一昨日都内で行われた、プロ野球ドラフト会議。
桐光学園の松井投手に次いで注目を集めたのは、九州共立大の大瀬良投手。
たまたまTVニュースでその抽選の場面を目にして驚いた。
広島はドラフト抽選3連敗中の野村監督がくじ引き役を拒否したため、
抽選になった場合は、指名選手に一番思い入れのあるスカウトがくじを引くという記事は
前日にYahooニュースで見ていた。
引退した田村恵選手が、広島でスカウトを務めていることは、数年前たまたま目にした
新聞記事で知っていた。
が。
それがまさか、ここでこんな形でつながるとは。
当たりくじを確認してガッツポーズした田村スカウトを見て思ったのは、
ああ、この人幸せな人生を送っているな、ということ。
選手を辞めても、好きな野球に関わっていけること。
自身の手で掴めなかった夢を、立場を変えて追い続けていること。
私が田村恵選手を初めて知ったのは、1993年の夏の甲子園。
鹿児島商工(現・樟南)の2年生バッテリーのキャッチャーとして、エース福岡真一郎と共に
注目を集めた。
木内監督率いる常総学院との3回戦は、リードしたところで降雨ノーゲーム。
翌日の再試合で0-1で敗れた。
ちなみにこのとき常総学院で3番打ってたのが、日ハムの金子誠選手です。
翌1994年の夏。8月21日。
史上初めて九州勢同士の対決となった決勝戦、樟南vs佐賀商。
4-4で迎えた9回表で飛び出した、佐賀商・西原主将の満塁本塁打。
掴み損ねた深紅の大優勝旗。
その年のドラフト、6位で広島に指名され、田村選手はプロ野球選手となる。
数年の2軍生活を経て1軍デビューするも、正捕手の地位は奪えず、26歳で現役引退。
だが幸いにして、球団職員として野球人生を続けられることになった。
2005年から、九州地区のスカウトを担当しているという。
大瀬良投手が高3の時から5年間、見続けてきたという。
元は捕手、投手に対しては他のポジションの選手よりも思い入れが深そうな気がする。
自分が見つけてきた選手がカープの主力として活躍し、日本一へと導く。
それが田村スカウトの今の夢なんじゃないだろうか。
自分はもう舞台に上がることはできないけど、チームの一員であることに変わりはない。
選手とスカウト、立場は変わっても、チームの一員として日本一という目標に向かって
チームを支えていく。
ひとつの夢が途絶えても、新しい形で夢がつながっていく。
なんて素敵な人生なんだろう。
でももしかしたら、私たちも同じかもしれない。
届かないと思っていた夢や手からすり抜けていった夢が、
見方やアプローチの仕方を変えてみたら、案外手の届くところにあるのかもしれない。
形を変えた夢の連なりは、希望であり可能性であり、
人が前を向いて生きるパワーをくれるものだと思うのです。