東電は、放射線を当てた百合の球根を売っていました。

2011-11-10 21:47:24 | 東日本大震災

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僕の父は、岩手県雫石人。僕の母は、千葉県銚子人。僕はその、合いの子で岩手県雫石に住んでいる。もう34歳で、そんな話・・・、とは思うけど、そこが面白い。現代人は、過去の知恵をおろそかにしていると思う。テクノロジーによってもたらされる快感に溺れてしまい、過去のリアルな知恵を、今風に言ってしまえば情報を、蔑にしている。戦後を検証すべき時が来た!
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*冒頭の、銚子の爺さんの写真は、本文とは関係ありません。インパクトが欲しかったんです。
まずは、ホットな『東電』、『原発』の話。
僕の母は、東京でバスガイドをやっていた。ふと、その時の話を、酔っ払っていた合いの子にしてくれた。
原発のニュースも、何らかの事情でしょう・・・(失笑)報道されなくなって久しい今の世の中・・・、東電のずさんな営業の話だった。この記事が、どこか出版社の目に留まり追って取材をしてもらいたいとも思っている。
以下。
日本初の原発施設、東海村が茨城にできた。当時の報道では、新世界のエネルギーだと大々的に宣伝していたらしい。何の疑問も持たずに、「そうなのか」と思っていたらしい。しかし、これは当然のことで疑問を持てる人が、その時日本に何%いただろうか!?1%を切っていたと思う。
そんな時代が進んで、今回の震災の事故になった。
当時、母はバスガイドをやっていた。東海村へのガイドが、ブームだったらしい。誰かれ構わず、都会人も田舎者も、東海村へバスで出掛けていた。
ある日、母は土産物屋で、こんな商品を目にする。
『放射線を当てた、百合の球根』
母は、自分の実家へとその百合の球根を購入する。放射線関連のお土産は色々あったが結構な値段がしたらしく、その中でも安価なものを購入して実家にあげたと、母は話している。

 そんな球根は、庭の一番目立つところに植えられた。その球根は、花を付けた。

 人通りの多い、道路に面したその百合は、大きな花をつけた。それも「一度通り過ぎた人が戻ってくるほどの、異様な大きさの花だった!」と、婆さんが言っていたらしい。

 その当時、カサブランカという品種は本土に入ってきていなかったから、その位の衝撃を持った花だったのだろう。(母は、祖母の話しぶりから、カサブランカをマットな色調質感にしたものじゃないかと、推測している。)

 その話を聞いて、母は来年見に行こうと思った。そのことを忘れずに、次の年を待った。

 ・・・次の年。

 花は咲かなかった。芽を出すどころか、そのまま、死に絶えてしまった・・・。

 東電は、その当時、『そういう物を、一般人に売って儲けていた!』

 今となっては背筋が寒くなるようなものを、平気で売っていた。放射性物質を売っていたんだ。世界唯一の被爆国なのに。

 記憶が記憶を呼び、記憶に色を付けた。

 母は、「ジャガイモの種イモも売っていた」と話している。ジャガイモもその年は、伝説のジャガイモになっただろうというのは、容易に想像できること。ただ、百合と同じように次の年は、駄目でしょう。

 平気でそういうものを売っていたんだ。そんな中で、そのジャガイモを口にしてしまって被爆した人もいるでしょう。もうそれは、内部被爆ですね。それらで、寿命を縮めた人とかもいるでしょう。面白可笑しく、遺伝子をぶった切っておいて、新たなテクノロジーとか言っていて、ばんばん悪ふざけで振り撒いておいて、

その結果、何万人も福島に難民を作りだしているんだよね。

「電力料金上げて、知らんぷり!そして、継続!」

・・・決して、許されることではないね。

 

 

 

多分、僕は、『放射線饅頭』も、売っていたと思うんだ。

当時の、お土産の定番だからね。

今頃、どうしているんだろう?

当時の、『売店の人』は・・・?



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