風呂屋 「営業は朝から夜まで入れますが、夕方には火を落としてしまいます。
これは、火事に対する気配りのためです。」
高座
「江戸では番台というそうですが、大坂では高座と呼んでいます。
湯銭を払い、ヌカを求めるのもここです。」
引き札
「風呂屋のような大勢の人が集まる場所には、よく引き札がはられています。
引き札とは、その店の宣伝広告なのです。」
桶の後ろにあるのは水桶です。
ざくろ口
「浴槽に入るには、ざくろ石をくぐって入ります。
湯気を外へ逃がさないように工夫されたものです。」
「ざくろ口」とは。
「「屈み入る」と「鏡鋳る」をかけた洒落なのだそうです。
「鏡鋳る」というのは鏡を磨くことで、その際に用いるのがザクロの実でした。
それで屈んで入る所を石榴口と呼びはじめたそうです。」
脱衣箱 (階段の左に少し見えてます)
「風呂屋では被り物をして入浴する事が禁止されていました。
盗難防止のためには、ロッカーが必要になったわけです。」
この階段の先は真っ暗で行き止まりなんでしょうが、
こういうのを見ると、上がって行きたくなります。
江戸川乱歩の「人でなしの恋」を思い出します。あれは蔵だけど。
「江戸と違い大阪では洗い場が石敷きになっています。
浴槽に入る前に体を洗い、湯につかりあがり湯をいただいてさっぱりするのです」
「この風呂屋では江戸時代の暮らしがよくわかるシアター(ガイダンス映画)上映を
行っています。第1回10時10分開始、以降45分間隔で上映します」 なかなかおもしろいし、町家の大阪弁が耳に心地良いんですが、
ちょっと長くて、眠くなりました(^^ゞ大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
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(2月のお話(^^ゞ) 大阪くらしの今昔館に行って来ました。 長~いエスカレーターを上がって9階へ
8階にある「なにわ町家の歳時記」を上から見ることができます。
お!この声は!? 音声案内の解説は桂米朝さんです!!米朝さんの声は風情がありますな。
1830年代の大坂の町を約1100平方メートルの空間に再現。
屋根の上の四角い窓のようなものは「天窓」です。
へっついから出る煙の排気、換気、明り取りになります。
8階に降りてみましょう。 木戸門をくぐると・・・
大通りの両側には、風呂屋、本屋、建具屋、小間物屋、呉服屋、薬屋が並び、
町会所の上には火の見櫓もあります。
小間物屋
女性の元結や髪油、化粧品を扱う店。
左上から、びん出し(耳ぎわの髪を出すために工夫された歯の長いくし)、
びんつけ油(髪のみだれをふせぐためのロウと油を練り合わせたもの)
剃毛・紅筆、鹿子(鹿のこのものような班から絞り模様の名がついた)、
元結(髪のもとどりを結ぶための糸・紐をいう)、
左下から、くし、かんざし、くし・こうがい、
丈長(和紙を細長く切って平らにたたんで、元結のうえに飾りとして結ぶもの)
人形屋
店先には面や風車、ぶりぶり太鼓が並ぶ。
唐物屋
話題のエレキテルや渡来の珍品が勢ぞろい。
エレキテル
「江戸時代、魔法の箱と呼ばれる電気を起こす機械が誕生しました。
平賀源内は「人の体から火を出して病を治す器」として治療を行ったり、
大名の前でデモンストレーションをしたり、宣伝しました。
当時はまだ静電気の概念はなく大きな驚きで日本中の話題になったそうです。」
本屋
書籍や絵双紙、芝居の役者絵などを扱う店。
商家の中2階の通風と明り取りのために設けられた虫籠窓(むしこまど)。
(形が虫籠に似ていることから名づけられたと言われています。)
通りの真ん中が盛り上がっているのは、雨水が道の脇に流れるようにするためです。
町会所の火の見櫓
この町では一日の流れを光と音で演出し、時には雷の音、犬の遠吠え、
祭りのお囃子、井戸端会議の話し声などが聞こえてきます。
夜になると町の様子も変わり、薄暗くて情緒があります。
呉服屋
古着物から反物まで、多様な品揃え。
合薬屋(ボケてます)
江戸時代に実際にあった万能薬「ウルユス」を調合する店。
「ウルユス」 漢字の「空」スをバラバラにしてカタカナ読みをすると、 ウルユス、つまり、「空にします」 という意味。
主な成分は大黄。現代に伝えられたウルユスは、板チョコのような形をしており、
それぞれの塊に金箔がのっています。
いや~すんご~く楽しい 時代小説の中に迷い込んだみたい
特に夜(効果)がいいです。灯りは照明ではなく行灯ですから、
実際はもっと暗かったんでしょうねえ。大阪くらしの今昔館HP Mameshiba
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飲ませると子どもの癇の虫が治まるとの意味から、俗称は「かんしづめ(癇静め)の井」。安居神社の社務所脇の崖下に1mほどの空井戸とそれを取り巻く玉垣が現存します。安居神社は菅原道真が大宰府に左遷される途中に滞在したところで、そのとき患った病気を井戸の水で癒したと伝わります。(大阪市HPより)
井戸に行くまでの階段は封鎖されていて、降りることはできませんでした。
安居神社の南側
通天閣が見えました。
安居神社を南に出ると大きなお寺一心寺があります。そのの東側に一心寺シアターがありました。寄席やライブ演劇が行われています。ここにあったんや~。
大阪、いろいろとおもしろい街です。
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安居神社
真田幸村戦死跡之碑と真田幸村像
1615年5月7日 大坂夏の陣すでに豊臣方の敗色は濃厚のなか、安居神社南の茶臼山の陣取った幸村は、さらに南側の徳川家康本陣を激しい突撃で混乱に陥れ、
あと一歩まで追いつめる。だが、家康方の増援に阻まれ、
ついには退却を余儀なくされる。そして安居神社で腰を下ろして休息しているところを、
徳川方の越前兵、西尾仁左衛門に討ち取られた。
(朝日コムより)
2009年12月17日に除幕式が行われました。
真田家の旗印である六文銭
真田幸村の遺髪から血液型はA型だと判明したそうです。
「幸村公はこの境内で無念の死を遂げました。その生き方は生きる人間の本義を貫いた人として多くの人に愛されています。
この地から幸村公ははるか故郷 信州上田を偲び、また父昌幸公を慕い、そして大阪城に思いを馳せているのかもしれません。
幸村公の遺徳を偲び ここに銅像を建立しました。この銅像にお手をお触れ下さい。そしてその徳を授かって頂ければ喜ばしく思います。」
(安居神社 宮司) とありましたので、べたべたと触らせて頂きました
真田十勇士のポスターが社務所に貼られていました。
真田十勇士は架空のものであり、実在した人々ではないそうです。真田幸村や真田十勇士が活躍する物語の原型は、江戸時代中期頃に大坂で作られた「真田三代記」「難波戦記」といった小説であるといわれています。「難波戦記」では幸村も豊臣秀頼も夏の陣で死なずに薩摩に逃げ延びるとか。
安居神社
大阪市天王寺区逢阪1-3-24 地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽ヶ丘駅より徒歩6分
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吉祥寺を出て谷町筋沿いを南へ300メートル程歩き、星光学院を超えたあたりを右に曲がると、伶人町と逢坂という住居表示の境界線に、安居神社に通ずる坂道・天王子七坂のひとつ「天神坂」があります。 天神坂 上から見たところ
下から見上げたところ
天王寺七名水 大坂の町がたびたび飲料水不足に悩まされていた時代も、豊富な水が人々の生活を救いました。
特に重宝されていたのが「天王寺七名水」「逢坂清水」と名高い各井泉。 「天王寺七名水」は、金龍、有栖、増井、安井、玉手、亀井、逢坂、の、七つの井戸を指します。残念ながら現在は、金龍と亀井の水を残して、枯れ果ててしまいましたが、地域の協力を得て井戸枠など残しているものもあります。(大阪市HPより)
飲めませんよ~
安居神社へ続く西側の階段です。
この階段の先に、真田幸村が戦死した安居神社が
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良い香りがすると思ったら、蝋梅が満開でした。(2月のお話(^^ゞ)
わ、なんかこちらを睨んでる・・・ ちょっと近寄ったら「わわわーん!!」って吠えられたので、 知らん顔してたら・・・
スネて?後ろ向いちゃった。
ぽかぽかと良いお天気でお昼寝。気持ち良さそう~
猛犬なんや!
水仙も咲いていました。
「この寺は日々訪れる参詣客のため、時間内(9:00~16:30)の出入りは基本的に自由になっています。「お寺とは本来そういうものでしょう。高い拝観料をとったり、みなさん方との間に敷居をつくるようなことはしたくありません」と住職は語ります。その根底には、失われつつある、地域の人たち同士のつながりを大切にしたい、という心です。境内には立派な枝垂れ桜があり、春には美しい花を咲かせます。その見事な眺めを、私たち一人ひとりが、自由に楽しめるのです。」
(上六うえいくネットより)
吉祥寺 大阪市天王寺区六万体町1番20号地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽丘駅下車 北へ歩いてすぐ
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討ち入り後300年を記念して建てられた四十七義士の石像 大迫力です~ それぞれひとつひとつポーズが違っています。
左:大石主税良金 右:大石内蔵助良雄
私の好きな 享年17歳 矢頭右衛門七教兼
堀部安兵衛武庸 岡野金右衛門包秀 吉良屋敷の絵図面を手に入れました。
美男子だったということですが。どうでしょ(^^ゞ
神崎与五郎則休
大高源五忠雄 12月14日に吉良屋敷でお茶会があることを調べました。 大石瀬左衛門正久
リアルな感じの刀
本堂前に置かれていた石像ですが、これは誰でしょう。
寺坂吉右衛門信行の像は、一番上にあったようです。
吉祥寺 大阪市天王寺区六万体町1番20号地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽丘駅下車 北へ歩いてすぐ
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主人が忠臣蔵が好きで、私は私で前から行きたかった、 義士の寺「吉祥寺(きっしょうじ)」に行ってきました。 「吉祥寺は浅野家の大坂の菩提寺で、参勤交代の際には内匠頭も立ち寄ったらしく、当時の住職が親しかったこともあり、江戸の泉岳寺より先に大坂のこのお寺にお墓が建てられたようです。」
義士が討ち入りの時に着た、だんだら袖の模様は、 水を表わす白の三角が火を表わす黒のそれを押える という意味の火事装束であったようです。
四十七士の一人で足軽だっために幕府から切腹御免となった寺阪吉衛門が、
四十六士の遺髪や鎖かたびらなどを大坂に持ち込み、
江戸では幕府の手前かなわなかった、義士たちの慰霊碑の建立を
吉祥寺に依頼し、その冥福を祈りました。以来吉祥寺は「義士の寺」として
多くの人たちから尊敬を集め続け、今も義士たちの心を慰めるため、
多くの人がお参りに訪れます。(上六うえいくネットより)
門をくぐると、大石内蔵助の像が建っています。
ひっそりと静かなお墓でした。
「吉祥寺はこれまでに何度か大きな災禍に遭ってきました。1916年(大正5年)には火災により全焼し、1925年(大正14年)に再建。しかし1945年の大阪大空襲により貴重な品々を納めた蔵が全焼するなど壊滅的打撃を受けましたが、義士たちの墓だけは奇跡的に焼け残りました。
空襲によって、浅野家や義士たちゆかりの貴重な品々はすべて灰燼に帰しましたが、義士たちの忠義の心、そして天下に対し正道を糺した姿を忘れまいとする心はずっと受け継がれています。毎年12月14日の討ち入りの日には、吉祥寺の現在の住職・村山雅雄師を中心とする大阪義士会が中心となって、「義士祭(赤穂義士奉讃祭典)」が盛大に開催されています。」
(上六うえいくネットより)
吉祥寺 大阪市天王寺区六万体町1番20号地下鉄谷町線 四天王寺前夕陽丘駅下車 北へ歩いてすぐ
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ヒルトンの次は、ディアモールのクリスマスを見に行きました。時間的なものか、場所柄か、このあたり人が少なくて静かです。
(梅田 大阪駅前ダイヤモンド地下街1号) 今年は森をテーマにしたグリーンカラーベースのデコレーション
ファッショナブルストリートでは、1万8000球のLEDの幻想的な光と、
ガレリア空間にそびえる6Mの大きなTreeが優雅なクリスマスを演出。円形広場には1万株の幻想的な光のドレープが登場。
聖なる森のクリスマス
ブリーゼブリーゼというビルにある(いる?)ブリch(ブリチャン)です。
身長12mのマリオネット「とある国のとある空気のきれいな森から生まれた、
といううわさはありますが、本当のことはあまりわかっていません。」
でっかいです~
自分からは話しかけないけど、
時々、ポーズをかえて驚かせるそうです。 あ~お腹空いた~ Mameshiba
あとはクリスマスディナー
の記事だけ
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現地(ドイツ)のグルメやショッピング、楽しいイベントが開催されています。 このサンタさんが、本物の人間か精巧に作られた人形かわからず、
(ときどき地味に動く) 「これ、ほんもんか!?人形か!?」 と、話しながらみなさん携帯で写真を撮っていました。ほとんど動かず、時々居ずまいを直すんですが、 その動きがまたゆったりで、ますます人形みたい。
私は近くまで寄って顔をジロジロ見たんですが、
顔や鼻がピカピカですごくきれいなんですよ。
でも、小さな子供さんを連れたお母さんが「写真いいですか?」と、サンタさんに聞いたら、うなずいて子供を抱っこして膝に乗せたので、 わー!人間や!!
顔をのぞきこんで見ちゃったわ。ごめんちゃい(^^ゞ
後に調べたら、ドイツのサンタクロース「ニコラウス」さんだった(^^ゞ
キリスト生誕シーン 可愛いハートのお菓子のお店
う~お腹空いた
う~美味しそう
名物!グリューワイングリューワインとは、赤ワインと香辛料などを温めて作るホットカクテルう~ホットワイン飲みたい!!
でもこの後、クリスマスディナーが待ってるから、我慢我慢
ガラスのオーナメント
このほか、マイスターの技が光る伝統工芸品、
多種多彩なクリスマスオーナメント、ドイツの食べ物など、
「本場の味とグッズが並ぶヒュッテめぐりでドイツを旅行気分!」だそうです。
今回は飲んだり食べたりしなかったので残念でした。ぶらぶら見て歩くだけには、会場はちょっと狭いかな。
来年は、グリューワインを飲みたいと思います
新梅田シティには空中庭園があり、 「Heartful Christmas」が行われていました。
~恋人たちが過ごす聖夜、二人を包む美しい夜景と星空~
う~ん、来年は・・・ でも、さっぶいやろな~
いや、熱々の恋人たちには寒さもアイテム
なのよ
うふ
空中庭園展望台は「恋人の聖地
」に選ばれています。 Mameshiba
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昨年(2009年)のクリスマスは、新梅田シティに行きました。
ずっと毎年、行きたかったんですが機会がありませんでしたので楽しみでしたが、人が多くて、ゆっくりカメラをかまえて写真が撮れませんでした~。
新梅田シティ・ワンダースクエア1Fで開催されています。
世界最大級のクリスマスツリー 高さ27メートル、約10万個のライトで飾られたクリスマスツリーは、音楽に合わせて次々と光のデザインを変えていきます。 ボケボケの写真しか撮れんかった。残念!
115年の歴史を持つアンティーク・メリーゴーランド
工事現場のポールもツリーに見える!?
「伝統的なドイツ・クリスマスマーケットをドイツから丸ごと大阪に持ってくることで、多くの人々に、大阪にいながらにして本場の雰囲気を体験していただくことができます。」 Mameshiba
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露の天神社(つゆのてんじんじゃ)
(通称 お初天神)
近松門左衛門「曽根崎心中」ゆかりの地
曽根崎お初天神通り商店街(おはてん)にあります。
なんか右側だけの画像なんですが、左のほうにどこかの居酒屋の
チラシを配ってる兄ちゃんが長電話してて、なかなか動かないので、
避けて撮ったら、こんなんなりました(^^ゞ
元禄16年(1703年)に神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、
近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。
以後、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになりました。
ビルの谷間にある神社
商店街のパチンコ屋さんや、居酒屋さんの立ち並ぶ喧騒が嘘のようです。
大きな灯篭がありました。
誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。
この作品は当時の人々の間で大評判となり、当神社にも参詣回向の
老若男女が大勢押しかけたといわれています。
広く民衆の涙を誘うこの作品はその後も繰り返し上演され、
今日でも回向とともに、恋の成就を願う多くの人々が訪れています。
昭和47年7月、曽根崎中1丁目の有志によって、恋に殉じた二人を慰霊するための
「曽根崎心中 お初 徳兵衛 ゆかりの地」
という石碑が建立されました。
二人の300回忌の後、氏子の一人が「お初天神さんのために」と
100万円の寄付があり、それをきっかけに地元の商店街などから寄付金が
寄せられ、平成16年にブロンズ像が制作されました。
天神さんを出て歩いていると、「ごて地蔵通り」がありました。
曽根崎警察署の南、旭屋書店の横を入ったとこに「ごて地蔵尊」があるそうですが、
今度、覚えてたら行ってみようっと。
曽根崎公設市場 へ~公設市場があるんですね。
千林商店街にも昔はありましたが、スーパーになってしまいました。
お初天神については、過去にも記事にしてます。 ミナミは観光客なんかも多いので、カメラを構えていてもおかしくないですが、
キタは、ちょっと恥ずかしい感じがします(^^ゞ
撮りたい!って思うものがいろいろあるんですけどね~。
Mameshiba
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なんだかほんとに大阪橋めぐりみたいになってきました。
名前も外観きれいな橋です。歩行者専用の橋です。
水晶橋
当初は河川浄化を目的に堂島可動堰として架設されたゲートでしたが、
その後、改装整備が行われ「橋」となったそうです。
橋の名前は橋上にある
照明灯の水面に映る様子が、水晶のような輝きに似ている
ことから名づけられたといわれています。
水晶橋からの眺め
明かりが灯る瞬間を見ました夜にはライトアップされますよ~
これまでの記事の橋についての説明は、 歩いて大阪八百八橋
大阪橋ものがたり
を見て引用させて頂きました
水晶橋を渡ったところで、水都大阪を後にしたんですが、
いちおう括りは「水都大阪2009」で(^^ゞ
裁判所 陪審員に選ばれたら、ここまで来ないといけないの?
佐賀藩蔵屋敷跡
平成2年に裁判所の地下駐車場の工事の時に、蔵屋敷跡が発掘されました。
ア〇リカ大使館
テロ以来、警察がビルを警護するようになったそうです。
カラオケの映像に出てきそうな北新地
さすがに通行人がいっぱいの中では撮影は恥ずかしくて、
ささっと1枚慌てて撮影
あああ~終わった~ 水都大阪2009アルバム完成~
すっとした
あ~疲れた
Mameshiba
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