2005年 平成17年 9月 ① 40歳
9月に入り、その後、めまいは、不思議と治まりました。何時も起こる目まいは、1、2分でおさまる為、まあ何時、物事と鷹をくくっていた矢先、9月14日夜、大脱走のテレビを観ていたら物がまた二重に見え、左目が斜視になってしまった。頭がくらっとして立っていられない。“もう俺は駄目かも知れない!”とその時思った。
その晩は、都立大塚病院に搬送されたので当直の医師、Y先生の診察を受けると、「飯岡さん。今は手の施しようがありません。」と言われ、その時、いつも気丈な恵美子がその場で倒れてしまいました。
かなりのショックだったのでしょう。それから、一先ず点滴治療をして貰い、一晩様子を見る事となりました。
ベッドは空いてないけども、婦長さんに言って無理にあけてもらう。この状態で飯岡さんを家には帰せない。」と言って頂き、何とかその夜に緊急入院する事が出来ました。そして、その晩は熟睡しました。
翌日、主治医のO医師に起こされ触診され「よし。解った。ちょっと待っててね。」O医師に「ステロイドを投与してみよう、もしかしたら治らないかもしれない。」と言われた。が、入院後3日位経って薬の効果が序々に効き、目が普通に見える様になった。
斜視になっていた左目も正常に回復した。
恵美子は、毎日毎日病院に来てくれて心の支えになってくれました。
お袋や親父も来てくれ嬉しかった。兄姉家族も来てくれ、友人も皆見舞いに来てくれたよ。俺は人に恵まれている。その事が俺の宝物。日曜日になり眼帯もはずれ、一人で歩けるようになって、やっと一安心。21日に無事退院しました。O医師に「また、眼の発作は何時起こるかはわからない。」といわれ、今は毎日恐怖感と背中あわせで暮らしています。もう今の俺の状態は、何時未破裂動脈瘤が破裂し死ぬか、また何時脳梗塞になり半身麻痺状態になるかもしれない。もう何時どうなるか解らず状態なの。そこで、未破裂動脈瘤だけはここいらで開頭手術してほんの少しでも心の不安を取り除こうと思っています。
「人間て言うのは、病気になりたくてなる人はいないの。人間はまず自分の事を一番に考えるの。そして、余裕が出てくると他人の事を考える。今の俺には時間が無い。手先が自由に使えないから手紙も手書きで書けない。俺みたいのは、こうも次々と色々な病を背負うのはもうこれは俺の運命なの。神様が「あなたはこういう道を歩きなさい。」と道を示してくれたんだよ。」
9月に入り、その後、めまいは、不思議と治まりました。何時も起こる目まいは、1、2分でおさまる為、まあ何時、物事と鷹をくくっていた矢先、9月14日夜、大脱走のテレビを観ていたら物がまた二重に見え、左目が斜視になってしまった。頭がくらっとして立っていられない。“もう俺は駄目かも知れない!”とその時思った。
その晩は、都立大塚病院に搬送されたので当直の医師、Y先生の診察を受けると、「飯岡さん。今は手の施しようがありません。」と言われ、その時、いつも気丈な恵美子がその場で倒れてしまいました。
かなりのショックだったのでしょう。それから、一先ず点滴治療をして貰い、一晩様子を見る事となりました。
ベッドは空いてないけども、婦長さんに言って無理にあけてもらう。この状態で飯岡さんを家には帰せない。」と言って頂き、何とかその夜に緊急入院する事が出来ました。そして、その晩は熟睡しました。
翌日、主治医のO医師に起こされ触診され「よし。解った。ちょっと待っててね。」O医師に「ステロイドを投与してみよう、もしかしたら治らないかもしれない。」と言われた。が、入院後3日位経って薬の効果が序々に効き、目が普通に見える様になった。
斜視になっていた左目も正常に回復した。
恵美子は、毎日毎日病院に来てくれて心の支えになってくれました。
お袋や親父も来てくれ嬉しかった。兄姉家族も来てくれ、友人も皆見舞いに来てくれたよ。俺は人に恵まれている。その事が俺の宝物。日曜日になり眼帯もはずれ、一人で歩けるようになって、やっと一安心。21日に無事退院しました。O医師に「また、眼の発作は何時起こるかはわからない。」といわれ、今は毎日恐怖感と背中あわせで暮らしています。もう今の俺の状態は、何時未破裂動脈瘤が破裂し死ぬか、また何時脳梗塞になり半身麻痺状態になるかもしれない。もう何時どうなるか解らず状態なの。そこで、未破裂動脈瘤だけはここいらで開頭手術してほんの少しでも心の不安を取り除こうと思っています。
「人間て言うのは、病気になりたくてなる人はいないの。人間はまず自分の事を一番に考えるの。そして、余裕が出てくると他人の事を考える。今の俺には時間が無い。手先が自由に使えないから手紙も手書きで書けない。俺みたいのは、こうも次々と色々な病を背負うのはもうこれは俺の運命なの。神様が「あなたはこういう道を歩きなさい。」と道を示してくれたんだよ。」