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環境問題を柔らかく考える

仕事で環境問題を硬く考えているので、柔らかく考えてみたいと思っています。

八ッ場ダム問題について

2008-01-08 13:58:29 | Weblog
八ツ場(やんば)ダムというのは、(国土交通省、八ッ場ダム工事事務所によると)吾妻川の中流域に位置する、群馬県吾妻郡長野原町において建設が進められているダムで、ダム本体の高さは131m、貯められる水の量は約1億立方メートルで利根川水系の他のダムと比べると、高さでは4番目、貯められる水の量では3番目に大きなダムとなるそうです。

水没予定地域は、世帯数340戸。面積316ha。吾妻渓谷両岸の川原湯温泉、川原畑地区も全て水没予定。横壁、林、長野原の三地区も一部水没。吾妻渓谷の上流部、JR吾妻線川原湯温泉駅、国道145号線、国指定天然記念物・川原湯岩脈、その他、貴重な山野草などです。

ダムの目的は、治水と利水とされています。
事業費は現時点では4600億円とされています。

ぼくはこの八ッ場ダムの建設に反対です。ダムを造る意味がないと思うからです。
表向きのダムの目的は、治水と利水です。

治水は、今までの社会(大量生産、大量消費、大量廃棄を前提のした社会)では必要だったかも知れません。洪水によって上記のサイクルが崩れてしまっては困るでしょう。しかしこれからは社会も変わっていくと思います。自然と共生し、限られた資源を大切に使っていく社会です。その社会では例えば、家を高床式にしたり、洪水危険地域からの移転等の方法があると思います。その社会では洪水も下流の海に土砂を運んだり、川の流域を灌漑してくれるものになり、人間生活とは対立するものではなくなると思います。

また利水も高度経済成長を支えるには必要だったでしょう。しかし、今後は少子高齢化社会を迎え人口も減少していきます。ならば利水の為のダムは必要ありません。

このような状況で、何故ムダなダムが止められないのでしょうか?
簡単に言ってしまえば利権があるからだと思いますが、もう少し深く考えてみたいと思います。

まず有力な大学にダムを研究している教授がいたとします。その教え子達は国土交通省やゼネコン、地方自治体、あるいは政治家になります。そうすると、いくら地元や国民(地元が賛成すれば他の地域の人間は口を出すべきではないと言う人がいますが違うと思います。自然は誰のものでもなく、地元の人間だけのものではありません。あえていえば、国民全員の共有財産なので、国民全員の合意がいると思います)がダムを必要としなくても教授一派には必要であり、決定権は教授一派に握られているので、ムダなダムが造られる事になります。


正月休みに現地の川原湯温泉に行ってきましたがだいぶ寂れていました。工事は少し進んでいるようです。その影響か、温泉も今まで使っていた源泉は使えなくなるので、新しい源泉をボーリングしたそうです。前のお湯とはやはり少し違っていました。ぼくは前の源泉の方が好きでした。住民の方もだいぶ殺伐とした気持ちを持っているようです。それはそうだと思います。

長年、ダム建設問題の為に振り回され、賛成派と反対派に同じ住民が分かれ、教授一派の為に争わされて、その結果できるものが、みんなの役に立たないものだなんて悲しすぎます。

今、ダム建設を止めても温泉と地元の人の心は破壊されました。しかし、自然はまだ残っています。自然があれば温泉と地元の人の心も回復が可能だと思います。しかし、ダム本体を建設し、自然まで破壊してはすべてが破壊されたままだと思います。

今からでも遅くありません。今までの工事費は高い授業料として諦めましょう。ダム建設を中止すべきです。



100万人のキャンドルナイト 2007冬至に参加しました

2007-12-25 13:17:39 | Weblog
12月22日、冬至。あいにくの雨模様でしたが、100万人のキャンドルナイトに参加しました。

寒さ対策にお茶を入れたのですが、このお茶を入れるのにもガスを使ってしまいました。(お湯を沸かすには、ガスの方が電気ポットよりもエネルギー効率がいいです。オール電化なんてエネルギー効率を考えたらもっての他です)

中々、文明の利器に頼らないのは難しいです。

ちなみにぼくは、文明の利器を否定している訳ではありません。ぼくも文明の利器にお世話になっています。ただ、産業革命以降、世界の人口が大幅に増加したという事実から、文明の利器は遅かれ早かれいきずまるんじゃないかと考えているんです。

というのは、産業革命以降、地球が長年蓄積してきたエネルギーをいっぺんに人類が消費しはじめて、その文明の利器に守られて人口が増えたんじゃないかと思うからです。だけど地球が長年蓄積してきたエネルギーは有限です。今の経済とかのシステムはエネルギーは無限にあるという前提にたっているからいきずまるんじゃないかと思うのです。

文明の利器を利用してエネルギーの寿命を延ばそうと考えている人もいるようです。核燃料のリサイクル等。しかし、自然の恵みを人の手でつくりだせると考えるのは傲慢だと思います。得られる自然の恵みで生きていける社会をつくるべきです。



100万人のキャンドルナイト 2007冬至

2007-12-19 12:01:40 | Weblog
夏至の時にも書きましたが、12月22日の冬至の日に20時から22時まで電気を消してキャンドルで過ごそうというイベントが行われます。

照明だけを消す人もいるでしょうが、ぼくは電化製品を全部使わずに過ごそうと思います。そうすると、身の回りにいかに電化製品が溢れているかが分かります。

まずエアコンやコタツを消すので寒いです。重ね着をしたり、火鉢があればそれもいいでしょう。お酒を飲んで暖まるという手もあります。近くに温泉がある方だと温泉に入るのもいいでしょう。

次にテレビやラジオも消します。すごい静かです。2時間もキャンドルの炎を見ているのは少し飽きそうです。(お酒を飲みながらだと結構、過ごせてしまいますが・・・)大切な人が近くにいれば、話をするのもいいでしょう。音楽があるとステキかもしれません。ピアノ、アコースティクギター、篠笛なんかもいいでしょう。星が見える方は、厚着をして星を見るのもいいかもしれません。

このように電気を使わない事で新たに得られたり、気づかなかった身近にあるものに気づいたりする事もできます。その事にみんなが気づけば環境問題も何とかなるんじゃないかと思ったりします。

御礼 ブログ開設1年 

2007-12-14 16:40:12 | Weblog
チッソ問題で間延びしてしまいましたが、11月でこのブログを開設して1年になりました。読んでくださっている方々に御礼申し上げます。

せっかくの機会ですので、ぼくの環境に対する考え方を少し書きたいと思います。環境問題に初めて興味を持ったのは、小学生の頃読んでいた学研という雑誌の「熱帯雨林が減少している」という記事を読んだ時でした。単純に熱帯雨林を守りたいと思いました。

それと宮崎駿監督の映画「風の谷のナウシカ」や「となりのトトロ」、「平成たぬき合戦ぽんぽこ」、「もののけ姫」等の自然観にも影響を受けました。

中学、高校は人並みの環境の教育を受け、大学では環境問題(地域開発)のゼミに入りました。そこで自然に対する東洋と西洋の価値観の違い等も知りました。西洋はスチュワートシップ(執事)という自然は管理するものとの価値観で、東洋では自然は一種の信仰の対象のような、自然を敬うとの価値観だったという事です。

自分自身もこの東洋の価値観に近いと思います。自然は人間に仇をなすものではなく、自然の恵みで人間も生きていくことが出来ていると考えています。

その後社会人になり、3年前から企業の環境保全部門で仕事をしています。

今の環境問題は産業革命が大きく影響していると考えています。産業革命によって効率は高くなり、その結果世界の人口も大幅に増加しました。けどもしも、今の世の中のエネルギーを支えている資源がなくなったら、今の人口は維持できないのではないかと思います。

そのような状況の中で大切になってくるのは、他(人間も人間以外も)を尊重する事だと思います。(他を尊重する考え方が嫌いな人達もいるようです。そのような人達は政治の世界や学問の世界、企業など社会の色々な所で巧妙に他を尊重する考えを批判し、攻撃してきます。けど環境問題というフィルターを通せば、そのような人達は透けて見えてきます。そのような人達の声には耳を傾けてはいけないと思います)

例えば、森林を開発する時にそこに住んでいる動物や微生物、生殖している植物の事を真剣に考えれば、その開発が何のために必要か、開発以外の手段はないのか、開発する場合でも森林への影響を少しでも少なくできないかを考えるはずです。経済性は人間の為の尺度でしかありません。また途上国の人達の事を真剣に考えれば、今の状況は先進国が自然の恵みを独占していて、しかもその独占の結果の自然環境の悪化は真っ先に途上国が受けるという酷い状況だと考えるはずです。

しかし国や地球全体の為なのだからと、個人の自由を制限する事は良くないと思います。あくまで、個人の自由な意思により、自然の大切さと現状を理解し生活スタイルを変えていき、他を尊重しない人の声には耳を傾けないという事が重要だと思います。





続 チッソPT和解案受け入れ拒否

2007-11-29 13:12:46 | Weblog
前回に続き、水俣病(チッソ)問題について述べたいと思います。

とりあえず、家電メーカーに液晶テレビの材料にチッソ㈱の製品が使用されているかを問い合わせました。

シャープ、ソニー、三菱電機は、製品の材料までは公表していないとの回答でした。まぁ、普通の対応だと思います。

東芝は、問い合わせをしてから1週間が経ちましたが、未だに回答がありません。アメリカの原子力発電機会社を買収するなど、環境保全とは逆の方向へ走っている会社なのかなと思います。

松下からは誠実な回答を頂きました。「チッソ㈱は液晶テレビの製品材料の2大メーカーであり、残念ながら使用しています。どこの会社でも使用せざるを得ないのではないでしょうか」との事でした。(このように真摯に対応して頂ける会社(松下)が発展して欲しいと願いますし、今後、家電製品を購入する際は、まず松下の製品から検討をするようにしたいと思います)

との事で商品の不買運動は難しそうです。
しからばではないのですが、東京の大手町にあるチッソ㈱に直接伺い、水俣病の患者さんを救済して欲しいというお願いをしてきました。
チッソ㈱の総務部の方に対応して頂きました。その方曰く、「チッソとしても水俣病問題の解決を望んでいるが、PT和解案では解決できないので、拒否した。解決の為の話し合いを拒否している訳ではない」との事でした。

この「水俣病問題の解決とは?」という事をどうとらえるかが、重要だと思います。ぼくの推測ですが、チッソ㈱側の考える解決とは、その後は補償して欲しいと求めてくる人がいなくなる(補償額が決定する)事だと思います。しかし患者さん側の考える解決とは、水俣病患者さん全員が救済される事だと思います。

補償額が決定すれば、企業としては良いでしょうが、患者さんにとってはある手続きを経て、水俣病患者と認定されなければ補償が永久に受けられなくなる事を意味します。

ぼくは、水俣病が発生した当時、水俣付近に住んでいて、水銀中毒の症状が出ている方は全員救済するべきだと思います。それが、あれだけの公害を引き起こして、直接、間接的に係らず、多くの方に被害を与えた企業が果たすべき責務だと思います。