ホームコンじゅく立科教室

「ブログ」とはホームページの形式の一種で「ウェブログ」を略した言葉です。Webに残される記録という意味を持っています。

32回目のゴルフ

2011年11月27日 | 日記

  OUT8番レギュラーティーから501ヤード・正面浅間連邦 12:30

今日は10月中旬の陽気になるという天気予報だ 8時家を出る時はマイナス1度となかなか気温が上がらない1日でした、シーズンオフという事で料金はビジター日曜で5,800円と格安の為ゴルフ場は満員御礼でビックリした、今日は東京の別荘族とNTTと何時ものK氏の4人でラウンドした、食堂は閉店しているので酒とつまみそれにムスビを持参した、K氏と日向ぼっこをしながら昼食をする予定が、プレーをしながら飲みながらの昼食となってしまった。こんな不謹慎なゴルフもこの時期でないと出来ないプレーた。
INコースからスタート48回・OUT46回で平凡なスコアーで終わるがとにかく楽しいゴルフであった、来週も又4人で回ろうと約束して別れた。

「日本リフティー長野県支部大会」に参加

2011年11月20日 | 日記
31回目のゴルフ


9月29日信毎朝刊に「集え 左利きゴルファー」の記事が信州ワイド欄に掲載された、仲間から入会して話を聞かせてくれと言われた、記事を抜粋すると「東信地方のアマチュアのゴルフ愛好者が、左利き(レフティー)の人たちだけで交流する組織づくりを計画し、参加を呼び掛けている・・・・・・・・レフティーだけが集まり、楽しみながら技術を向上させる試みだ、任意団体「日本リフティーゴルフ協会」(東京)の県支部として設立し、年4回の競技会を行っていく。・・・・・・・・

さて、心配していた天気も曇りのち晴れである、はやる気持ちというより緊張している7時家を出た7時30分本日の会場丸子カントリー正面には大きな立て看板がある、昨夜は発会式の前夜祭が盛大に行われたようである、飲み過ぎたと所々で話している内容が耳に入る、誰も知っている人はいない、不安ばかりが頭をよぎる、開会式そして集合写真「マルコケーブルテレビ」で撮影に来ている、

8:30サクラコースをスタートする、ダボ1.ボギー6.パー2で44回でホールアウトする、昼食やっとみんなと話が出来るようになる長野支部の事務局と、レフティ協会事務局長 東京本部から来た方と、丸子カントリーのメンバーでそうそうたるメンバーである。気分も良くなりジョッキー2杯飲んでフジコールへ、ダボ2.ボギー2.パー2と午前中と同じ感じで残り3ホールでヒョウと猛烈な雨と風が襲う途端にOBでトリ。ショートはボギーで上がったが最終ホールはOBで9回打って51でホールアウトする。

ずぶ濡れである風呂に飛び込み、3:40から表彰式である新ぺリア方式で総合で4位・シニアの部で何と準優勝である、優勝者は東京本部の事務局の方である、何事にもつかない私が最後の3ホール雨のお蔭でラッキーであった、「日本リフティー協会 長野県支部は23番目で今回は準備会で来年4月ごろには正式に承認されると本部の方から話が合った、話はまだまだ尽きないが長くなってしまったのでこの辺で


 本日の賞品である

30回目のゴルフ

2011年11月13日 | 日記

 out1番 2打地点残り280ヤードぐらい

朝は霧がまいて心配された天気も小春日和に変わり風もなく絶好のゴルフ日和となった、11月中旬なのに一杯の盛況だ、今日は先週回ったメンバーに師匠が入り9:00INコースからスタートする。47回でホールアウト昼食、OUTを43回で回る。今シーズン最高のプレーが出来たように思う、本日でバックティーからのプレーは最後である、クローズは23日であるが来週20日は丸子カントリーでコンペが予定されている27日の日曜日はシーズンオフとなりバックティーは使用できなくなる、冠雪までゴルフ場は営業はしているが今年は食堂を閉めてしまうので弁当持ちで行くようになるようだ、今年いっぱい雪が降らない事を祈りたい、

29回目のゴルフ

2011年11月06日 | 日記

いつもの場所out1番 カートにもカッパを被せ完全防御でスタートする

今日の天気予防は雨であるが1時間当たりの降水量は1mmとテレビのデータでは出ている、
師匠と一緒なら今日はやめましょうという事で話は終わりであるが、師匠から都合でキャンセルしたのでメンバーを組んであるので8:40スタートとメールが入っている7:45家を出た、スタート時間には 雨と霧で最悪のコンデションである、今日のメンバーは以前1度回った大学のゴルフ部を出たEさんと佐久のKさんと3人のラウンドである、さて今日のスコアーであるがOUT46回でホールアウト昼食IN45回で必死にプレーをした、ここに来て大分ショットも安定してきたように思うがアウトで8打インで9打と1ホールは、冷静さを欠いたプレーをする、後になってどうして?と後悔である、久しぶりに雨と霧の中でプレーをした、帰ってきて部屋にカッパとクラブを広げた、手袋は3個絞ると水が落ちる状態だ、よく頑張ったと満足の一日でした、

母の病気

2011年11月01日 | 日記

生徒が菊を持ってきてくれた、庭先の日蔭に置いた、1週間で満開になった、

1昨日の夕方から母の右足が腫れて痛がり歩けなくなってしまった、寝ていると痛みはないと話す、トクホン等を張り休ませた、トイレに行くことが難しくなり遂に「紙オムツ」を付けた、トイレに行きたいと頑張るので「オマル」を用意した、3回女房に手伝ってもらいながら済ませたと聞いた、翌朝顔を出すと憔悴しきった顔で「こんなになってしまって生きるのは辛い、何とか死げないか」と訴えた、女房も一生懸命やってくれているから早く元気にならないといけないよと言った、掛かり付けの「岩下医院」へ連れて行きレントゲンを撮って頂く、骨には異常はなく年寄りになると痛風に似た症状で多くのお年寄りがなるという、先生にお願いして点滴をして痛み止めと絆創膏をだしていただく、午後は夕食時までぐっすりと寝た、杖をついてトイレに行く、一安心と早めに休む。

―――朝、机の上にメモがある―――

1.杖ついて、第1歩 歩き始めた、一歩、一歩また一歩、一歩
少々気になる第1歩、夜の寂しさしりて、
 昼寝をし過ぎて目が覚める、九十二歳の年を数えたりて知りぬ
  足が張りあがって、知りぬ真夜中の、真夜中の二時三十分
“原文のまま”母の年は満95歳9か月である。本人は認めていない、

その後はよく寝たようだ、珍しく朝食を持ちに来て足は大丈夫かいと女房の足を築かう、自分の足の事はすっかりと忘れていることに苦笑する、だいぶ良くなったようだが、痛み止めの薬が効いているようだ、今日は車椅子で楽しみのディーサービスの車に乗って出かけた。