在できる

僕らの人生も 多くの命の上にのみ

描くことが出来る

だから

ありがとうが 生まれる

ありがとうを

廻さなくちゃ・・。




この場所は 表に立派なお社が 祭ってある

人は そのお社に手を合わせる

木々にしめ縄がされると その木々に手を合わせる

しめ縄や社を神と 認識し

感じ様としない・・ 現実

この場所も社に立ち目を瞑ると

裏に導かれ この場所にたどり着かせてもらった

そう木を ただシンプルに ありがとうと

敬う気持ちの かわいい 

お家




腰をおろし 奥さんとこの場所で おにぎりを食べた

おいしかった

お米もまた僕らと同じ

命の仲間

だから 

「 いただきますと 」 手を合わせる

昨日 田んぼの稲刈りを 終えた 

初めての

自分で そだてさせてもらった

お米

お米は僕が育てるのでわなく

お日様が 命のも水が お水は 山が 山は木々が 木々は多くの命の亡骸

大地が

大地は多くの亡骸である命を 虫達が せっせと分解し

木々が水を川として海に運び

海でまた無限の命を産み出し

空へ雲と言う形で 還し

雨として

また 巡ってくる

僕らも その 循環の中にのみ

命の 鼓動を奏でることが出来る

おにぎり 一つには

多くの無限の

いただきますが存在する

そして

心から ありがとうが生まれる

畑と 田んぼ 山 海から

僕が 教えていただいた

幸せの

ありがとう


天真爛漫に生きたいなぁ~

2010-10-11 23:35:59 | Weblog



天真爛漫

そんな風に 日々を生きる。

・・・・・。

この場所は、僕のとても大切な場所。

数年ぶりに 呼んでいただき

そこに 自分の心を、身体を すえ

目を瞑り

確認するような・・・ 甘えるような・・・ ゆっくりと

尋ねてみる

時間の存在は 遠のいていく

静けさ 

懐かしい 

静けさだよ。

最高の。 



調和

自分の深くから やんわりと 広がり

呼吸と共に

なじんでいく

美しい 

実感

澄み渡る

ありがとうの 



やっぱり

最高だよ・・・・。

多くを望み 多くを 手放し 

バランスの世界に 溶け込むようで

アンバランスを 反省しつつも 楽しむ

不思議な 妙なる

自分と みんなの 命のリズム


やっぱり

美しいね・・・。



木々の 圧倒的な

自己表現 命をただ 全身で表現する

ついつい みとれ

その 力強さ その あるがままの

姿に

究極の そして ただの

天真爛漫な 命の

妙なるリズムを 感じる。

僕は 木が好きだ。

そう 僕は 木が好きだ。




心に 大切な 大切な ありがとうを

とどめておきたい

それでも

流れてゆく・・・

だからこそ、流れに委ね 流れを感じ 流れる先を 想い・・・

自分の いただいた ありがとうを

ちゃーんと 

廻して生きたい。






素晴らしい 地球という 命の流れに 今を生きれることに

一生懸命 がんばって 表現していきたい。

表現すること

ありがとうを廻す 唯一の 

流れ 

だって こんなに 生き生きと 流れる

僕らの みんなの命のリズム

恥ずかしがらずに 堂々と

生き生き 

天真爛漫に

描いていこう 

色々考える前に まずは 

描くことだ。

いつも 本当にありがとう。

ぼちぼち

描きはじめよう・・