はずれの映画辞典

映画とは生きものの記録です、この世に生きる者が、こうして生きようじゃないかと訴えます。惚れた映画を毎日連載します。

記憶の中の映画ー五つの銅貨

2007-06-30 08:38:31 | Weblog
 

  「五つの銅貨」 1959年  レッド・二コルスの伝記

  解説
 
    ジャズミュージシャンの物語映画としてこの時代に名画として残っている作品には、クラリネット奏者のベニー・グットマンの物語と、グレンミラー物語とこの作品が名画として残されている、レッド・二コルスはユタ州の出である、ユタ州というのはアメリカの牧場地帯で音楽などの文化事情には豊かな土地では無さそうで、ニューヨーク等へ出てくると田舎者扱いされる所らしい、彼は親父の跡を継ぐコルネット奏者だ、コルネットとは、トランペットと似ているが少し小さめの楽器だ。
 
 この物語に出てくるデキシーランドジャズのルイ・アームストロング(通称サッチモ)の若い時の顔が出てくるのでそれ見たさにこの映画を見る人もいた。映画の中ごろでサッチモとの掛け合いで、「聖者の行進」が演奏されるが、このシーンが最高だ。兎に角、デキシーランドジャズをレコードにしたのはレッド二コルズのバンドが始めてだという話だ。

 余談だが、物語性の無い物で、「真夏の夜のジャズ」という映画もあったが、これはニューオリンズジャズフェステイバルの記録映画である。ここにはこの頃の名ジャズミュージシャンが出揃っていた。

    物語

 ニューヨークへユタ州のアメリカの片田舎から出てきたレッド・二コルス(本名はアーネット・ローリン・二コルズ)はある酒場で痛飲する、其処でルイと飲んだ勢いで田舎の教会で覚えた「リパブリック賛歌(ヨドバシカメラの歌)」をルイとアドリブで協奏するそれがお客に馬鹿受けする、人を喜ばせて自分も喜ぶと言うのがジャズプレイヤーの心意気だが、ルイとの競演は新聞種となり、少しばかり有名になった、そして、其処で知り合った女性ウィラ・ストウッツマンが後に彼の妻となった。

 しかし、二コルスは多分に自分の力量に陶酔して自己中心的なところが災いして、(この時代のジャズメンは大体そうだたのだが)バンドを直ぐにクビになってしまう、生活は楽ではなかった。
 ドサ周りをする生活が続く中で、出来た子供を保育園へ入寮させて仕事を二人でしているうち、子供が両足の間接が動かなくなる先天的な病気であることがわかる、その頃には「五つの銅貨」などの曲がヒットしている最中だった、好事魔多しである。 

     家族思いの彼はそこでコルネットを捨てて造船所で働くようになる、ドサ周りは無いが全く違う仕事だ。
     やがて、娘が大きくなり、ステッキで歩けるようになり、造船所への慰問で昔のバンドのメンバーだったグレンミラーとか有名なジャズメンが大成して演奏しているのを見るにつけ、娘に励まされて再びコルネットを吹く決意をする、7年のブランクがある、その復帰後初めてのステージで、ルイ・アームストロングが飛び入りでやってきて、「五つの銅貨」を二コルスと競演する、ステッキが要らなくなった娘の前で母親が歌う五つの銅貨だった。

     感想
 
      ジャズファンだった若い頃何度も見た映画だが、何度見ても好きな映画は良いもんだ。
 
     感じた度 ★★☆ 

記憶に残る映画

2007-06-29 07:53:11 | Weblog

 記憶に残る映画

 映画というのは、初恋の彼女と初デイトの時に二人で感動してそのあと盛り上がったとか、この映画はあの子と見に出かけたとか、その時の外的な事情で良かったりつまらなかったりするものだが、本当に記憶に残る映画は何度見ても感動するものだ、そんな映画をホームP「はずれの映画辞典」に載せているがそこからアイウエオ順に掲載してゆきたいと思います。

網走番外地 高倉 健  モノクロ 1時間30分 950年以前


解説

 言うまでも無く高倉 健さんの男意気のドラマ、かなり若い1950年以前の作品、表題のとおり網走番外地、網走刑務所の囚人達のドラマ。


物語

 ♪ 遥か、遥か彼方のオホーツク、赤い真っ赤な浜茄子が海を見てます、泣いてます、その名も網走番外地。
 網走駅、SLが音をたてて到着する、囚人が降りる、零下20℃、囚人達を乗せたトラックが網走刑務所に着く、マンドリンの音が物悲しい。

名簿、橘 真一懲役3年、(高倉健)房の中、先輩の雑居房の怖い主が居る、此処へくれば何をやって来ようが同じだが、各人自分のやったことを話し出す、前科13犯なんてのがいる、悪いことはみんなやってるようだ、先輩の自己紹介、お前ら8人殺しの鬼虎というのを知ってるか?しらねーだろうな、お前らが生まれる前の事だその鬼虎と兄弟の付き合いよ、と偉ぶるのが依田平蔵、老人が居る、残りが21年もあるという、何をやったか聞かねーで下せ、42番ですという。
 ♪ 人里、人里離れた折の中、この世に地獄があろうとは娑婆のメス子にゃ解るまい、知らなきゃおい等が教えましょう。

 深い雪の中を歩く囚人たち、看守が捨てた煙草の吸殻を倒れたフリをして拾う、森林伐採の仕事だ、休み時間、おいサッキのニコだしなと依田、こういう御馳走は先輩から戴くのがしきたりよ、と煙草の吸殻を取り上げてうまそうに吸う依田、依田と橘は合わない、喧嘩になりそうな時に作業開始の合図、喧嘩の続きは雑居房の中で始まる、橘は一人処罰房という独房へ入れられる。
 
 橘の故郷、母親に連れられて歩く小さな子供、足の悪い妹がおっかさーんとよぶ、母親は好きでもない貧乏たらしい男と再婚した、否応ナシにそこでの生活が始まる。
 再び独房。
 ♪ 一人、一人暮らしのお袋に、極道重ねた罰あたり、すまぬすまぬと手を突いて、涙で祈る番外地。

 27番の橘と依田たちとは合わない、刑務所の中の様子があれこれ見せられる。
再び橘の故郷、橘はその家に居たたまれず出てゆく、キット迎えに来るからと妹の美智子に言う、美智子の手には母が用意してくれた金が握られていた。
 刑務所、椿保護士(丹波哲郎)が橘の所へ面会に来る、仮釈放の申請中だったが例の事件で不味いことになったという、橘は、故郷のお袋の具合が良くないとの妹からの手紙で、お袋に一目だけでも会えるように取り計らってくれと頼む、極道を詫びて、それから自分の刑を受けるという、椿はこれを受ける。

♪ ドスを、ドスを片手に殴りこみ、切った張ったのこの渡世どうせおい等の行く先はその名も網走番外地。

 仮釈放が間じかの時、脱獄の話が房の中で出る、この時期に脱獄してでもお袋に一目会いたい、仮釈放の椿の事もある、悩む橘、やがてその決行の日、看守に房の中から仮病を使って腹痛を起こしたと偽り看守を呼ぶ、看守が病人を運び出そうとしたときに、老人の42番が、「担当さん、その病人はね寒さで腹痛起こしたんでみんなでさすってやれば治りますよ」という、担当看守はそうかそうしてくれと帰る、
 
 房の中では折角の脱獄の計画がこの42番のおかげで潰されたので怒った仲間は隠していたナイフで老人を殺そうとするが、老人は喧嘩には滅法強く、喧嘩の相手ではなかった、そして、俺の道ずれにもう一人連れてゆこうという、ブルってしまう房のボスの依田、お前さん誰なんだいの質問に、おれはあんたの話していた8人殺しの鬼虎だ。この一件で橘は救われる。

 つづきは、ホームP「はずれの映画辞典」

感想

 最後はかなり浪花節調だが、この映画が出た頃はこれがデフォだったらしい、ヤーさんがこの映画をみて、泣きながら映画館から出てきたというから相当なもんだったらしい。どこか西部劇調の所があって音楽が日本人向きの演歌調な所もまた面白い。

 感じた度  ★★★

戦争関連映画最終編ー独裁者

2007-06-27 09:17:13 | Weblog


  
  チャップリン「独裁者」1940年  

 解説
 チャップリンの映画といえば、映画がマスメデイアとして使われ始めた頃の映画であることは誰でもが知っている。
 喜劇ではあるが、その中に盛り込まれた人間の生き様、それが笑いの中にあるから心底から笑えるのである。
 この映画の最後の所で、チャップリンが俄か独裁者になってやむ無く演説を打つが、その演説の内容が、チャプリンの映画全てに通じる物があるのでコピーしてみた。

 物語 

       1918年ドイツナチがヒットラー総統の下ヨーロッパへの侵略を薦めているときの戦争のシーンから始まる、チャップリンはユダヤ人の床屋、兵役が終ると床屋を始めるが、ドイツ軍のユダヤ人迫害にあう、いろいろ物語りはあるが、物語より一人何役もこなすチャップリンの動きを見ているだけで笑える。

 最語に偽独裁者が軍隊の前で打つ演説がここだけマジ。

 「私は皇帝なんか大嫌いだ、征服するより救ってあげたい、ユダヤ人も黒人も白人も、人とは助け合うものだ、けっしてお互いに憎みあうものではない、人類はもっと豊かに暮らせるはずだ、本来人生とは自由で楽しいもの、なのに欲が人類をむしばみ愚かな戦争をひきおこした、
 技術は心を閉ざさせ、機械は心を枯れさせる、知識は猜疑心を生み感情のない人間を作った、必要なのは思いやりで機械や知識じゃない、暴力だけの人生は無意味だ、飛行機やラジオは人々を互いに近づけ、世界を一つにする力がある、私の声は世界中に届き、絶望した人にも届伝わる。

 罪なき人々よ時代の犠牲者達よ、負けてはいけない、欲や恐怖が消え去るまで耐えねばならない、やがて独裁者は滅び人々は力を取り戻すだろう。 自由はけして滅びない、兵士達よ目を覚ませ、何も感じないのか、奴隷にされ犠牲を払って家畜のように扱われても!やつらは人間じゃねえ心も身体も機械だ、君らは機械か?家畜か?愛を持つ人間だ。

 愛のないものだけが憎み合うのだ、自由のために闘うんだ、ルカ傳の17章にある「神の国は人間の中にある」すべての人間の中にだ、君らには幸せを作り出す力がある人生とは自由で素晴らしいものだ。民主主義のために団結しよう!世界のために戦おう。 

 若者に未来を、老人に安心を与えよ、これは今までは口先だけで約束が果たされていない、人々を奴隷にしただけだ、約束を果たし、自由のために闘おう!国境を取り払い欲と憎悪をなくそう!それが真の平和だ、。
 科学が進歩し人類が幸福になるよう団結しよう民主主義のために。
 (日本語スーパーをコピー)  

 戦争関連映画ー他国の戦争 おわり         

他国の戦争ー地雷を踏んだらサヨウナラ 

2007-06-26 08:04:09 | Weblog

地雷を踏んだらサヨウナラ 1999年  戦場カメラマン、一之瀬泰造の生涯

解説
 
求めよさらば与えられん、叩けよさらば開かれん、1972年ベトナム、カンボジアの国境付近では共産ゲリラが群がっていた、米軍の地雷はくまなくばら撒かれ一般市民を巻き込んでいた、其処での一之瀬泰造という戦争写真のカメラマンの辿った記録を再現した映画だ。

物語

 1972年カンボジア、ゲリラ戦の撃ちあいの中で、泰造は戦場カメラマン、チイムに出会う、彼の写真は100ドルとか200ドルで売れるが泰造の写真は露出不足などで10ドルか20ドル、高く売れる写真は人の一人ぐらい殺さなければ撮れないし命と引き換えじゃないと撮れないそして臆病じゃないと生き延びれないから撮れない危険を感じる勘も要る、と教わる。

 クメール・ルージュだと30ドル、これらのクメールルージュに守られているアンコールワットならゲリラと両方で2万ドルが相場だと聞く。泰造は普段プノンペンあたりで写真を撮っているが、時々ある村へ帰る、其処にはロクールという友人がいる彼は中学校の教師をしている、また其処の子供達に人気がある、其処の子供達は何時も地雷と共に生活して命がけだ、子供達は被爆してもただ泣くくだけで何のてだても出来ない、泰造も非情にも写真を撮るだけだ。
 
泰造はアンコールワットの写真を撮りたくて近くまで行くが秘密区域になって居る為に撮ってもフイルムを取り上げられてしまう、いろんな手立てを使ってやっと近くまで行くが、最後にカメラまで取り上げられて、肉眼で見るだけで最後には行方不明となる。

感想

 戦争の悲劇という物に見慣れてしまっている人には映画ではあまり感動しない、可也なシーンがあるが、それが戦争と言うもんだとそれが乾燥した形で頭に入る、其処へわざわざ出かけて行く馬鹿が居るか、という感じになるが、撮った写真は強烈な記憶として印象に残るものだ。 

感じた度  ★★☆

他国の戦争ー地獄の黙示録

2007-06-25 08:55:05 | Weblog
 
「地獄の黙示録」 1979年

解説

 ベトナム戦争の映画は、メジャーではないが、戦後ベトナム側から観たアメリカの攻撃の映画を何本か見た事がある。ベトナムの国民は、地獄を見ながらアメリカ軍の攻撃から逃れた、地下に穴を掘って、其処を通路にしながら逃げ回り最後には手の施しようが無くなりアメリカはギブアップした、ベトナム人の死か勝利か道は一つしかなかった彼らは身を呈して祖国を救った。

 そのアメリカ側から見たベトナムでの無意味な戦いを描いた作品である。

物語

 サイゴンのあるホテルの一室に、イライラしながらウイラード大尉が指令の来るのを待っていた、軍の指令を持った男が現れる、ナトランの情報部へ出頭せよという命令であった、その任務は、戦火のベトナムのナン川を遡って、カーツ大佐の世話人となれというものだった。 

カーツ大佐というのは、ある日傍受した無線によれば、「剃刀の刃の上をカタツムリが這って行く、彼らは俺を暗殺者と呼ぶ」という訳の分からない通信を最後に音信は途絶えた、度重なる戦火の中で人類愛に満ちた優秀な将校は異常者となった、自分を慕う部下を連れてカンボジアに入った、この戦争は、権力、理想、道徳観、を変える、彼は部下が崇拝する救世主にでもなったかのような行動をとり、正気を失った、お前の任務はこの常軌を失った大佐の足取りを追って最後に大佐を殺せという過酷な物であった。

 命令を受けてウイラード大尉は任務に着く、この時から、地獄への黙示録が一つずつめくられて話が進む、ナン川を遡るパトロール船、その中でカーツ大佐の情報を調べるウイラード、快適に走るパトロール船、人格者のカーツが何故部下とカンボジアへ逃避したか、なぜそんな事をしたのか疑問に思った。 

やがて第一ページ、ある川岸で上流までの護衛を頼む、激戦地でのべトコンとの戦闘が繰り広げられる、恐怖がパトロール隊を包む、あるときは前線基地の慰安にあったりあるときには敵の奇襲にあったりして犠牲者もでる、アメリカの兵隊がべトコンならいざしらず、味方の大佐をこんな犠牲を払ってなんで殺しに行くのかの不安にさいなまれる、最後に宮殿のような場所に行き当たり、そこにカーツ大佐が居る。 ここから、カーツとウイラードの戦争についての対話が始まる。

 感想 

 戦争というのは、ゲームではない、従っていくら特殊な訓練をして戦地へ向かっても戦場へ行けば事情が変ってくる、大佐ともなれば、筋の通った軍人であると同時に理性をも持ち合わせた人格者でもある。 

 戦況が良くない中で大佐ともなれば、軍隊の指揮に服さない部下の射殺なんかも想定されるし何の罪も無いベトナムの民間人をも殺す、それが戦争だからだ。

 長引く戦闘の中で、カーツは全く人格が変ってしまったといえるが、最後のユートピアでの生き方、それが何時殺されるか分からない戦争の恐怖から出てきた生き方であり、けっして軍当局から違反したものではないことを知っているが、逃亡という軍規違反からもう祖国には帰れない。 

「イフ・・・ならば」と言う言葉が通じないアメリカ軍隊のあり方が見えて面白い。
 これと似た映画で、「7月4日に生まれて」と言うトム・クルーズの映画がある
戦争の空しさを、独立記念日に生まれた軍人が訴える話である。
 アメリカでの反戦ののろしは、高度経済成長で消えてしまったが、20数年たった今再び起きはじめている。 

 感じた度  ★★★              

他国の戦争ー赤い月

2007-06-24 08:35:31 | Weblog


 赤い月  原作 富山省吾  監督 降旗康男  赤い月制作委員会 
      常盤貴子主演

 解説 

 大日本帝国が、満州に侵略した当時の歴史を題材にした映画は数少ない、この映画は、日帝の関東軍が占領した満州へ日本の民間人を送り込んだ、満州を植民地化しようと目論んだ民間人の記録である。

 物語 

 森田勇太郎は、小樽から一旗上げる目的で昭和10年満州へ渡った。場所は牡丹紅。森田酒造という会社を立ち上げ成功した。成功の影には、軍隊に内通したコネクション、特に勇太郎の妻の波子と恋敵の大杉中尉の功績が大きい。
 昭和19年、森田酒造は息子の一郎の着任を祝い、関係者を招いて盛大なパーテイーを開く、その中には、酒を販売する協和物産の氷室啓介がいた。氷室は社交的で、ダンスなども得意としていた。> 

 パーテイーは盛大に行われたが、この成功は勇太郎が築いたというよりも、軍のお陰で、また妻の波子のお陰だと思っている、自分は其処にはなかった、これからは、軍の世話にならず自分で販路を満州全域に広げようと決意、自分で自分の小指を切り強い決断を示した、従業員にもその指を見せ決意を促した。 

 昭和20年8月9日、軍隊が森田酒造にやってきて、森田酒造の家庭教師をしているエレナというソ連の女性がソ連のスパイだから逮捕するという、責任者は氷室啓介だった。
 氷室とエレナは密かに愛し合って居たが、それを波子は知っていた。氷室は実は関東軍情報部の陸軍少佐で日本軍スパイだったのだ、スパイ同士が情報交換の恋をしていたのだ。
 捕まったエレナは私が今ここで捕らえれても同志は沢山居るソ連の同志は此処へ向かって南下している日本帝国主義の滅亡は目前だ、私は絶対に口を割らない、今此処で殺すが良い、という。 氷室は、田村中尉殿軍刀を借用させてください、と言い、貴方は私を騙していたのか!という波子の声を聞いてその軍刀でエレナを切る。 
 ソ連の太平洋戦争への参戦で満州は総攻撃を受けた、森田勇太郎はこの時商用で出かけていた。空爆で森田酒造は全滅、日本軍は撤退を余儀なくされた、日本の民間人の多くは現地に残されたが、氷室の特別な計らいで波子と娘と息子はハルピンに徹退する軍用列車に乗る事が出来た、その途中で終戦のニュースを知る。

 武装放棄した軍隊は、ソ連兵に見守られハルピンへ着く。泊まる所の無い者は中学校へ集まれと言われて中学校へ、其処へ勇太郎が戻ってくる、安心した家族だが、勇太郎は再び健康な45歳以下の男は集められ、勤労奉仕をする為に雪の荒野に連れて行かれる。 

 途方に暮れた波子だったが、或る人が波子を見つけてくれた、その男は氷室の友達で、ハルピンで大きな商社を経営していた、そこでの情報で、勇太郎は勤労奉仕の途中で肺炎で死亡したとのこと。遺品として帽子が届けられた。それから、降伏した時に奪われた荷物も戻ってきた、みんなそれらは氷室の計らいであった。
 
 その氷室だが、ハルピンへ牡丹紅から逃げる途中で銃撃に会い、足を怪我して瀕死の状態だったのをハルピンのその友達が救い、傷の手当てをしたが、今はアヘンを治療に使い、それが中毒になり身も心もすさんでいた。

 アヘンを吸いながら、しきりにエレナ許してくれ、と叫び、波子の名を呼んでいるという、波子はその氷室を預かり、汚いアパートに住む、そしてアヘンからの解放を必死で行う、やがて氷室はアヘンから少しずつ解放されるが、なぜ俺を助けたのだと言う、貴方を独り占めにしたかったのだと答える波子、そこで氷室との全裸での激しいセックス、それを娘と息子が見てしまう。

 なぜお母さんはそんなふしだらなことをするんだ!と聞くが、波子は、女が生きて行くためには、命を失わないためには愛する人がどうしても要るんだ、お前も大きくなれば解ることだと教える。 

 やがて春が来て、氷室は回復した、もう一度一からやり直しだと決意を述べるが、氷室は俺は日本へは帰らない、この国へ残ってこの国の人たちに罪滅ぼしをするんだという。愛している君が居るからこそそういう事が出来るのだ、という。

 波子は、内地への引上げの汽車の中から氷室を見送る。貴方の戻ってくるのを待つと。
 他人の土地へ踏み込んできて来て、勝手な事をしたのだからその報いは仕方ない、 ありがとう満州!という波子だった。

 感想 

 中国残留孤児の日本への帰還が最近では風化して来ている、20世紀の二度と有ってはならない歴史としてこの映画は貴重だ。波子が言う、他人の土地へ勝手に入り込んで勝手な事をして、その報復として苦しい目に会う、それは自業自得というもの、ここでも女の強い生き方を見る事が出来る。命のためには女は強い。 

 感じた度  ★★★


多国の戦争ーホテル・ルワンダ

2007-06-23 08:34:24 | Weblog


 ホテル・ルワンダ

 監督・製作・脚本  テリー・ジョージ 製作国 加・英・伊・南ア 合同

 主演  ドン・チードル  2006年1月日本公開

 

 解説 

 この映画は、今から10年前の1994年に起こったルワンダ大虐殺を背景に描いたドキュメント映画だが。
これだけの説明では理解できない人のために少しばかり解説しておこう。

 1994年、四月~七月にかけて、”千の丘の国”と呼ばれるアフリカの内陸国、ルワンダ共和国で80万人ものツチ族の人々がフツ族の人たちによって殺害された。 1994年四月六日、キガリ空港上空で大統領の乗った飛行機が撃墜されて、当時のルワンダ共和国の大統領であるハビヤリマナの暗殺事件の発生を軌に大虐殺が起きた。 

 映画の冒頭でのスーパーにもあるが、ルワンダの民族間の緊張は何もその時に始まったわけではない、大多数をしめるフツ族と少数派民族のツチ族の間の意見の相違は常に存在していた。

 同じ言葉を話し、同じ地域に住み同じ伝統を継承している二つの民族は非常に似ている。何も無ければ何も起こらなかったのだろうが、1916年、ベルギー人入植者が、フツ族とツチ族は別な民族であると決め付けて身分証明書を発行した、これがそもそも差別の始まりだったのだ。
 ベルギー人は、少数のツチ族を多数のフツ族より上位だとみなした、当たり前だが、ツチ族はその考えを歓迎しそれから20年間、フツ族の人たちよりも良い仕事に就き教育の機会をにも恵まれた。ツチ族は多少肌の色が白く背が高かった、というだけだった。
 フツ族の間のわだかまりは徐々に増して行き、1959年の一連の暴動で最高潮に達する。二万人を越えるツチ族が殺され多くのツチ族が近隣諸国のタンザニア、ウガンダなどへ逃れた。 

 1962年にルワンダが独立した時に、フツ族がベルギー人達に取って代わった政府を作った、その後の数十年以上ツチ族は重大局面の際には何時もスケープゴートにされるようになっていた。
 そして1994年この事件は起きたのである。
 詳しくは公式サイト http://www.hotelrwanda.jp/

 「シンドラーのリスト」という、大虐殺から多くの人を救ったという映画があったが、この映画のオスカー・シンドラーのような存在の人間が、ホテルの支配人ポール・ルセサバギナという人物がやり、この俳優をドン・チードルという俳優がやる。

 この映画は、2005年のゴールデングローブ賞ドラマ部門で作品賞、歌曲賞、男優賞(ドン・チードル)がノミネートされている。

 物語 ポール・ルセサバギナはホテルの支配人をやっていた、彼はフツ族だが妻はツチ族なのでフツ族には狙われていた。ホテルにツチ族を宿泊させその命を救う。

 感想

 「シンドラーのリスト」はナチドイツの恐怖の収容所行きという既成概念が出来ているために、そのリスト作りがたいへんだったが、この映画では、ホテル内に女子供をかくまうので大変である。そして監視する兵隊たちを買収するだけで並大抵ではない、それでも子供たちは殺されそうになるがなんとか国外に脱出できる、そこが面白いところだが、何にか迫力にかける、経過報告ドキュメンタリー風なところが強く出されているからだろう。

 しかし、このような映画が無ければ、アフリカの国でこんな黒人同士の差別があり、こんな民族同士の戦争があったなんて知る由もない。

 また、このような知識がないとこの映画は面白く見れないだろう。

 感じた度  ★★★

他所の国の戦争 ロード・オブ・ウオー

2007-06-22 08:34:51 | Weblog

 他所の国の戦争 ロード・オブ・ウオー

 戦争はなぜ起きるのだろう、犠牲が大きいのを承知の上なのに。
 ヒトラーも他人にそそのかされて独裁者が出来上がった、という話を今週は見てきた。これは、大きな国が金儲けで戦争を起こすという話を見せてくれる映画を紹介しよう。

 
     ロード・オブ・ウォー
         
監督 アンソニーニコル  主演  ニコラス・ケイジ、イサン・ホーク、

  解説

 戦争を起こして一番得する奴は誰か、戦争の武器を売る商人、それが一番悪い奴だ、とお思いの貴方にニコラス・ケイジが見せてくれる戦争のはらわたとも言える映画である。
 戦争のクライアント、それは誰だ、国連の安全保障理事国、つまりアメリカ・イギリス・ロシア・フランス・中国。

 戦争はそれらの国のビジネスチャンス、これは面白いニコラス・ケイジが見せる社会派大作。
    この映画は、作り話ではなく、事実に基ずいて作られた映画である、従って可也リアルである。
 「ホテル・ルワンダ」に出てくる大虐殺の話、その虐殺の武器は何時・誰が・どの様にして手に入れたのかそれはこの映画を見ると良くわかる。

  物語

 ナレーター

 500億以上の武器が世界には存在している、12人に付き一つの武器という計算である。

 問題は、後の11人は何で武装させるのか。 というナレーターで始まる、これは一人称の映画で、語るのは戦争の武器商人ユリ・オルロフ(ニコラス・ケイジ)という男である。
 私は、子供の頃、家族と共にアメリカに来た、多くのウクライナ人と共にブライトン・ビーチに移住してきた。 そこは、カスピ海を思わせたが、地獄から地獄への移動をしただけでした。

 しかし、地獄にも天使が舞い降りる事はあります、エバ・フォンテインを10歳の頃から慕っていた、勿論彼女は私の存在すら知らない、そして後に妻となる。 20世紀では、幾度かユダヤ人である事が重荷になる事があり、それを理由にソ連からユダヤ教徒を偽り逃げてきた、そこから私の人生が始まった。 リトル・オデッサで生きるという事は犯罪と共に生きるというに等しかった、そこにはロシアから来たマフィアも移民してきた、彼らは稼業も共に持ってきた。

 ある日、レストランで食事をしている時に、暴漢が現れて銃を乱射した、支配人はその暴漢をピストルで射殺した、その時から、自分も本能的に銃を扱う事を決意した、それは父親と寺院へお祈りに行った時からだ。ウジー銃との初めての繋がりだった。

 初めて銃を販売するのは、初めてセックスする感覚に似ている、何をやっているのか分からないが兎に角興奮するし、瞬時に終わってしまうからだ。 ウジー銃とは、9ミリの弾を使って、最大25連射が可能、サイレンサーでも60%の消音が可能。という銃だった。

 武器の商売を始めたのは、レバノンのアメリカ軍の徹退からだ、アメリカ軍は徹退する時には武器を商人に売り渡して置いてゆく、それを軍隊から買い取る。そしてそれらをイスラム諸国等に売りつける。
 世界の8大戦争では、それらの武器が使われていた、扱わなかったのは、ウサマビン・ラデンぐらいナ所だけ、彼のところは不渡りが多かったから。

 1992年、ソビエットが崩壊して、大量の武器が余った、叔父の大佐に頼んでそれらを買い付ける、ソ連には敵は無くなったので、倉庫の武器の在庫は大量にある、ミサイルから、個人の銃まで、ヘリまでもがあるのだ。

 やがてソ連製の武器をあちこちへ売り、世界的に有名な武器商人となった、そして金も儲かったが、これが最後と言うとき、ルワンダに戦争が起きる武器を売ってくれ、とせがまれる。それを弟と最後の仕事としてやるが、・・・。

 最後に警察に捕まる、そして取り調べ、 
警察=お前は、あらゆる銃器法を破っている十分な証拠がある、悪の枢軸だ、逮捕される。 
ユリ=俺の家族は崩壊した、妻と息子は逃げ弟も死んだ、俺は捕まらない、何故って俺の商売相手は将軍様なんだよ、武器の仕入先はアメリカ大統領なんだよ、奴はおれの年収を一日で稼ぐ、公に売りに出せないものを売りに出すには、一匹狼が時には必要になる。

 人様は武器の商人を責めるが、おれは必要悪なんだ、支配者は武器商人が一番重要なんだ、他の人は殺しあう事に忙しい。
 

  感想 

 新聞やテレビでは報道されない裏の話、最近ではネットで可也あから様になるので隠し切れずに次から次へと面白くない事が表に出る、映画でもこうして事実を出されると驚いてしまう。

 偽装耐震強度のマンション問題、隠しきれるものが隠し切れなくなった、これは情報化時代の賜物だ。
 そして本当に平和を乱す奴は誰なんだ、何なのだ、これは永久の謎なんだろうか。
 戦争から身を守るには、戦争に行かない事だ。

 感じた度  ★★★

他国の戦争ーヒトラー最期の12日間

2007-06-20 08:27:55 | Weblog

  ヒトラー最後の12日間
  2005年(独)  監督 オリバーヒルシュピーゲル 

 解説

   600万人のユダヤ人の虐殺で知られるドイツの独裁者ヒトラーの最後の12日間を彼の秘書だったユンゲの証言を元に描いた独裁者の最後。彼の死を書く事はタブーだったが、・・・。

 物語

   1942年、ベルリン、ユンゲ(アレクサンドラ・マリア)はナチスの総統アドルフ・ヒトラー(ブルーノ・ガンツ)に気に入られて秘書になる。

   1945年4月、ソ連の攻撃を防ぐためにヒトラーは首相官邸地下要塞に身を隠した。 敗戦の色濃い戦況から、警察庁長官のヒムラーはベルリンからの逃亡をヒトラーに促すが、ヒトラーはもはや敗戦で部下を信用できず、戦況の客観的な状況判断が出来ないほどになっていた。

   総裁への狂信的な忠誠から、子供を含めた民兵達は武器も持たずにソ連兵に撃たれてゆく、また攻撃に参加しない兵士たちは親衛隊に容赦なく殺される。大物の側近は、次々に逃亡し、ヒムラーや、国家元帥のゲーリングの裏切りも明らかにされる。

   敗戦を悟ったヒトラーは、降伏はしないと私の死骸を誰もが判断できないように燃やしてくれと頼み妻と共に自殺する。 その遺書を秘書のユンゲガ書き留める。 私の政治理念について、始めはボランテイアとして政治に参加して30年も貢献してきたが、第一次大戦の間、人々への愛と忠誠から、時代が過ぎ去っても我々は都市とその遺跡の廃坑から人々の憎しみは燃え上がり続けるでしょう、国際ユダヤ教とその同盟国から。 と残している、独裁政治が分かっていてどうにもならなかったのだろう。

 感想

    独裁者と言うのは、最初は小さな存在である、回りが騒ぎ立てて、その人物をいじくり回しているうちに大きくなる物だ、男のペニスと同じ、あまり弄くらない方が宜しい。
    弄くられた方も、大きくなったらそのままじゃ済まなくなる、穴へ入りたがるし、タマには発謝したくなる物だ。

 ヒトラーも、最初はオナニーで済んでいたものが、(アドルフの画集)回りが忠誠を尽くすものだから良い気持ちになってこれを利用してやろうと考える悪い奴が出てきて、ますます悪い方向へ向かう。そんな奴が、日本にも居るんじゃないか一人、要は、人の見る目が、確かな物でないと戦争の不幸は起きるんじゃないのかな。

 感じた度  ★★☆

他国の戦争ーひまわり

2007-06-19 08:19:57 | Weblog
 
 「ひまわり」 1970年 ソフィアローレン主演  M・マストロ・ヤン二監督

解説

 この監督の作品は見終わった後何とも言えない感情が残る作品を作る、この作品もソフィア・ローレンの不朽の名作に入るだろう、これは戦争という大きな強制力が人間の愛情を引き裂く、悲恋の物語である。

物語

 1面の広いひまわりの畑を見せる、1942年から44年間にドイツとロシアの戦争で行くえが分からなくなった兵士の消息を調べてくれる所があった、アントニオ・カルビアテイの消息をジョバンナ(ソフィアローレン)は探す、しかし行方不明のままである、生きている確信は持って居る、ロシア中を探す覚悟である。

  ジットしていても思いは募るばかりだ。場面が変って、アントニオとジョバンナの楽しかった戦争前の画面、間もなく戦争に行くアントニオとの楽しい生活が描かれる、エメラルドのナポリの浜辺、しっかりと愛を確かめる二人、結婚をすれば12日間は二人で居られるので結婚式をあげる。楽しい12日間の蜜月が残り少なくなったある日、アントニオは兵役を逃れるために病気を装うが見破られて兵隊に行く。
 ドイツとロシアとの戦争は間もなく終る、復員してくる兵士たち、それを迎える家族達でナポリの駅はごった返している、アントニオを探すジョバンナ、しかし彼の姿は見当たらない、やがて復員して来た兵士の中でアントニオと共に戦場で別れた男に出あう、その男の話によれば、ロシアの雪の平原を行進しているときに、ロシアの兵隊に襲われ部隊はバラバラ、アントは負傷して歩けなくなり、心残りだが置いて来たと言う。

 ジョバンナはモスクワのロシア外務省を訪れてアントニオの消息を探す、スパシーボという所にイタリヤとロシア人たちの、ドイツが占領していたときの捕虜の墓がある所を訪ねる、一面のひまわりの畑、しかし其処には名前はなかった、写真を手にして戦闘のあった辺りを探し回るジョバンナ、そのあたりは平原に無数の十字架が建てられていた。

 見つかる可能性はないから諦めろという案内人だが、サッカーの試合を見に来た人がそれらしき人を見たというのを頼りに捜し歩く、墓石に「何故君はロシアの野へ来たのか、故郷の港に飽きたのか、ラホストークで君はベスビオの山を想っていた」と彫ってある。広大な丘陵地帯にある十字架の丘の中の道をとぼとぼと歩くジョバンナであった。

 場面は変ってサッカー場、試合が終って家路に急ぐ群衆、その中にアントニオに良く似た男を見つけて後をつける、不審に想った男は問いただすが私は関係ないと答える、ジョバンナは間違いなくその男がイタリア人の顔をしているところからアントニオであると確信するが、男は曰くありげに話すが写真を見ても知らないと電車の中に消えてゆく。

    なおも探しまわるジョバンナ、と、あるところで、イタリア人らしき人の家を知っていると言う人に会う、その家に行くが、其処には綺麗な若い女が洗濯物を取り込んでいる、小さな子供カチューシャも居る、思い切ってその女に写真を見せると、やっぱりアントニオがその女の夫だとわかる、。

    女は古い軍靴を取り出し、雪の中で凍えて死にそうなアントニオを家まで連れてきた事、そのあと結婚した事を話す、驚くジョバンナ、やがて汽車でアントニオが家に帰って来るからと待っているが、女とジョバンナは汽車から降りる夫を迎えに行く、汽車を降りたアントニオ、その顔に見入るジョバンナ、二人は顔を見合わせるが、走り始めた汽車に飛び乗るジョバンナ、号泣するジョバンナ。

    やがて家に帰り彼の写真などを全て破り捨て心気一転して新しい生活に入るジョバンナだった。
  
    アントニオは団地に越して来て新しい生活が始まる事になったが、ジョバンナのことが忘れられずナポリを訪れジョバンナに電話するが、もうその頃と違うんだからと断るジョバンナ、仕方なしアントニオは帰ろうとするが、飛行機はストライキ、汽車もバスもない、何処かに泊まらざるを得ず再び電話するとジョバンナは家へ来なさいという、ジョバンナとアントニオは再会する、そしてアントニオはあの時以前の自分は死んだ、仕方がなかった、と弁解する、二人で新しい生活を始めようというアントニオだが、深いキスが始まったその時、子供の泣き声が聞こえる、ジョバンナも結婚していた。

    アントニオにも娘が、ジョバンナにも子供がいる、二人はもう若くはない、やり直しは効かないとジョバンナはいう、ジョバンナの子供の名前はアントニオだった。
    青春の思い出にしっかりと抱き合う二人だったが、汽車で帰るアントニオ、見送るジョバンナ、二人の青春の思いは汽車と共に消え去って行く。


 感想

     この映画も音楽が素晴らしい、特に二人が最後に別れるときの音楽が素晴らしい、悲しさが映画が終っても後を引いている、二人の悲鳴とも取れる汽笛の音がまたもの悲しい。戦争さえなければ二人は素晴らしい生活が送れただろうに、と戦争の重たさが見る人の心をうつ。

 感じた度 ★★★