「五つの銅貨」 1959年 レッド・二コルスの伝記
解説
ジャズミュージシャンの物語映画としてこの時代に名画として残っている作品には、クラリネット奏者のベニー・グットマンの物語と、グレンミラー物語とこの作品が名画として残されている、レッド・二コルスはユタ州の出である、ユタ州というのはアメリカの牧場地帯で音楽などの文化事情には豊かな土地では無さそうで、ニューヨーク等へ出てくると田舎者扱いされる所らしい、彼は親父の跡を継ぐコルネット奏者だ、コルネットとは、トランペットと似ているが少し小さめの楽器だ。
この物語に出てくるデキシーランドジャズのルイ・アームストロング(通称サッチモ)の若い時の顔が出てくるのでそれ見たさにこの映画を見る人もいた。映画の中ごろでサッチモとの掛け合いで、「聖者の行進」が演奏されるが、このシーンが最高だ。兎に角、デキシーランドジャズをレコードにしたのはレッド二コルズのバンドが始めてだという話だ。
余談だが、物語性の無い物で、「真夏の夜のジャズ」という映画もあったが、これはニューオリンズジャズフェステイバルの記録映画である。ここにはこの頃の名ジャズミュージシャンが出揃っていた。
物語
ニューヨークへユタ州のアメリカの片田舎から出てきたレッド・二コルス(本名はアーネット・ローリン・二コルズ)はある酒場で痛飲する、其処でルイと飲んだ勢いで田舎の教会で覚えた「リパブリック賛歌(ヨドバシカメラの歌)」をルイとアドリブで協奏するそれがお客に馬鹿受けする、人を喜ばせて自分も喜ぶと言うのがジャズプレイヤーの心意気だが、ルイとの競演は新聞種となり、少しばかり有名になった、そして、其処で知り合った女性ウィラ・ストウッツマンが後に彼の妻となった。
しかし、二コルスは多分に自分の力量に陶酔して自己中心的なところが災いして、(この時代のジャズメンは大体そうだたのだが)バンドを直ぐにクビになってしまう、生活は楽ではなかった。
ドサ周りをする生活が続く中で、出来た子供を保育園へ入寮させて仕事を二人でしているうち、子供が両足の間接が動かなくなる先天的な病気であることがわかる、その頃には「五つの銅貨」などの曲がヒットしている最中だった、好事魔多しである。
家族思いの彼はそこでコルネットを捨てて造船所で働くようになる、ドサ周りは無いが全く違う仕事だ。
やがて、娘が大きくなり、ステッキで歩けるようになり、造船所への慰問で昔のバンドのメンバーだったグレンミラーとか有名なジャズメンが大成して演奏しているのを見るにつけ、娘に励まされて再びコルネットを吹く決意をする、7年のブランクがある、その復帰後初めてのステージで、ルイ・アームストロングが飛び入りでやってきて、「五つの銅貨」を二コルスと競演する、ステッキが要らなくなった娘の前で母親が歌う五つの銅貨だった。
感想
ジャズファンだった若い頃何度も見た映画だが、何度見ても好きな映画は良いもんだ。
感じた度 ★★☆