ところで今日は友人たちと訪ねた(北方4島をのぞく北海道最大の離島)「奥尻島」に旅したときのことを記します。
奥尻島に平成5年7月、あの「北海道南西沖地震」(震度6の烈震が直撃し、人口の5%近くに当たる200人以上の犠牲者がでた)からはや10年以上が過ぎました。
私たちは渡島半島付け根の日本海側にある「瀬棚」からフェリーで約一時間半かけて到着しました。
あの大地震で地震と津波そして大火災と三重苦に見舞われたこの島も、今ではすっかり復興し、新しい奥尻島が息づいていました。
島の周囲は約84キロ。我々はタクシーをチャターして一周することにしました。
右回りで周遊し、先ず最初に見えてくるのがこの島のシンボルとも言える(お鍋の取手そっくりの)「鍋釣岩」です。
そして地震では最も大きな被害をこうむった島の南部「青苗地区」にさしかかります。
ここにはあの地震を忘れないために。と作られた慰霊碑「時空翔」が建てられています。その後まわった島西部には山の中腹23.3mのところに、津波が“ここまで襲ってきた”という記念碑が建っています。
はるか上を見上げて、その恐ろしさに身震いしました。
・・・・こうして1日かけて元気になったこの島の復興振りを見てきました。
途中4ヶ所あったこの島の郵便局(下記)も全て立ち寄ることができました。
●奥尻郵便局 ●宮津郵便局
●青苗郵便局 ●松江簡易郵便局(下の写真)
奥尻島に平成5年7月、あの「北海道南西沖地震」(震度6の烈震が直撃し、人口の5%近くに当たる200人以上の犠牲者がでた)からはや10年以上が過ぎました。
私たちは渡島半島付け根の日本海側にある「瀬棚」からフェリーで約一時間半かけて到着しました。
あの大地震で地震と津波そして大火災と三重苦に見舞われたこの島も、今ではすっかり復興し、新しい奥尻島が息づいていました。
島の周囲は約84キロ。我々はタクシーをチャターして一周することにしました。
右回りで周遊し、先ず最初に見えてくるのがこの島のシンボルとも言える(お鍋の取手そっくりの)「鍋釣岩」です。
そして地震では最も大きな被害をこうむった島の南部「青苗地区」にさしかかります。
ここにはあの地震を忘れないために。と作られた慰霊碑「時空翔」が建てられています。その後まわった島西部には山の中腹23.3mのところに、津波が“ここまで襲ってきた”という記念碑が建っています。
はるか上を見上げて、その恐ろしさに身震いしました。
・・・・こうして1日かけて元気になったこの島の復興振りを見てきました。
途中4ヶ所あったこの島の郵便局(下記)も全て立ち寄ることができました。
●奥尻郵便局 ●宮津郵便局
●青苗郵便局 ●松江簡易郵便局(下の写真)
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