蜆の貝を藤の花に見立てた、造り物「しじみの藤棚」
本年、大補修を行ったそうで本物の藤棚のようにきれいだった。
「造り物(つくりもん)」とは。
江戸時代の大坂町人たちは、社寺の祭礼などの賑わい行事として、
趣向を凝らした人形や動物、静物を造りました。
日常的な器物や食物などの風合いに着目して、それを意外な別物に見立て、
見物の人々を楽しませたのです。これを「造り物」といい、大阪では「つくりもん」と発音します。
「お迎え人形」
元禄期になると、氏子たちは町ごとに豪華絢爛の大型風流人形を造り、御迎船に飾りました。
これを「御迎人形」といいます。人形は当時流行の文楽や歌舞伎の登場人物をモデルに造られ、
幕末の最盛期には五十体を越えましたが、現在は十六体を残すだけです。
「木津勘助(きづのかんすけ)」
江戸初期の侠客。本名は中村勘助。木津川の開削や勘助島の開発にあたった。
寛永十八年の米飢饉の際、幕府の米蔵(黒田藩の米蔵とも)を打ち破って、
庶民に施したため、島流しになったと伝えられる。
「雀踊り」
江戸時代の奴の姿に扮して踊る、「風流踊り」の一つ。
「竹二雀」の模様の着物を着て、編み笠をかぶり、六方を踏むように踊る。
現在も、伝承芸能として、堺市や御坊市、仙台市などの祭礼に登場する。
「羽柴秀吉」
戦国時代の武将。一五三六年、尾張の足軽の子に生まれ、織田信長に仕える。
幼名、日吉丸。初名、藤吉郎。信長没後、天下を統一し、
関白となり、豊臣の姓を賜った。九八年没。
「与勘平(よかんべえ)」
竹田出雲作の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の作中人物。
安倍の保名に忠実に仕える奴(やっこ=家来)として登場する。(OAPロビーにて)
「安倍保名(あべのやすな)」
竹田出雲作の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の作中人物。
1734年(享保19)年に初演、翌年には歌舞伎化もされました。
信太森(現・和泉市)の白狐の化身である「葛の葉」と契りを交わして生まれたのが、
平安時代の陰陽師・阿倍清明だと伝えられています。
数ある人形の中でもその美しい容姿が評判となり、江戸時代後期には、
天満青果物市場の銭屋孫兵衛の娘「おさわ」が、
この人形の妖艶な容姿に恋焦がれて、病に臥したという伝承も生まれました。
(帝国ホテルロビーにて)
間近でじっと見ていると確かに吸い寄せられるような妖艶さ。美しい人形だ。
「人でなしの恋」を思い出すな~ 豆柴お気に入りの一編
記事内の説明文はすべて会場に置いてあったパンフや看板によるものです。
Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
本宮の花火大会の夜には通れなくなる「川崎橋」。
主人が一度も渡ったことがないというので、渡ってみた。
大阪城が見えてきれいだ~。川を渡る風が涼しい。
船の中では宴会が・・・
ライトアップされた銀橋。
都会のビル群と祭の夜店。
銀橋を渡ってみた。歩道が大変広くて歩きやすい。
満月がのぞいていた。
ところで最近の浴衣ファッション。帯にラメ入りなどのレースを結ぶまでは良かったけど、
今年は、後ろではなく前で帯を結ぶのが新しいとか。
まあ、若い子が流行を身につけるのは可愛いしいいんだけど、
襟を肩までぐいっと広げて着るのは、どう見ても品がないと思うわ~。(おばちゃんの意見ね)
豆柴、げんなり 主人は「日本の文化が失われていく~
」と嘆いていた。
(↓この子たちは違うよ)
やっぱりオーソドックスな帯が私は好き。可愛いわ~
Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
狭い歩道にたくさんの夜店が立ち並び、賑やかだ。
何やら女の子で人気の「ネーム&べっこう飴」のお店。
好きな男の子の名前で作ってもらうのかな
博多屋台名物「拉麺バーガー」!?
パンのかわりが麺で、中身がチャーシューとかみたいだけど・・・
街の風物詩「スーパーボール」
金魚すくい あの左下のほうのでっかいのすくってみたい
わ~大好きヨーヨー 子供のとき、必ず釣って帰ったものヨー
触ったときの水の冷んやり感と、柔らかさが気持ち良かったヨー
でも翌日にはしぼんでしまって寂しい思いをしたものだョ~
ひよこ釣り 1回300円
エサを垂らすと、ぶぁ~っとヒヨコが寄ってくる
結局、長いことチャレンジしていた男の子は、エサを奪われ残念!
愛染まつりに関する7つのお話。(HPより)
1.日本最古の夏祭
593年に聖徳太子が開いた日本最古の夏祭りとして知られています。
一般に6月30日の「夏越しの大祭」以降に行われるお祭を夏祭りと呼んでいます。
2.大阪三大夏祭り
住吉大社、天神祭りに並び、大阪三大夏祭りの一つとして、古くから親しまれています。
3.あいすいません
昔から、関西の夏祭りは「愛染祭り」に始まって、いくつもの祭が行われ、
住吉大社で締めくくると言われています。
これを「あい(愛)すみ(住み)ません」と語呂合わせして覚えます。
4.夏越しの大祭
夏に向けて疫病が流行るということで、昔の人は6月30日に夏に負けないように
(病気にかからないように)と願いを込めて「夏越しのお祓い」を行い、
その風習を現在まで受け継いでいるのが「愛染祭り」なのです。
5.浴衣祭
「愛染祭り」は関西で一番最初に浴衣を着る夏祭りとして知られています。
祭開催中には浴衣で来られた方へ愛染娘からのプレゼント「ラブ・ブレスまき」
などもご用意しております。
6.宝恵駕籠
宝恵かごの名前の由来は、江戸時代の年号「宝永」です。「愛染まつり」の一大イベントともなっている
宝恵かかごパレードは、この宝永年間に芸妓(芸者さん)達が宝恵かごに乗ってパレードしていました。
宝恵かごの掛け声は、平成13年より「21世紀に残したい大阪の音風景」に選定されています。
7.愛染娘
愛染娘は毎年、一般募集の公募で選ばれています。
愛染さん(愛染堂=勝鬘院)
〒 543-0075 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36
地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅5番出口から徒歩2~3分
JR天王寺駅から谷町筋を北へ徒歩15分
愛染祭は、とても素敵なお祭だった。来年もまた行けたらいいなあ
Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
愛染堂のお隣に「大江神社」がある。
お!テニスコートが見える~
通天閣も見える
茅の輪神事斎行
「「水無月の夏越えの祓いする人は千歳の命延ぶるといふなり」
と繰り返して唱え、茅の輪を三度くぐって、神前にて拝礼の後、お神酒をお受け下さい」
ん?なんでタイガースのメガホンが?
「境内奥に鎮座する狛虎は江戸時代に祀られていた毘沙門天の守護で、
明治の神仏分離で「吽形」が滋賀に移され、残った「阿形」も大阪大空襲で焼夷弾を受け、
耳がとれ、歯もかけてしまいました。そこで平成15年8月、地元有志が、
「狛虎を一対にしたら優勝するのでは」
と「吽形」の狛虎をつくり、そしてその年、阪神タイガースは18年ぶりに優勝しました。
マスコミにも大きく取り上げられ、今ではタイガースの守り神として、多くのファンがお参りされています。」
左:タイガースファン奉納の「吽形」狛虎、 右:戦火に焼け残った「阿形」の狛虎
西側には長い階段が。
母よりずっと年配のお年寄りが自分の足で階段を昇っておられた。
大江神社
〒 543-0075 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-40
地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅5番出口から徒歩2~3分
JR天王寺駅から谷町筋を北へ徒歩15分
「夕陽ヶ丘」と言う地名は、その昔、この台地のすぐそばまで海がせまり、
西の海に夕日が沈み行き、茜色に染まる空の美しさにいつしか
「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったといいます。(大江神社HPより)
Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
7月2日に大阪三大夏祭りのひとつで、 「愛染さん」と人々が親しみを込めて呼ぶ、
天王寺の愛染堂(勝鬘院)で行われる愛染祭に行って来た。
「愛嬌・人気・縁結びの神、愛染さんの夏祭りで、
連日、18時より芸能大会や祭囃子などが演じられ、夕方からたくさんの屋台が立ち並ぶ。」
狭い歩道に屋台がたくさん。
縁結びの愛染さん
「金堂に祀られる愛染明王は、主に良縁成就・夫婦和合の本尊として有名で、
境内にある「愛染めの霊水」は飲むと愛が叶うといわれ、女性参詣者が毎年たくさん訪れます。
また小説家の川口松太郎さんが、この近くに住んでいたこともあり、
彼の代表作であり映画化もされた「愛染かつら」のモデルとなった、
縁結びの霊木「愛染かつら」があることでも有名です。
この霊木の前で愛を語り合った男女には、
何があっても幸せな結末が訪れるという伝説が残っています。」
(HPより)
小さなお寺だが、とても賑やかで活気のある祭だ。
315人募集の中から選ばれた12人の可愛い愛染娘さんたち。
宝恵かご
かけ声
愛染さんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ~・ごっ
べっぴんさんじゃ、ほぉ・えっ・かぁ~・ごっ
商売繁盛、ほぉ・えっ・かぁ~・ごっ
このかけ声は平成13年より、「21世紀に残したい音風景」に選定されている。
子供達が乗せてもらって「ほえかご!ほえかご~!」。
多宝塔
「推古天皇元年(593年)聖徳太子によって創建され、
その後、織田信長の大阪石山寺攻めの際に焼失したが、
慶長2年(1597年)豊臣秀吉により再建された。
大阪市最古の木造建造物として国の重要文化財に指定されている。」
密かなパワースポットとして人気の「腰痛封じの石」。
主人も私も体験しておいた
「愛染堂の藥医門をくぐった右奥に「愛染かつらの木」があります。
樹齢数百年といわれる巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、
桂とカズラが一体となったその姿は、まるで仲の良い男女が寄り添っているように見えることから、
カップルの縁を取り持ってくれる「恋愛成就・夫婦和合の霊木」として、
何百年もの間、この地で親しまれています。
毎年、夏になると木の幹に絡みついたカズラの葉っぱが生い茂り、
オレンジ色の花も優雅に咲き誇る光景に出会えます。
年輩の方々なら「愛染かつら」という名前を聞くと、
昭和10年代に田中絹代と上原謙が、昭和20年代には京マチ子と鶴田浩二が、
また昭和30年代には岡田茉莉子と吉田輝男といった美男美女の役者がそれぞれ主演を務めて
一世を風靡した同タイトルの恋愛映画を思い出されるのではないでしょうか。
向かって右側には、映画の好評を祈って主演の吉田輝男さんが
愛染堂に植樹された若い桂の木が植えられています。」
(勝鬘院HPより)
京都には「葵・祇園・時代」の三大祭があるが、
大阪にも三大祭「愛染・天神・住吉」があるとは知らなかった(^^ゞ
愛染さん(愛染堂=勝鬘院)
〒 543-0075 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町5-36
地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」駅5番出口から徒歩2~3分
JR天王寺駅から谷町筋を北へ徒歩15分
Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
今回はメインの通りから横道?に入って歩いてみた。
いやぁ~っ!ごっつディープな感じやわ~!
天満市場
スーパーマルショー ここも安いのは安いけど、普通の値段のも当然ある。
でも安い野菜につられて、そうでもないのもつい買ってしまうんやね~。
地下鉄に乗って帰らなあかんのに、重たいもん買っても~た
ま、主人が持ってくれるからええか
小さなお店が並ぶに前は、レンガの壁が。この向うには何があるん?
酒の奥田 禁煙の立呑み!! 安心して呑めるね~
しっかし、ここはいったいどこなんやろ~ 二度と行けない、来れない
天満駅前北本通りだった(^^ゞ
いつも商店街のメインの通りしか歩いたことなかったので、かなりびっくり
おもしろい~ また探検しに行こっと
ひとりやと無理やけど~
Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
住まいの大阪六景 (5)~(6)
5 城北バス住宅「第二次世界大戦の空襲で、焼け出された人々の救済のために、
建設された仮設住宅のひとつに、廃車になった木炭バスを利用したバス住宅があります。
26台のバスをメガネ形に配したバス住宅がつくられました。
家賃が安く、隣近所のつながりも深かったことから住み続ける人も多く、
城北バス住宅は昭和26年まで存続しました。」
「終戦後、大阪ではカンテキ(七厘)をいこすお母さんの姿があちこちで見られました。
物を煮るのに価が七厘ほどの炭でまかなえたことから名づけられたとか。
ちなみにバスも木炭で動いていました。」
昔はうちにも七厘がありました。朝起きると母が七厘の火を熾していて、
あのにおい、思い出されます。でも母は何を作ってたのかなあ。
6 古市中団地「昭和28年(1953年)から建設がはじまった城東区の古市中団地は、
総合的な手法による計画的な大阪市営住宅団地です。
ここには、水洗トイレやバルコニーが備え付けられるなど、新しいライフスタイルの住宅として注目を浴びました。」
台所は狭くて冷蔵庫を置く場所がなく・・・
和室の畳の上に置いたそうです。
洗濯機もベランダです。
生活道具の変遷
わ!これ実家で使っているこたつと同じ
4月下旬から8月末にかけては季節のしつらいとして、夏祭りの飾り付けがされます。
「大坂の夏は祭りの季節。天神祭りの宵宮風景を再現します。
大通りには高張り提灯が並び、各町家には家紋を染め抜いた幔幕が掛けられます。
御座船の山車、祭囃子の音、夜空にあがる花火など・・・
わくわくする祭りの日を体感できます。」(~9月5日)
いや~盛りだくさんで、すんごい楽しかったです夏祭りの飾りつけもいつか見に行ってみたいです
これまでの記事における「」内の説明は、パンフレットなどに書かれていたものです。
大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
住まいの大阪六景 (1)~(4)
1 川口居留地
「川口居留地は、慶「応4年(1868)の大阪開港に伴い、
安治川と木津川に挟まれた場所につくられました。 道路には歩道、街路樹、街灯が整備されて西洋館が建ち並び、
テニスコートやパンと牛乳の店などが誕生しました。」 2 北船場「明治45年(1912年)市電の敷設にともなって堺筋は12間幅に拡幅されました。
これを機に近代的ビルや近代的町家が建てられ、都市景観は大きく変わりました。」
3 大大阪新開地
「大正14年(1925)大阪市は、周辺の町を併合した「大大阪」を誕生させました。新たに市域に編入された新市街地は大大阪新開地と呼ばれ、
ここには大正8年(1919)にはじまる土地区画整理事業が完成すると、
長屋建の貸家が建てられました。」
4 空堀通「路地と長屋の町としても知られている空堀通は松屋町筋から東に1キロほどつづく商店街です。
この一帯は江戸時代中頃から市街化し、 明治時代には商店街になっていました。一見すると江戸時代からの町並みが残っているようですが、昭和戦前期らしい建物も建っています。」 なんか私のいま住んでいる家のようです(^^ゞ
でもこんなシミーズいっちょで洗濯物干してませんよ~
住まい劇場 「あの日 あの家 ある家族の住み替え物語」「空堀商店街で生まれ育ち、戦後をバス住宅で仮住まいし、
高度成長期には古市中団地に引っ越した、悦子さんの住み替え物語。」
「悦子さんの住み替え物語」は当時の様子や暮らしを、
模型と映像、そして八千草薫さん(悦子さん役)のナレーションでたどっていきます。
展示物が動く仕掛けもあり、おもしろいです~。大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
8階は「じっくり見て体感する大阪の街」 踊り場の展示品
開化の大阪「からくり錦絵」「近代都市として新しい発展の道を歩みはじめた大阪の様子を、からくり仕掛けの錦絵で紹介します。」
次々と錦絵が浮かび上がり、立体的で賑やかになっていきます。
天満橋のようす
水都の祝祭 天神祭 1921「大正10年に描かれた絵巻物をもとに再現したもので、
かんかん帽に洋服を着た船上の人物、蒸気船、
そして川沿いに建つ近代建築に時代の雰囲気があふれています。」
心斎橋筋商店街 1927
「昭和初期の心斎橋筋商店街の店先と心ぶら風景。」「心斎橋筋の東側、周防町から三ツ寺筋、宗右衛門町に至る町のにぎわいを
「心斎橋筋案内」をもとに再現しました。モボ・モガが闊歩したファッションの最先端の街です。」 通天閣とルナパーク
「明治末期に完成した初代通天閣とルナパーク」「明治45年に開業した一大歓楽地「新世界」。
シンボルタワーである通天閣と遊園地ルナ・パークを再現。初代の通天閣に出会えます。」大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
今回の目的のひとつ、このワンコ達を探すこと。どこにいるのか。
みなさんも、行ったら探してみて下さい。
夜の路地にて
とっても優しい顔つきですね。
ここにいます
昼間にて
当時の大阪の街並み 川がたくさん大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
こちらは裏長屋
雨のしずくのあとも再現されています。
洗い張り
着物をいったん解いて反物の状態にし、洗って板に張ります。リサイクルですね。
「しんし(伸子)張り」 とは、洗濯した布などを伸子という竹串を使って、
しわをのばし乾かす方法です。
鰯の頭も信心から
行灯 燃料は菜の花の種をしぼった油です。
裏・裏前栽 部屋に入るとすぐに裏口が見えます。
うちの実家の庭のことを「せんだい」って親が呼んでいて、
意味がわからなかったんですが、「前栽(せんざい)」だったんですね!
天窓(明り取り)
開閉には縄や麻紐をつなぎ上下に渡した丸竹を介していました。
台所の流し 「走り・水壷」
「野菜を洗ったり米をといだり炊事をするのが「走り」です。
また大坂の水は金気が強く飲み水にはなりませんから、
買った水を、水壷に溜めます。」
まな板 大阪のまな板は、隅に4本の足がつきます。
共同便所(雪隠)
屎尿は肥やしになるので近郊の農家が野菜やお金と交換しに来ました。
その取り分は大家さんの取り分になりました。
あ~この暗~い便所 親戚の家に行くとありました。
母屋から離れた外にあり、夜に一人で行くなんてとんでもない!怖くて怖くて
昔は、下に落ちる夢をみてうなされたものです大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです
「天下の台所とも町人の町とも称された大坂の町には、
8万戸のもの町家が軒を列ねていました。町家は、町の家、すなわち都市住宅という意味もありますが、
その語源は、通りに面して店舗を構えた住宅のことを指しています。
典型的な町家は「職住一致」といって、表に「店の間」の業務空間、
奥に「台所」や「座敷」などの居住空間と接客空間があります。」
「京都では、店先に並の商品を少しばかり並べ、大切な品物は
奥の土蔵にしまい込んでしまうので町並みが淋しく見えるが、
大坂ではありったけの品物を店に広げて表を飾るので、
町全体がたいへん繁盛しているように見えると記されています」(冊子より)
こちらは町家の台所
へっつい
「煮炊きをする道具。火打ち石を使ってほっくちに火を移し、
付け木でさらに大きくし薪や柴を燃料とします。」
落語に「へっつい幽霊」というのがありますね
私が小さい頃、実家の台所は土間でしたがガスコンロでした。
親戚の家では暗~い台所で、大きなへっついさんがありました。
火加減が難しいだろうな~って思ってました。
便所
風呂の薪をくべる穴大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
ポチッとクリックよろしくです