goo blog サービス終了のお知らせ 

環境問題を柔らかく考える

仕事で環境問題を硬く考えているので、柔らかく考えてみたいと思っています。

環境的人種差別

2008-04-14 12:53:07 | Weblog
環境的人種差別というのは、20年前にアメリカで生まれた概念だそうです。要は、マイノリティや低所得者層の居住地域や労働環境に環境汚染や健康被害が集中しがちであるという事だそうです。

そしてその事例としてニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナでは低所得層の黒人居住地域ほど復旧の手が届いてない事や、放射性廃棄物の一時貯蔵施設に予定されているのもユタ州のスカル・バレー・ゴーシュート・インディアン居住地である事や、コンピューターの廃棄物に湯汲まれる有害廃棄物の廃棄場がナイジェリア、水銀廃棄物はインドになっている事などをあげています。

この話を聞いて、日本も一緒だと思いました。放射性廃棄物の一時貯蔵施設がある青森県の六ヶ所村は、青森県の中でも辺鄙なところにあり、経済的に弱者です。同じく、原子力発電所が計画されていた(計画は中止になりましたが・・)能登半島の先端の珠洲市も経済的には厳しいところです。このようなところに迷惑なもの(原子力発電所に限らず、産業廃棄物の処分場等、色々あります)が集中し、環境汚染の被害を一番受けています。

東京電力の原子力発電所の立地を見ても分かるように受益者(東京で電気の恩恵を受けている人々)と負担者(新潟や福島など原子力発電所がある地域の人々。いつ事故が起こるかという不安や風評被害を受けている)が分かれているのが現状だと思います。

これが世界がグローバル化する中で、地球的に広がっているようです。この環境的人種差別はやめるべきだと思いますが、問題が大きすぎて一個人としては何をしたらいいのか分かりません。けど「Think Globally Act Locally」という言葉のように、このような世界の現実を常に考えながら、まずは自分の国や地域、街や身の回りから行動することが、解決につながるのではないかと思います。

池田武邦さん

2008-03-11 14:10:42 | Weblog
2月18日に放送されたBSハイビジョンの「日本の風景を変えた男たち」というのを観ました。

霞ヶ関ビルや京王プラザ、新宿三井ビルなどの超高層建築の設計に携わり、設計事務所の日本設計の社長も勤めた池田武邦さんという方が紹介されていました。

池田さんは当初は、超高層建築で温度も湿度も一定に保たれた建築物が理想だと考えていたそうです。だけど、ある雪の日、寒い外に出てみると不思議と気持ちが暖かくなったそうです。池田さんはこの事を自分も自然の一部であると感じた事で心が安らいだというような事をおっしゃっていました。また人工物の中でずっとすごしていると人間はストレスを感じるともおっしゃっています。

その後は、環境問題へ取り組まれて、長崎のハウステンボスのコンセプト造り(コンクリートの護岸を壊して、岩?を重ねた護岸にする。排水の浄化等)や、里山や鎮守の森の復活を通して自然と調和した人間生活の大切さ、環境の保護の必要性を社会に訴える『聚』の理事長、秋田テクノポリス開発機構主催の人材育成研修『池田塾』の塾長をも勤められたそうです。

そして今は、長崎県の西海市に邦久庵という江戸時代の建築手法を取り入れた家をご自分で設計して住んでいるそうです。


このご経歴はおもしろいと思いました。
高度経済成長の真っ只中で、近代文明の粋を集めたような高層建築に関りながら、その方向は違うんではないかと感じて、中世の持続可能な文化を建築に取り入れられたようです。

立場、影響力など自分とは全然違いますが、同感します。高層建築のように温度や湿度をまわりの環境に反して一定に保とうとすると、大きなエネルギーを使います。そして、近年、そのエネルギーが無限ではなく、また温室効果ガスという地球にとって好ましくない物質を排出する事が分かってきました。そのようなエネルギーに依存した文明は長くは続かないと思います。そこで、化石燃料を使っていなかった時代の文化を学び、それを現代にどんどん取り入れ(封建制とか、取り入れなくていいものもあります)長く続ける事が出来る生活スタイルに変えるべきだと思います。

まぁ、建築家の方も池田さんのような方ばかりではなく、(社)日本建築家協会のHPには、『何故それ程までの『環境』なのであろうか。近代文明の基をなすデカルトの人間中心主義を批判することはよく分かる。戦後日本の『近代化路線』は、その批判なくしては健全な文化としての建築は育たないからである。しかし、かつての『超高層』の闘志池田武邦がかくも徹底的に環境問題に転換するのはさすが池田だと思わないわけではないが、しかし『30年ぶりに超高層ビルから解放されて、ほっとしている』とか、『人工環境なしでは成立しない超高層建築は間違いだった』といわれると、いささか疑問に思わざるを得ないのである。そこにどんな『総括』があったというのであろうか。』
というように、近代文明への幻想?憧れ?願望?が捨てきれない人も大勢いるようです。
まぁ自分達が良いと信じてやってきた事が他の視点で見れば良くなかったという事は誰にでもある事だと思います。問題はそこからで、それに気づいた時、どういう行動をとるかだと思います。気づかないふりをするのか、些細なあら探しをして自分を正当化するのか、事実を受け入れ方向を修正していくのかです。ぼくは後者でありたいと思っています。


PS.あまり関係ありませんが、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか?」で有名な武田邦彦氏がハウステンボスの経営が上手くいかなかったという部分的な事実(野村プリンバルの支援)で、ハウステンボスに行かないから、日本人は本当は環境問題に取り組みたくないのだ、という壮大な嘘をついていました。毎度、この人の論理の飛躍には呆れます。ハウステンボスに行くことが環境に配慮する事なのでしょうか?
確かにハウステンボスの環境意識は高いと思います。けど、環境に配慮するなら、自分の家の側に木を植える。飛行機や車などを使わない、持続可能な生活をする等、あげると数え切れませんが、ハウステンボスに行かなくても出来ることは山程あります。レジャーでも近くの里山に行くのが、環境負荷が少ないと思います。武田氏には裏にある悪意を感じてなりません。

グリーンパワーキャンペーン

2008-03-04 13:17:55 | Weblog
2月21、22日に東京国際フォーラムで行われた「グリーンパワーキャンペーン」(資源エネルギー庁主催)に行ってきました。

経済産業省の役人が来て、原子力発電のPRをしていったどこかの新エネルギー展と違って、本気でグリーンエネルギー(太陽光、風力、バイオマス、燃料電池など)を普及させようというのが伝わってきて、いいイベントだったと思います。

グリーン電力証書を使った事例や、新エネルギー関連企業の展示、エネルギーシフトについてのパネルディスカッション、ソーラートラックによるライブや、大学生によるグリーン電力普及の為のプログラム案の発表、燃料電池車への試乗等、盛りだくさんでした。アンケートに答えると、湯せん式のカイロをもらえました。

パネルディスカッションでは、不都合な真実を翻訳した枝廣淳子が「グリーン電力はこれまでは高級品だったが、これからは世界的に天然資源が少なくなる中で、天然資源が少ない日本のサバイバルの手段になっていく」とおっしゃっていました。まったくその通りだと思います。原子力や核燃料の再使用などと危険性も考えない空絵事に大金をつぎ込まずに(さらにウランも国産ではありません。海外から輸入に頼っているというのは石油等と同じです)、太陽や風といった持続可能なエネルギーにお金をかけるべきだと思います。

展示の中でおもしろいと思ったのが、グリーン電力基金です。これは東京電力を利用している方しか参加できませんが、毎月の電気料金にプラス1口500円からの寄付を行い、そのお金で太陽光発電や風力発電の設置に助成を行うものです。1口あたり東京電力も500円寄付してくれるので、1口申し込めば1000円がグリーン電力にまわります。助成先も営利目的には使われずに、小学校や公民館に設置する際に使われているようです。

これは中々いいと思います。グリーン電力にお金がまわれば、コストも安くなってくると思います。そうすれば、さらにグリーン電力が増えるといういい循環につながっていくのではないかと思いました。

詳細は下記HPをご覧ください
http://www.giac.or.jp/green/index.html

あと、自然エネルギーに投資する「おひさまファンド」もおもしろいと思いました。
証券会社などが売っている温暖化防止ファンドや水資源ファンドというのもありますが、所詮はその関連企業の株を買うものなので、間接的なイメージがあります。けどこの「おひさまファンド」は太陽光発電施設などの直接的な投資ができるのではないかと感じました。

その他には福島県猪苗代のホテル、「リステル猪苗代」(モーグルの大会で有名)が宿泊者に10kwのグリーン電力をプレゼントするというのもありました。旅行するにもCO2を出しますが、その一部をグリーン電力で賄おうというものです。発想が面白いと思いました。あと、活動する動機として温暖化が進行するとスキー場として困るというのもあるようです。
本当にその通りだと思います。他のスキー場も温暖化対策にもっと力を入れてもいいと思います。

給茶スポットスタンプラリー

2008-02-21 13:26:19 | Weblog
ペットボトルや缶、瓶を減らす為に水筒などのマイボトルを持ち歩こうと言われています。

環境の為にもいい事だと思うのですが、中々実行できません。自動販売機の数が半端ではないので、都内では30秒も歩けば、自動販売機が見つけられます。こんな状況では、のどが渇くという何時くるか分からない自然の欲求を解消するのは、自動販売機となってしまいます。

そんな中、全国のお茶や(茶葉の販売)さんの一部が給茶スポットとして、水筒を持っていくと、おいしいお茶の水筒に入れてくれる(有料)というサービスをしてくれています。また2月末までですが、給茶スポットのスタンプラリーも開催されています。

これが中々、楽しいです。まだ4店しか行っていないのですが、どこの店のお茶も自動販売機より全然おいしいです。また、お茶やさんは普段、行ったことがなかったので、こんな所にお店があったんだーという新たな発見もあります。また全然知らない街で、給茶スポットのマークを見つけて、こんなところにもあったんだ。水筒を持ってきてればよかった。と思った事もありました。

なにかこのスタンプラリーのおかげで水筒を持ち歩くのが習慣になりそうです。外でも給茶できますし、家で珈琲や紅茶を入れていっても楽しいかなと思いました。

よくよく考えてみると、自動販売機はすごくエネルギーがもったいないなと思います。一日中、暖めたり、冷やしたり。どの位の人が何時買いにくるかも分からないので、とりあえずどんどん増やしちゃえという感じでしょうか?飲み物が欲しいと
思った時につくるのが一番で、次が自分やお店でつくってもらったものを水筒で持ち歩くのがいいと思います。

スタンプラリーの詳細や、全国の給茶スポットのお茶やさんはページをご覧ください。
http://www.yoshimura-pack.co.jp/cafe/

地球温暖化問題

2008-02-08 12:08:11 | Weblog
地球温暖化問題の解決の為には、まずどの程度で気候を安定させるかが大切になります。2030年までは、どんな対策をとっても気温は上がり続けるそうです。大気は徐々に上へあがっていくので、過去に出した温室効果ガスの影響で上がります。また2050年に気候を「1990年比+2℃」に安定させるには今後10年~15年(2018年~2023年)で世界の温室効果ガスの排出量を削減に転じさせ、2050年には1990年比で50%削減する必要があります。ちなみに日本の責任を果たすには、日本は1990年比で70%削減する必要があります。

そこで世界レベルで温室効果ガスの削減について話し合う必要があり、その場が国連気候変動枠組み条約です。そして京都議定書以後の削減への取り組みが本当に重要になってきます。

温暖化が不都合な人達は、京都議定書のみで具体的な数値目標を掲げた世界的な取り組みを葬りさろうと画策しているようですが・・・

その国連気候変動枠組み条約の第十三回締約国会議が2007年12月にバリで行われました。日本からは鴨下環境大臣や民主党岡田副代表も参加していたようです。内容までは詳しく報道されませんでしたが、中々激しいやりとりがされていたようです。

先進国と途上国、とりわけアメリカと中国・インドの対立が大きいようです。途上国は途上国の関与を示す文章表現を、できる限り弱めるための努力をつづけ、排出抑制策について当初は一つの文章表現だったのを、先進国と途上国で別々の文章表現に変えさせたそうです。まぁ途上国(中国・インド以外)の気持ちも分からないではありません。大量に温室効果ガスを排出している先進国がその量を減らさずに、途上国である自分達に排出するなと言っているようなものですから。

けど、中国・インドとツバルなどの諸島国を同じ途上国とするのも違和感があります。枠組を先進国と途上国ではなく、大量排出国と少量排出国にしたらいいのではないかと思います。

あと大きなところでは、今後の話し合いは、京都議定書に参加しているEUや日本が前からつくってあるワーキンググループと、すべての主要排出国が参加して、今回バリで新たにつくられたワーキンググループの2つで行われるそうです。ちょっと複雑ですが、アメリカや中国・インドは京都議定書では削減目標を持っていないから、京都議定書は関係ないよ。だから違うグループでみんなで話し合いましょう。EUや日本は京都議定書でまず削減を進め、その延長で削減を進めるからそのグループで話し合いましょう。という事だと思います。

そして具体的な削減目標は、2つのワーキンググループの話し合いをまとめ、2009年後半頃から議論される見込みだそうです。削減の為に具体的で有効な目標がまとまることを切に願います。

余談になりますが、日本は温暖化問題に対して後ろ向きな発言をした化石賞を貰ったそうです。情けない。日本でも前向きに取り組んでいる人達はたくさんいるのですから、化石賞は数値目標設定に反対している経団連にあげるべきだと思います。まぁ外国の人の見方だとそういう後ろ向きな経団連を抑えきれていない国という評価なのでしょうか?

また違う場ですが、日経BP社が2007年11月6日に開催した「環境・エネルギー課題解決のための賢人会議」で甘利明経済産業大臣は「長期的に、また地球レベルで見れば、強い規制だが参加が一部の国にとどまるのと、すべての国が何らかの目標を設定して参加するとでは、後者の方が削減効果は大きいことは間違いない」と発言したそうです。
どうもこの人達(甘利経済産業大臣with経団連)の言っている事は後ろ向きに聞こえてなりません。本音では何もしたくないのではないかと疑ってしまいます。温暖化問題の重要性は認識していると言いながら、その対策に反対するのは認識しているとは言えないのではないでしょうか?上記の発言で言えば、要は低いレベルに対策を落とすという事です。結果、日本は何もやらなくていいという理論になります。日本などの排出量の多い国は強い規制を、アフリカ諸国など排出量の少ない国は弱い規制をかけるべきです。

温室効果ガス削減の為に日本は何をし、他国に何を求めるのか。さらに個人で何をし、国には何を求めるのか。これをよ~く考えて表明する必要があると思います。経団連のように自分は何もせずに他にだけ何かを求めるだけでは、問題は解決しません。