八ツ場(やんば)ダムというのは、(国土交通省、八ッ場ダム工事事務所によると)吾妻川の中流域に位置する、群馬県吾妻郡長野原町において建設が進められているダムで、ダム本体の高さは131m、貯められる水の量は約1億立方メートルで利根川水系の他のダムと比べると、高さでは4番目、貯められる水の量では3番目に大きなダムとなるそうです。
水没予定地域は、世帯数340戸。面積316ha。吾妻渓谷両岸の川原湯温泉、川原畑地区も全て水没予定。横壁、林、長野原の三地区も一部水没。吾妻渓谷の上流部、JR吾妻線川原湯温泉駅、国道145号線、国指定天然記念物・川原湯岩脈、その他、貴重な山野草などです。
ダムの目的は、治水と利水とされています。
事業費は現時点では4600億円とされています。
ぼくはこの八ッ場ダムの建設に反対です。ダムを造る意味がないと思うからです。
表向きのダムの目的は、治水と利水です。
治水は、今までの社会(大量生産、大量消費、大量廃棄を前提のした社会)では必要だったかも知れません。洪水によって上記のサイクルが崩れてしまっては困るでしょう。しかしこれからは社会も変わっていくと思います。自然と共生し、限られた資源を大切に使っていく社会です。その社会では例えば、家を高床式にしたり、洪水危険地域からの移転等の方法があると思います。その社会では洪水も下流の海に土砂を運んだり、川の流域を灌漑してくれるものになり、人間生活とは対立するものではなくなると思います。
また利水も高度経済成長を支えるには必要だったでしょう。しかし、今後は少子高齢化社会を迎え人口も減少していきます。ならば利水の為のダムは必要ありません。
このような状況で、何故ムダなダムが止められないのでしょうか?
簡単に言ってしまえば利権があるからだと思いますが、もう少し深く考えてみたいと思います。
まず有力な大学にダムを研究している教授がいたとします。その教え子達は国土交通省やゼネコン、地方自治体、あるいは政治家になります。そうすると、いくら地元や国民(地元が賛成すれば他の地域の人間は口を出すべきではないと言う人がいますが違うと思います。自然は誰のものでもなく、地元の人間だけのものではありません。あえていえば、国民全員の共有財産なので、国民全員の合意がいると思います)がダムを必要としなくても教授一派には必要であり、決定権は教授一派に握られているので、ムダなダムが造られる事になります。
正月休みに現地の川原湯温泉に行ってきましたがだいぶ寂れていました。工事は少し進んでいるようです。その影響か、温泉も今まで使っていた源泉は使えなくなるので、新しい源泉をボーリングしたそうです。前のお湯とはやはり少し違っていました。ぼくは前の源泉の方が好きでした。住民の方もだいぶ殺伐とした気持ちを持っているようです。それはそうだと思います。
長年、ダム建設問題の為に振り回され、賛成派と反対派に同じ住民が分かれ、教授一派の為に争わされて、その結果できるものが、みんなの役に立たないものだなんて悲しすぎます。
今、ダム建設を止めても温泉と地元の人の心は破壊されました。しかし、自然はまだ残っています。自然があれば温泉と地元の人の心も回復が可能だと思います。しかし、ダム本体を建設し、自然まで破壊してはすべてが破壊されたままだと思います。
今からでも遅くありません。今までの工事費は高い授業料として諦めましょう。ダム建設を中止すべきです。
水没予定地域は、世帯数340戸。面積316ha。吾妻渓谷両岸の川原湯温泉、川原畑地区も全て水没予定。横壁、林、長野原の三地区も一部水没。吾妻渓谷の上流部、JR吾妻線川原湯温泉駅、国道145号線、国指定天然記念物・川原湯岩脈、その他、貴重な山野草などです。
ダムの目的は、治水と利水とされています。
事業費は現時点では4600億円とされています。
ぼくはこの八ッ場ダムの建設に反対です。ダムを造る意味がないと思うからです。
表向きのダムの目的は、治水と利水です。
治水は、今までの社会(大量生産、大量消費、大量廃棄を前提のした社会)では必要だったかも知れません。洪水によって上記のサイクルが崩れてしまっては困るでしょう。しかしこれからは社会も変わっていくと思います。自然と共生し、限られた資源を大切に使っていく社会です。その社会では例えば、家を高床式にしたり、洪水危険地域からの移転等の方法があると思います。その社会では洪水も下流の海に土砂を運んだり、川の流域を灌漑してくれるものになり、人間生活とは対立するものではなくなると思います。
また利水も高度経済成長を支えるには必要だったでしょう。しかし、今後は少子高齢化社会を迎え人口も減少していきます。ならば利水の為のダムは必要ありません。
このような状況で、何故ムダなダムが止められないのでしょうか?
簡単に言ってしまえば利権があるからだと思いますが、もう少し深く考えてみたいと思います。
まず有力な大学にダムを研究している教授がいたとします。その教え子達は国土交通省やゼネコン、地方自治体、あるいは政治家になります。そうすると、いくら地元や国民(地元が賛成すれば他の地域の人間は口を出すべきではないと言う人がいますが違うと思います。自然は誰のものでもなく、地元の人間だけのものではありません。あえていえば、国民全員の共有財産なので、国民全員の合意がいると思います)がダムを必要としなくても教授一派には必要であり、決定権は教授一派に握られているので、ムダなダムが造られる事になります。
正月休みに現地の川原湯温泉に行ってきましたがだいぶ寂れていました。工事は少し進んでいるようです。その影響か、温泉も今まで使っていた源泉は使えなくなるので、新しい源泉をボーリングしたそうです。前のお湯とはやはり少し違っていました。ぼくは前の源泉の方が好きでした。住民の方もだいぶ殺伐とした気持ちを持っているようです。それはそうだと思います。
長年、ダム建設問題の為に振り回され、賛成派と反対派に同じ住民が分かれ、教授一派の為に争わされて、その結果できるものが、みんなの役に立たないものだなんて悲しすぎます。
今、ダム建設を止めても温泉と地元の人の心は破壊されました。しかし、自然はまだ残っています。自然があれば温泉と地元の人の心も回復が可能だと思います。しかし、ダム本体を建設し、自然まで破壊してはすべてが破壊されたままだと思います。
今からでも遅くありません。今までの工事費は高い授業料として諦めましょう。ダム建設を中止すべきです。