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日日不穏日記gooブログ版

ティーカップ版で18年続けてきましたが、サービス終了に伴い、移転しました。

栗林忠道総司令官と松代のこと

2007-04-20 20:50:01 | 歴史
 一週間の終わり。帰りにTSUTAYAに寄る。賢明にもUFOキャッチャーは自粛(よく我慢した。エライ!)ムック本『プロレス K-1 PRIDEヤミ裏事件簿』(オークラ出版)をレジへ。好きだよなぁ・・・この手の暴露モノyellow7

 大きなコーナーが出来ていたDVD「硫黄島からの手紙」はアマゾンに予約していて、今日届いてる。映画館で見に行こう見に行こうと思ってて結局行けず。まぁ、いいや。ウチでゆっくり見よう。



 ところで、よく知られているように硫黄島の総指揮官:栗林忠道は松代の出身で、墓のある竜潭山妙徳寺は、今年の僕の配達エリア。梯久美子『散るぞ悲しき』(新潮社)は読んでたんだけど、その時点では、自分が松代を配達するなんて思っても見なかったから、読み飛ばしてて、菩提寺のことはつい昨日知ったばかり。

 そういう面でも映画には興味津々。硫黄島と松代のことも担当者ニュースの記事にしてみよう。

精神世界への“誘い”

2006-06-29 21:24:35 | 歴史
 長野の最高気温30.6℃。いやあ、暑かったねぇ。ウチから麦茶、あとペットボトル2本に入れた水を冷凍の蓄冷剤で凍らせたモノと合わせて1.5ℓ。それに烏龍茶1本にソーダ水とスポーツドリンク各1杯を配送中に貰って、全部飲み干しました。ああ、それから熱いお茶を3杯・・・水分を提供頂きました皆様に心からのお礼を申し上げます(=^▽^=)。
 大分涼しくなった午後10時過ぎではありますが、まだまだ喉が渇いてるんで、これから黒エビスを飲ませていただきます!
 帰りに平安堂川中島店に寄って見たら、小林よしのりさんの新刊『いわゆるA級戦犯』が平積みになってたんで拾い読み。「戦勝国裁判」として、勝者の裁きであり、裁判の体をなしていない。唯一の国際法の権威である“パール博士の日本無罪論”が出て来るのは、言うまでもない。
 


  東京裁判を全面否定すべきものなのかは、わかんないんだけどね、ただ左翼を中心とする側が、「裁判に問題がある」ということは認めながら、それがどういう問題なのかに“頬かむり”して、戦争犯罪人を裁いた意義を強調するってのはどうなのかって疑問はずっと付きまとってるわけ。別に戦犯が聖人君子とは思ってないし、当時の選択が最善のものであったのか?という歴史的な検証は必要だとは思うんだよ。ただ、指導者を断罪して済ませていいのか?ということね。
 オレの大叔父がB級戦犯であると言うことと関係あるんだろうけどさ(確か服役中に死亡したハズ)。
 最近は福音書関連の正典や外典を読みたいという聖書関連やキューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』とか、なんか精神世界への誘いってのがあって読みてえなぁと言う気持ちもあるんだけど、東京裁判という近代史への興味もまたふつふつと。読みたい本が山のようにあって時間がいくらあっても足りないなぁ。
 今、「センス・オブ・ワンダー」のDVDを見てる。沈黙の春レイチェル・カーソンの作品の映画化。何か和むねぇ、癒し映像として。

宮内庁御用達は戦後廃止されたが

2006-05-15 19:50:22 | 歴史
 昨夜はよく休んだはずなのだが、1班目の配達で荷物を降ろし始めたら、何だこの倦怠感は・・・>(-"-;)。こりゃ高田との往復の運転疲れだな、こりゃ。
 昨日の日記ではアレコレ書いたものの、何だかんだ言ったって自分の生まれ故郷だからね、上越:高田ってのは。住んでいた県営アパートやその周囲を散策したときはかつての思い出が走馬灯のように甦ったし、古い家並みはやっぱり大好きだよ。
 その町並みにある飴屋:高橋孫左衛門商店の初代が「粟飴」を製造したのは寛永元年(1624)というから、江戸時代初期にまで遡る。
 四代目が寛政2年(1790)にもち米を原料にした淡黄色透明な水飴を製造することに成功して一躍、全国に名を轟かせたというから、大変な老舗だわ。



 この店に飾ってあった新聞記事によると甘党の昭和天皇の大好物で、日に3度召し上がられ、病状悪化で食べものを口にされなくなってから、最後の召し上がりものになった・・・という(崩御直後の新潟日報)。
 「東海道中膝栗毛」の著者、十返舎一九も長野:善光寺に参詣後、高田城下に入って5日間滞在し、その間にこの飴屋でもてなしを受け(文化11年:1814)、それを道中記「金の草鞋」に書き残している・・・と店で貰ってきた資料にある。味?特別おいしいもんじゃ…っていうか、こういう味のものなんじゃないの。
 若井敏明『平泉澄』(ミネルヴァ書房)読了。皇国史観の教学に勤めた歴史学者として悪名高い反面、中世史の研究者として評価の高かった異端の歴史学徒についてまとまった評伝を第三者が物にしたのは初めてじゃなかろうか。やや難解なものの、実に面白い一冊だったよ。
 “悪名高い”と言えば、戦国時代の武将で思い浮かぶのは、“梟雄”として名高い松永久秀だろうけど、オレだったら、篭城していた場内から逃げ延び、信長に妻子以下、一族を皆殺しにされながら、一人生き残った荒木村重が真っ先に思い浮かぶ。さっきアマゾンのマーケットプレイスで届いた黒部亨『荒木村重 惜命記』(講談社)は村重を題材にした数少ない小説だ。一見して面白そうだな、と思う。果たして読む時間あるだろうか。

夭折の画家に思いを馳せて

2006-04-09 16:44:53 | 歴史
 満腹になったところで前々から行きたいと思っていた信濃デッサン館へ。生島足島神社からは車で10分程度・・・近くには前山寺があり、同じ窪島誠一郎氏が館主を務める無言館もある。今回は今まで何回か行ったことのある無言館はパスして、去年5月に2~3年中には閉館と報道のあった信濃デッサン館に行くことにする。
 前山寺のすぐ近くにある蔦で覆われた建物。こりゃ放置すればすぐいい味を出した廃墟になりそう(^_^)v。ちょっと入るのに躊躇するような外観。



 収蔵される作家が、「夭折(ようせつ)の作家」と呼ばれる若くして亡くなった作家ばかりで、多くはデッサン画。この中で知ってるのは村山槐多くらいだけど、展示にあった野田英夫の絶筆「野尻の花」を脳腫瘍で目に変調を来たし筋肉が動かなくなり、絆創膏で目を吊り上げて描くという壮絶な創作活動という話には驚く(自分も目に病気を抱えているから余計そう思ったのかも)。
 個人収蔵の美術館とはいえ、展示数と比べて入館料700円というのは少々高い。と言って安くして成り立つかって言うと・・・ねぇ。
 隣接する喫茶「独鈷」でコーヒー。暖かな日差しと塩田平を一望できるロケーションでゆったりとした時間を過ごす。いいねえ、のんびり出来て。



 最後に寄ったのが戸倉駅近くの国道18号線から少し入ったところにあるキティーパーク。勾配はキツイけれども憩いの場になっていて、車で登っていくと高台の上にありましたありました・・・国道から見えて前々から気になっていた千曲天狗が。“身の丈8.08メートルで天狗の像としては日本一”っていうけど、天狗像と言ったって普通は屋内にあるもので、天狗の像が屋外にあるってコト自体珍しいだろう。周囲には桜の木が一杯あって、花見のときはキレイだろうねぇ、いいなあ、こういうところで旨い酒をぐいっと飲みたいもんだ。 

農民美術から山本勘助まで・・・歴史は知らないことばかり

2006-04-09 16:42:37 | 歴史
 オヤジの介護から解放された日曜なんで、久々にお袋がかつて住んでいて以前から行きたいと言っていた上田に一日お付き合い。お袋が上田に住んでいたのは半世紀も前の話。最近は上田との接点は弟(オレから見れば叔父さん)が住んでるくらいのもので、あまり行き来するような用事はない。じゃあ、何でこんな話になったかと言うと、今年の年賀状で以前木彫りを習っていた先生から自費出版で本を出したとの記述があって、欲しくて探してみたけれども、出版社もわからないし、長野の書店をいくら探しても見つからない。先生が住んでいる一度上田に行って探してみたいということなのだ。よし、本の検索なら任せとけ!(^o^)v-~~~。
 


 本のタイトルは『信州の木彫り 農民美術と共に』。農民美術という運動を(上田が発祥らしい)日本に持ち込んだ先達:山本鼎に学んだ著者が書いた自伝風の読み物で、上田城跡公園にある山本鼎記念館もずいぶん前に見に行ったことあったよなぁ。だったら、地元書店でそういう部分に強い平林堂書店ならあるだろう・・・と見当を付けていったら、ドンピシャ!昨日注文したばかりの『瞽女さん 高田瞽女の心を求めて』まで売ってたぞ。なあんだぁ、あると知ってたらネット注文なんてしなかったのに(泣)。



 昼飯はお袋が一度も行ったことがない生島足島神社ヘ。境内にある歌舞伎舞台には武田信玄が支配下の諸将に忠誠を誓わせる起請文(重文指定)が収められていて、有名どころでは真田昌幸(幸村の父)のものがあったりする。ま、実際に展示してあるのはかなり精巧に作られた複製品なんだけどね。
 そういや、来年の大河ドラマの主役は武田信玄の軍師:山本勘助。「その人の起請文はないの?」と聞かれたけど、勘助って実在が疑われてる人物じゃなかったか(ウィキペディアの記述)?ただ、勘助の墓とされるものは「長野市の千曲川土手下にある」そうで、こんな近くにあるとは知らんかったなぁ・・・。一度行ってみなくてはね。