癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

★【大相撲の元横綱千代の富士の九重親方、東京都内の病院で死(去61歳)】

2016年07月31日 21時05分39秒 | 【訃 報】

    対北の湖                         

大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。

同親方は2015年名古屋場所を全休し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けた。その後は職務に復帰していたが、最近はがんの転移が見つかったとされ、闘病を続けていた。

土俵の審判としといて姿が見えないと思って居たが病と闘って居たんですね。昔の面影が思い出されますが余りにも若い御呼ばれにどれ程悔しかった事でしょう。

ご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます、安らかにお休み下さい  合 掌


★【大橋巨泉死去】・・・・・急性心不全で!

2016年07月20日 10時29分47秒 | 【訃 報】



がんとの闘いを続けているタレントで元国会議員の大橋巨泉(82)が、休載していた週刊現代のコラムを27日発売号で最終回とすることを明らかにした。体力が戻らず、意識不明に陥ったこともあり、「何時まで生きられるかわからない」と深刻な病状を告白した。

 コラムによると「今週の遺言」と題した連載は今回で344回。1994年に執筆を始めた「内遊外歓」を合わせると930回を数える。中咽頭がんなどを患っている巨泉は治療のため、4月9日号を最後に休載。復活した今回、無念の終了告知となった。

 巨泉とがんの闘いは10年ほど前にさかのぼる。2001年の参院選で民主党から出馬し当選するも、半年で辞職。政界を離れると海外に長期滞在し、一時帰国するとテレビ出演などメディアに登場。05年に胃がんが判明し、手術を受けた。

 13年に中咽頭がん、14年にリンパ腫と病魔に襲われ、昨年5月には肺がんの摘出手術。これを乗り越えて6月放送のテレビ番組で元気な姿を見せて、「4度目のがん手術から復帰」と話題を呼んだ。

 最終回のコラムで巨泉は、ベッドの上で夫人と弟の力を借りて原稿作成に取り組んだと報告。がん細胞は「静か」だが休載当時から体力と気力の衰えが著しく、一時入院から退院後の4月上旬に容体が急変し、意識を失って救命措置を受ける事態になったという。

 60年代後半から「11PM」、70年代に始まった「クイズダービー」、80年代の「世界まるごとHOWマッチ」など数々の人気テレビ番組の司会で人気を呼び、テレビの申し子のような存在だった巨泉。ジャズや競馬にも造詣が深く、政治の世界にも足を踏み入れた。

「このままでは死んでも死にきれない」と書いた巨泉は、最後の遺言として「安倍晋三の野望は恐ろしいものです」。参院選で野党に投票するよう読者に呼びかけた。


60年前ころから当時の世相から子供に見せたくない時間帯の「11PM」を開発構成したアイデアの持ち主でもあった様だ。巨泉さんも、がんには勝てなかったようだ.ズバズバ物事を言う事が人気の秘密だったようだ。
しかし、余生はカナダでの生活が多かったと聞くが最後は故郷の日本を死に場所に選んだのだろう。
  
がんで悩み亡くなって逝去された大橋さんの御冥                          

    福を心から心から悼み御冥福をお祈り申し上げます
                     合  掌
                         


★【永六輔さん大往生】・・・・種々の成果を残し幸せな生涯だったことでしょう!

2016年07月11日 19時30分04秒 | 【訃 報】

      

坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」などの作詞で知られ、戦後日本の放送、音楽界で長年にわたって多才ぶりを発揮した放送作家、作詞家、ラジオパーソナリティーの永六輔(えい・ろくすけ、本名孝雄=たかお)さんが7日午後1時57分、肺炎のため東京都の自宅で死去した。83歳だった。東京都出身。葬儀は近親者らで済ませた。後日、お別れの会を開く予定。

 旧制中学時代からNHKのラジオ番組で投稿コントが次々に採用され、マルチタレントの草分けとされる三木鶏郎に見いだされ、早稲田大在学中に放送作家、司会者としてデビュー。やや甲高い声に早口で語り掛ける独特の口調で、ラジオや草創期のテレビで活躍した。

 「上を向いて歩こう」を作曲した中村八大さんや、いずみたくさんとのコンビで数々のヒット曲の作詞を担当。中村さん作曲の「黒い花びら」(歌・水原弘)は1959年の第1回レコード大賞を受賞、61年の「上を向いて歩こう」は米ビルボードチャート1位の世界的ヒット曲となった。他にも「いい湯だな」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」など、今も多くの人が口ずさむ名曲を世に出した。

 エッセイストとしても数々の作品を発表。94年に出版した「大往生」は200万部を超えるベストセラーに。2002年1月に妻昌子さんを2人の娘と共に自宅でみとり、愛する人を失った思いを「妻の大往生」などにつづった。

 親友の黒柳徹子さん司会の「徹子の部屋」や「遠くへ行きたい」など数少ない番組を除いてテレビから遠ざかったが、パーキンソン病や前立腺がんと闘いながら、最近までラジオ番組の出演を続けていた。

 事務所によると、最後のラジオ番組となったTBS「六輔七転八倒九十分」を6月末で終了することを決めてからも、「あいさつだけでも届けたい」と復帰を目指して自宅療養に励んでいたという。(日刊スポーツ) 

独特の語り口でピアノを弾く永さんの昔の姿を永久に想い出す事でしょう

ご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます。長い間ご苦労   様でした。
          合 掌


★【鳩山由紀夫元首相・邦夫氏(67)急死】・・・・弟鳩山由紀夫氏の話し!

2016年06月22日 16時24分32秒 | 【訃 報】

        

元総務相の鳩山邦夫氏(自民党)が67歳で急死したことが22日わかり、兄の鳩山由紀夫元首相が悲しみのコメントを発表した。

 「3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません」と突然の訃報に愕然とした様子。「二週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診したのですが『その気はないよ』との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました」と語った。(スポーツ報知)

 弟邦夫の突然の訃報を聞いて、大変驚いております。
3年前に母が亡くなりましたが、まさかこんなに早く邦夫まで逝ってしまうとは信じられません。二週間ほど前に、都知事選に弟の出馬を期待している方がおられたので打診をしたのですが、「今はその気はないよ」との返事でした。それが弟との最後の会話になってしまいました。何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。(wev抜粋)

     


      総務相、文相などを歴任し、東京都知事の話がありながら67才の若さで逝去し、どんなに心残りがした事だったでしょう。
 急折した邦夫様の心から御冥福をお祈り申しあげます。
                     合 掌                
                       


★【蜷川実花氏、父・幸雄死去】・・・・・・斬新・激しい愛情で指導した世界の演出家

2016年05月12日 20時39分19秒 | 【訃 報】

    

演出家・蜷川幸雄さんの訃報を受け、娘で写真家・映画監督の蜷川実花氏が12日、自身のインスタグラムを更新し、追悼の言葉をつづった。

 実花氏は窓越しの花の写真をアップし、「今日、父が逝ってしまいました。最期まで闘い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います」とコメントを添えた。

 蜷川さんは昨年12月半ばに軽い肺炎を起こし入院。現場復帰を目指し強い意志のもと治療とリハビリに励んできたが、12日午後1時25分に肺炎による多臓器不全のため、死去した。80歳。

 通夜は15日午後6時、告別式は16日正午より東京・青山葬儀所にて執り行われる。喪主は妻の宏子さん。

 実花氏は写真家として活動をスタートし、2001年に「写真界の芥川賞」と言われる木村伊兵衛写真賞を受賞。07年に土屋アンナ主演の映画『さくらん』で監督デビューし、父と同じ演技の分野に進出した。映像作品では沢尻エリカ主演の映画『ヘルタースケルター』(2012)、AKB48「ヘビーローテション」(2010)や三代目 J Soul Brothers「花火」(2012)のミュージックビデオなどを手がけている。

 演出家として娘と一緒に仕事をしていたようだが、現場進出を夢見ての病床についていたようだが、どれ程心残りだったかが伝わってくる。
後をついて娘さんが頑張ると思われます。最後までご苦労様でしたと哀悼の意を表します 合 掌