闘病記(脳梗塞・脳動脈瘤)

今から11年前の31歳の時に、脳梗塞を発病し、それ以後、3回の脳梗塞と脳動脈瘤を併発。それでも1日も諦めなかった。

旭川への旅立ち

2008-12-07 17:05:36 | Weblog
  2005年   平成17年  11月  ①     40歳


 旭川赤十字病院脳神経外科、副部長瀧澤医師からも入院の手続きにあたり、色々とメールを頂きあっという間に1ヶ月が経ち出発の日が来た。出発前日は緊張で一睡も出来ず。(病院着いたら爆睡すればいいや・・・。)と言う軽い気持ちで飛行機に乗った。11月14日北海道は寒かった。 
病院に着いて直に脳神経外科副部長、瀧澤医師の問診を受けた。ビックリしたのが瀧澤医師の服装であった。上から下までグリーンの手術着姿おまけにグリーンのキャップまでかぶられて何時でも手術はOKです。といった服装でこれには正直ビビリました。問診終了後、恵美子が「先生は何時もそういう格好なのですか?」と聞くと「だって、この格好が一番安いから。」とあっさりとした答えであった。この医師も上山先生と同じ様に仕事には厳しく真面目で1年間1日も休まず出勤しているという身体は細めだが鉄人の様な医師で頼もしかった。この先生も安心して任せる事ができる!と確信した。
病室に着くや直に担当の看護士がやってきて一番奥の会議室に連れて行かれ1対1で色々と質問が始まった。彼女の名前は岡崎朋美さんと言い私の担当になってくれる看護士さんらしく身長、体重から過去の病歴、手術した経験など1時間近く聞かれた。そして、血液検査、MRIを撮り終わりねむくなってきたのでベッドに横になっていると、ぱっと起された。恵美子の声がして起された。「宏ちゃん。上山先生だよ!」上山先生は私の短く刈り込んだ頭を見るや「あっはははー。気合入っているな。もうそれ以上切らなくてもいいからね。後は手術日まで待ってて下さい」と簡単な声をかけてくれた。何故か上山医師に声をかけてもらうと安心する。不思議な物だ。
 手術日が延期になる事が決まり、早速、瀧澤医師に頼み込んで外泊許可を貰い、旭川駅前にあるワシントンホテルに2泊した。旭川と言えば旭川ラーメンと言うほど味に自信のある店舗が数多くひしめくと言う事で駅の側にある蜂屋と言う店にいった。しかし噂ほど上手くは無かった。お客の数も少ないし味も今ひとつ。ぱっとしないなぁと言うのが正直な気持ちであった。ラーメンの好みもひとそれぞれだからなぁ・・・。すげえショック。
 あくる日は折角北海道まで来たのだからと言う事でジンギスカンを食べに行った。しかし、その店のジンギスカンも思ったような味では無くたれが甘くてああ言う焼肉を初めて食べた。(あーぁ明日から又入院か!)憂鬱な気分で雪道をテクテクホテルに急いだ。


 北海道!僕はまだ、”北海道”と言う所に行った事がなかった。
皮肉なもんですよね~初めて訪れる場所なのに、それが手術なんて!!  
でも、そんな事は言ってられません。命に関わる事なんだから 

  いよいよ明日は手術です