ダウン症の響輝と合併症と共に・・・

喜んだり、泣いたり、笑ったり、怒ったり・・・♪きっと、乗り越えられる・・・

地震・・・卒業&お別れ

2011-03-29 | 日常
3・11の地震から、本当に色々な出来事がありました。

この日は、カフェで学校のお友達ママと打ち合わせをしていました

学校のお迎え時間になりお友達ママが先に我が家をでました

それから・・・・5分後

大きな音と共に・・・・

家が大きく揺れ始めました

最初は立ちくらみをしたのかと・・・・

違いました

揺れは更に大きく長い時間揺れてました

お友達ママは大丈夫だったのかと携帯に何度連絡いれても

つながりません・・・

外を見ると信号なども消え停電していました

ここから、パニックになりあちこち電話を入れていたのですが皆・・・・

繋がりません

しばらくすると、テレビの映像からあの地震の津波の映像が流れてきました


これは日本なの

目を疑いました

テレビの映像に吸い込まれるように津波の襲ってくる瞬間から

家が流され飲まれていくのを見ながら声さえでませんでした

福島にいる知り合いは大丈夫なのか?

安否はどうなのか?

今でも分かりません

テレビと自分達の生活の時間が進み・・・ 

私の地域は停電していたお家がかなりありましたが

我が家は大丈夫でした

お友達のお家はみんな停電で家へお湯を取りにきたり避難しにきた人も

います夜になって、やっと連絡とれた友達や娘も他市から

交通手段がなく帰宅困難で心配や不安が更に増して

パパも停電の中夜遅くにやっと家に着きました。

毎日、毎日、目を疑うような津波被害や安否情報が未だに

分からない方、避難所で余震もまだある中、不安と辛い気持ちを

抱えながらの避難生活・・・・本当に映像を見ては涙が溢れ

被災地にいない自分さえショックで眠れなかったりしていたら

とうとう、富士宮地震が起こり、家はガラスブロックが倒れたり

割れたり物が散乱したりとしました

その晩は怖くて余震があったりで一睡も寝れず

散乱した部屋も片付けられず、何とか翌日に片付けはじめました

こちらで、おきた地震でさえ怖かった、被災地の方々は今でも

毎日、怖い思いしているのですよね。

被災者の皆様、寒い中での避難生活ご苦労様ですm(__)m
心よりお見舞い申し上げます。

一日も早く復興できます様にと心から願います。

今回はこんなに大きな地震がり響輝の障害児の避難状況をしっかり

と受け入れて頂ける場所を確保しなければと強く感じました。

在宅酸素使用しながら経管チューブや医療を必要とするこども達の

避難場所がどうなっているのか?早急に話し会わなければと思います。

富士宮地震から二日後、次男の小学校の卒業式がありました。

前日、寝込んでしまった私・・・

どうにかしても卒業式は行かねばと薬を飲みふらふらで

卒業式に出席しました。




次男も4月から中学生

本当に大きくなりました

私より大きくなって見上げてしまいます(笑)

式で賞状を頂く時、一人ひとり、大きな声で将来の夢を語るんです。

次男は、考古学者になってチームを作り昔のことを沢山知り勉強して

今の時代に出来ることをしたいようです。

そんな事を考えていたなんて、本当に考え方も体も大きくなって

誇らしいなぁ・・・

自分の地位をあげ響輝を当たり前に環境も受け入れられる状況を

次男は作りたいんだと想います。

ボクが響輝を守ると胸に抱いてくれているようです。

そんな、次男も早、中学生・・・

長男は成人、長女は高校3年、次男は中学入学、響輝は支援学校2年生

最近の響ちゃん・・・

今年に入ってから酸素が手放せなったのですが

やっと、少しずつ温かくなり体調も回復傾向に向っています

先日、学校の響輝の担任の先生が移動が決まり

違う学校へ・・・


離任式に行きました

響輝も朝からお別れを少しずつ感じていて

お別れ会の時には先生の近くにいたのか(泣)

ずっと、離れようとしませんでした

M先生から教えていただいた沢山のこと・・・

響輝に、ちゃんと伝わっています

いつでも、親と同じ目線、専門の教えを取り入れながら

1年間、お世話になりました

密度の濃い時間を先生とはしてこれたこと

本当に感謝しています

きっと、始業式・・・

響輝M先生を捜すはずです

しばらくは慣れないと思うし、又、新しい出会いに・・・

響輝も経験していくんだね

家に戻り、先生とさよならしたね・・・と言うと

首を横に振り??涙目で怒ってましたぁ

最近の響輝は、男の子らしい仕草をするようになってきました

テーブルの上に上ったり、いたずらしてみたり

わがままにもなってきましたぁ

自己主張や表現も少しずつ感じます

4月から2年生

日本の皆が今を懸命に生き被災地の復興が進み又、活気のある日本へと

なるように願うばかりです。