中野重治の神がかり その3
中野にとっての転向とは、自分の属する共同体を自ら捨て去ることだ。共同体の外部に出ることなのだ。それはただ一人で別の生き物になる決意とも言えるほど、辛いことだった。
一つの共同体から別の共同体へ移る転向ならば容易い。佐野・鍋山らの転向が酷い裏切りの現象ではあっても、共産党という共同体から天皇主義という共同体への住み替えであって、そこには共同体を失う恐怖はない。共同体に安住していることに変わりはないからだ。
中野らの共産主義者もまた、共産党という共同体に属するには、その前に属していたそれぞれの世間からの転向を経験していた。共産党からの転向の前に、共産党への転向があった。
最初の転向を中野は『歌のわかれ』として描いている。「歌のわかれ」は新たな共同体との出会いであり、そこで中野はそれまでの共同体を捨てるのだが、そこには何か希望があった。それまでにない美しいものがあり、絶望的な恐怖の淵に立たされている意識はない。
ところが共産党からの転向において、中野は孤高の身とならざるをえなかった。共産党という共同体を捨てた中野は、次に属すべき共同体を見出してはいない。以前の共同体には戻れない。「村の家」は疲弊していた。
中野がひょいと捨てたのは党であって文学ではない。文学を捨てないために政治的な転向を受け入れたのだった。しかし当時、中野らの文学は政治と不可分だった。だから政治的転向の言い訳をする者もいたが、中野は一切言い訳をせず、ただ転向した事実を述べるだけで説明はしなかった。天啓による転向だとは自分でも気づかなかったのだ。
それで彼は共同体の外部に立つことを余儀なくされた。
観念の孤独の中で、中野は自分の個を見出した。そして、中野という個は、個として戦う拠りどころを、個の伝統としての神話に求めた。依拠するところが自分一個しかないときに、人は自分という個の中の、何に光明を見出すのか? 一個の経験や知識では弱く小さい。共同体を失った個の拠りどころは、個の非論理的深層であり、神話なのだ。
中野は共産党員だった。共産主義者として無神論者である中野の転向が、天啓によってなされたと中野自身が描いているとは気づかれにくいことだ。だが、無神論も神の承認の一つの態度であるとマルクスは言っている。神に憑かれていない者などいない。「私は組織を裏切ることも仕事仲間を裏切ることも苦痛を感じなくなりはじめていた。ただ論理のギャップを飛びこえるのが苦しかった」(『一つの小さな記録』)と中野は書いているが、そのギャップを「ひょいと」神話的(非論理的)に飛びこえたのだった。
「ひょいと」中野は超越する。「ひょいとそう思った途端に彼は口が乾あがるのを感じた」とか、「ひょいと『かつぽう』がいないのに気がついた」の「ひょいと」だ。これは中野の好きな言葉で、この副詞を中野は超越の現場で使っている。
これは親鸞が『教行信証』で言う「横超」に似ている。他力の悟りは横様に超ぶ。ひょいと悟るのだ。
政治的には転向を余儀なくされた中野だが、文学的には非転向を貫いた。だが多くの者が寝返った。
日本の被支配者たち革命運動の伝統を省みなかったからこそ、転向者の天皇制賛美という事態を出現させたとも言える。マルクス主義者が簡単に天皇制ファシストになりえたのだ。本当のマルクス主義者がいたのかという問題はここでは取り上げない。
中野の主要な論点は、小林の批評文が反論理的だということだった。論理の問題は、非論理的なところもある中野には苦手な分野のはずだが、中野は反論理的ではない。論理を愛している。しかし、中野にはやはり、小林らを論理で批判するのは難儀だったようだ。「わからない言いまわしでなしには小林は何ひとついえない」と食ってかかっても、勝てなかった。
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