それまでの時を いかに過したかによって 晩年が待っていると思いたいのだけれど・・
父(享年90)は パーキンソン病を患い 身体のあちこちが拘縮し
思うようにならない身体と付き合い、
苦痛に耐えながら 過した。
母(来月90)は 父の介護を終え 一人の暮らしを愉しんでいるのか?
又は 不安ではあるが 仕方がない事と思って 残りの日々を過していると思う。
では 姑は
それまでの人生において 行いもよく過ごしたから?
身体の何処かが痛むとか 苦しむ事もなく
あんなにケタケタと笑って過ごせるのだろうか?
テレビを相手に いつも大きな声で笑って
この方には悩みも無いのか?
と、思ってしまう。
一緒に暮す次男夫婦が居て 身の回りのことは 何も憂うことなく過している。
いや 悩みはあるであろうが、
悩んだってどうしようもない と
敢えて 鈍感を装って 過しているのか?
突然 辛い病に罹ってしまい 苦しい想いと ささやかな希望を持ち 生きていかねばならない人が多くいる。
それまでの生き方、行いが 晩年に結果として現れる?
いや そうではない!
罪人でも 苦しむことなく過す人もいれば
善人でも 苦痛を背負ってしまう人はいる。
運命 という言葉で 片付けたくはないけれど、、
眠るように 死にたい!とか
長く寝込むことなく お迎えが来て欲しい!
などと 高齢者は 口にする。
在宅医療に携わってこられた医師が書かれた記事に
「前日までお元気で過しておられた方も
ある日 眠るように 亡くなっていた などというケースは
東大に合格するよりも 確率的に 難しい事!」
と、あった。
老親を見ていて 思うことばかりである。
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hibinouturoi

みゆき

hibinouturoi

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