【えんむすび】をテーマに、今回訪れた寺社を紹介します。
1285年、鎌倉幕府第8代執権北条時宗正室 覚山尼が尼寺として創建し、1902年までは男子禁制。
特に江戸時代においては、幕府公認の縁切寺として、女性の積極的意思による離婚を支援。
あまたの女性を救ったといいます。
【まめ知識】
江戸時代において離婚する場合は夫が三行半を書くことが基本。
妻から夫へ離婚を言い渡すことは許されていなかった。
女性は寺へ駆け込んでから3年間を比丘尼として奉公すれば、夫との縁は切れ、離婚の効果が生じた。
これは、覚山尼が制定した縁切寺法によるものという。
夫との縁が切れた女性は、新たな世界へ踏み出すことが許されます。
そんな由来を持つこのお寺は、不要となった縁を断ち、新たな縁を結ぶ祈願をする場所としてふさわしいお寺と言えるでしょう。
寺としては少々特殊な機能を具えていたためか、古来より寺名ではなく「松岡」「松ヶ岡」と呼ばれていたそうです。
5代目に後醍醐天皇の皇女・用堂女王を迎え、以来「松ヶ岡御所」と称されるようになります。
さらに20代目に豊臣秀頼の娘・天秀尼を迎え、天秀尼が徳川家康に対し、縁切寺としての東慶寺の従来の特権を主張し認められたことから、その格式はさらに上がったといいます。
敷地は縦に細長く、奥には小林秀雄や和辻哲三、西田幾多郎などの文化人らが多く眠る墓苑があります。
宝蔵館では寺伝来の寺宝を展示するほか、実際に合った駆け込み例を記録した松が岡日記等が所蔵されています。
また座禅や写経、茶道・香道の体験など、様々な催しが行われています。
花は梅と菖蒲が有名。特に梅の頃はカメラマンが多いです。
この時期は木々の葉も枯れ落ち、うら寂しい風景ばかりですが、蝋梅や緋寒桜がささやかに咲いています。
1063年、前九年の役を平定した源頼義が京都の石清水八幡宮を由比ガ浜(現在の材木座)に
勧請し創建したのが鶴岡八幡宮です。
その後1180年に源頼朝が、現在の地に移します。
以来武家の都の中心地として、また東国の総鎮守として、厚い崇敬が寄せられます。
今ではすっかり観光地となった鎌倉の中心施設として、年間を通して多くの参拝客が訪れます。
神社としては「八幡宮」なので八幡神(やはたのかみ)を祀っており、ご利益の中心は国家鎮護
・厄除開運・武運長久が主になるのでしょうが、現在では家内安全・恋愛成就・健康長寿・学業成就に交通安全、
ひとことで言うと諸願成就、あらゆるご利益があるような感じです。それも何だかなと思うのですが。
ここは本殿へお参りして終わり、ではありません。
境内には他にいくつか社が建てられています。
● 丸山稲荷神社 ・・・ 本殿脇。商売繁盛祈願に
● 白旗神社 ・・・・・・・ 本殿東の階段を下りて左へぐるっと。必勝・学業成就に。
● 旗上弁財天社 ・・・ 源氏池の島。鎌倉七福神の一。技芸上達・金運祈願に。
特にこれというお願い事がある方は、それぞれの祭神へのお参りをお忘れなく。
また、境内の一隅に注連縄で区切られた一画があります。
これは元宮である若宮をお参りする場所として設けられた、「由比若宮遥拝所」です。
鶴岡八幡宮の元宮ですので、前を通りかかったら、こちらにも忘れず一礼していきましょう。
また、新年の鶴岡八幡宮は様々な神事が行われます。
興味がある方は事前に鶴岡八幡宮のHPでチェックしていくか、あるいは運が良ければ偶然出くわすかもしれません。
ちなみに一昨年は、こんな日に当たりました(^^)