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Harmonia

こころとからだのバランスを・・・yoga&color&more・・・

上げられたハードル

2007-09-17 23:06:30 | スポーツ

世界柔道、最終日になってようやく、日本は金メダルを獲得しました。

女子48kg級の谷亮子選手、無差別級の塚田真希選手、男子無差別級の棟田康幸選手。おめでとうございます。

 

初日に鈴木桂治選手が敗れ、何とな~く嫌な気がして見なかったら案の定?、無残な結果が次々に・・・。

それでも女子は、塚田・中沢が銀、佐藤・谷本・西田が銅、とメダルを獲得していたので良かったのですが、男子が・・・。

泉も早々に負け、金丸がやっと銅。

斉藤監督でしたっけ?「俺の命をやってもいいから金メダルが欲しい」と言ったのは。

そりゃあ、言いたくなるでしょうよ。

 

なので、最終日に登場した4選手にかかるプレッシャーは、並大抵のものではなかったはず。

特に谷亮子選手。全日本で福見選手に敗れながら代表に選ばれた以上、金メダルは持ち帰らなければいけない。

二重のプレッシャーの中、7度目の優勝を果たした精神力の強さ。数多のジャンルにごくわずか存在する優れたアスリートの中でも、類稀な強さに違いありません。

 

決勝戦を見ましたが、対戦相手、前回の優勝者を寄せ付けませんでした。

どんな態勢からでも技を狙っているし、掛けにいける。

開始直後の払い腰、有効。柔道はまったく経験がなく見ているだけですが、相手が仕掛けてきたあの態勢から、逆に技をかけられるのはすごいと思いました。

一本は取れなかったけど、今なお48kg級の頂点に立つのは谷亮子だと、まざまざと感じた試合でした。

  

もし、全日本の結果通りに福見が48kg級の代表に選ばれていたら。

果たしてこの局面でメダル、それも金メダルを獲得できたか。

そう考えると、これも結果論ですが、やはり谷を選んだのは正解だったのでしょう。

 

そしてこの金メダルで。この上ないプレッシャーのかかった舞台での谷の金メダル獲得で。

福見の北京行きは厳しくなったと言わざるを得ません。

もし来年の全日本選手権で、再びの真っ向勝負で、福見が谷を投げて一本勝ちしても。

それでも、北京五輪の女子48kg級代表には、谷が選ばれる可能性の方が高いのではないでしょうか。そしてそれに反対する声は、今回の世界選手権代表選考より小さくなるのではないでしょうか。

日本柔道界が喜びに湧く中、福見友子選手は、今、何を思うのか。

 

彼女が実力で世界の頂点に立つ日が、そう遠くないことを願ってしまうのです。


日本サッカー史の現場に行く

2007-08-30 00:31:58 | スポーツ

070829_14530001日本サッカーミュージアムに行ってきました。

 

JR御茶ノ水駅から本郷方面へ、7~8年ぶりに向かうと。 看板あり、標識あり。「サッカー通り」と書かれた電柱にはペナントが吊され、初めて行く人でも分かるようになっています。

 

070829_14540001 そしてたどり着いたミュージアム。 翼くん&岬くんがお出迎え。

ちょうど今、特別企画展示で「みんなキャプテン翼だった」をやっているからでしょうか。それとも通年?初訪問なのでわかりません。

でも、それがきっかけで訪れた身としては、なかなかいい気分で館内へ。

 

1階アッパースタンド。

入って正面には「世界の壁」。日本サッカー史に刻まれたゴールの数々が、選手の名前や試合名と共に記されています。 ジョホールバルの岡野とかね。

いつかここに平山とか森本とか。前田遼一とか。名前、刻んでほしいなあ。

「大空翼」には笑ったけど。

1階の奥にはヴァーチャルスタジアム。 大型メガビジョンが設置され、観客席状の席に座って、過去の代表の試合などが見られます。

  

地下1階。ロゥアースタンド。 ショップとJ1・2各チームの紹介コーナー。

各チームの会報がファイリングされてたり、チームグッズがディスプレイされてたり。

各チームのディスプレイコーナーには、所属するキャプつばキャラのイラストがありました。 これも今だけ?

個人的には、井沢のマリノス、若島津のグランパスというのが非常に似合っているかと。

 

070829_22260002_0001 そして地下2階。唯一の有料スペースであるピッチ。

地下1階でチケットを購入(大人500円)して入りますが、このチケットがW杯チケットを模したもの。 さらに、ゲートで「応援グッズお配りしてます」と、ミニフラッグとミニ扇子をもらってしまいました。 …やっぱりU22不人気なのか?

 

さて、このピッチ。2002日韓共催W杯に始まり、日本サッカー史の展示、代表が獲得してきたフェアプレー賞やトロフィーの数々、日本サッカー協会の目指すものなど、非常に濃い内容になっています。

まさに、日本サッカーを網羅しているといっても過言ではないフロアです。

スポーツ競技で、日本にこんな施設が出来たことに感動しました。これだけきっちり明確にビジョンを持って取り組んでいる競技が、発展しないわけがない。

それに引き換え、日本のバスケは・・・嗚呼。

 

そんな日本サッカーの歴史年表の中にはっきりと刻まれていたのは

「1981年 「キャプテン翼」連載開始」

この頃から「夢は日本のW杯優勝」と言っていた翼くん。それがいかに現実味の低い、荒唐無稽な話だったか、前後の日本サッカー史を見ていくと、よくわかります。

正直、当時の日本サッカーがW杯優勝を目標に掲げるより、今の日本バスケがオリンピックで金メダル取ると言った方が、まだ可能性あると思いますもん。

当時のサッカー関係者が「キャプテン翼」に感激したというのも、伝わってきます。

 

あと、サッカー年表に「1988年 5月7日 森本貴幸 誕生」と記されていたのにはびっくりしました。

早くも日本サッカー史にその名を刻んだわけですが、この先どれほどの足跡を残していくのか。

森本は楽しみですね。

 

Photo_11 そして企画展示「みんなキャプテン翼だった」。

キャプつばのキーワードや、世界各国の翼単行本、マンガに出てきた品々や、世界トッププレイヤーからのメッセージなどが展示されています。

 

若林くんへの挑戦状ボールとか、転校する岬くんへの寄せ書きボール、松山くんのハチマキ、南葛・東邦のボロボロになったユニフォーム、日向くんのブラックボール。

どれも、今回のために作られたんでしょうね。

マンガで見た通りに作られていたので(ボールの筆跡も)、感心しました。

 

メッセージを寄せたプレイヤーは、川口・俊輔・憲剛・中澤・ロナウジーニョ・トッティ・デルピエロ。・・・もうひとりJでいたかも。

皆、キャプつばに出てくるプレイを真似してたとか。

・・・スカイラブハリケーンもか?スカイラブも実際にやったのか?あれほど非現実的なプレイもないぞ。

セービングの真似をしていたという川口。階段をリフティングであがる翼くんのテクニックに嫉妬したと言うのは中澤だったか、憲剛だったか。俊輔は、キャプつばのプレイヤーから10人一緒にプレイしたい選手を選んで、「僕は後ろで見ています」(笑)

やっぱり皆、思い入れあるんですね。

 

1988年に連載が終了して。

再び1994年でしたっけ?連載が再開された時。

あれだけ綺麗に終わったんだから、二番煎じはやめて~と思ったのですが。

こうして振り返ると、いまなお「キャプテン翼」の連載が続いているのは、時代の要請なのかもしれないと思います。

 

連載終了時、おそらく作者は続編を描くことは想定していなかったと思うのです。

それがJリーグが始まり、ブームとなり、定着した時。

そしてキャプテン翼を見て育った世代が、世界に挑戦を始めた時。

日本サッカーを応援するために、再び翼も動き始めたのかなと思いました。

 

でも、新しいキャラ増やして、いわゆる「無印」キャラの影が薄くなっていくのは勘弁ね。

ワールドユース編は、ドイツやフランスが削られていたけど、まだ我慢できる範囲。

今やってるオリンピック編。これ、マンガとしては全然面白くないんですけど。南葛メンバーとか、シュナイダー、ピエール、ディアス、あとレヴィン辺りの成長をしっかり描いて欲しい!

 

そんなこんなで、全館見学にかけた時間は約2時間!

一通りしっかり見て2時間ですので、丹念に各種展示やヴァーチャルスタジアムでの上映を見ていけば、この倍かかっても不思議ではないですね。

 

このテのものは、一度行けば十分というのが常なのですが。

日本サッカーの節目節目で訪れると、展示物に新たな記録が加わっていたりして、また楽しめるでしょう。

また、海外からの観光客も訪れており、観光名所としても一役買っていると思います。

 

非常にいいものが造られたと思います。間違いなく、また行きます。

まずは北京五輪へ向かって、頑張れ日本!


1994年8月21日

2007-08-23 23:20:38 | スポーツ

佐賀北高校の初優勝記事には、ほとんど必ずといっていいほど、13年前の佐賀商優勝について言及されています。

同じ佐賀県代表、開幕試合に勝利、そして満塁本塁打で勝利を決めた。

 

今大会、甲子園は1試合も見なかった私ですが、13年前のあの決勝は覚えています。

初の九州勢同士の決勝、佐賀商-樟南。最終スコアは4-8。

4-4で迎えた9回表に飛び出した満塁本塁打。

打たれた瞬間の、樟南エース・福岡真一郎くんの表情は、今でも思い出すことができます。

 

この年、樟南は優勝候補でした。

2年の夏は確かベスト16、福岡-田村の黄金バッテリーが、高校最後の夏に目指した真紅の大優勝旗。

その一撃で、ふたりの夢は散った。

  

昨日の決勝戦、ふたりは見ていたのだろうか。

当時の佐賀商エース、2年生ながら優勝投手となった峯くんは、地元のTV局にゲスト出演していたらしいけど。

13年経った今、ふたりにとってあの夏は、どのようなものへと変わったのだろう。

 

ふっとそんなことに思いをめぐらせては、自分も年を取ったなあと。

とはいえ、選手たちに重ねて昔を懐かしむことができる高校野球。やっぱり国民的行事なんですね。

 

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余談ですが、その前年、1993年に樟南が敗れた相手が常総学院。

1993年の常総は、優勝候補の最右翼。前年に2年生軍団として出場した選手たちが3年となり、悲願の初優勝を狙った年です。

その常総を、2年生バッテリーの福岡-田村が押さえ込みながら、確か降雨無試合となって、翌日の再戦で敗れたのでした。

この時常総の3番を打っていたのが、現在日ハムの選手会長の金子誠選手。

結局準決勝で、土肥投手擁する春日部共栄に敗れたのですが、昨年日ハムが日本一になって、金子くんよかったねえと思ったのは、こんなところに理由があったりするのです。


期待と失望

2007-08-18 23:50:28 | スポーツ

バンコクで開催中のユニバーシアード、今日が最終日だったんですか?

 

この時期は高校野球もあり、大リーグ・国内併せて野球真っ盛り、サッカーもJリーグ再開・オリンピック予選も間近。

となると、ユニバに割ける人も紙面も少なくなるのは当然で、仕方がないのですが。

最近は若い有望選手も多いので、日本国内でのマスコミ報道が非常に少ないのは残念です。

毎朝新聞で、結果だけちょこっと読める程度。柔道で石井と福見が金メダル取ったことしか記憶にありません。ふたりとも期待された通りの結果を出してくれたので安心しました。

 

さて、バスケットボールです。

男子が4位です。女子は10位でした。

 

なんだ、メダル獲ってないんじゃん。

・・・なんてこと、言わないでください。

男子のA代表、昨年の世界選手権では自国開催にもかかわらず予選リーグ敗退、1ヶ月前に北京オリンピックの道も断たれ、36年五輪から遠ざかることが決まったというのに。

ここ10年以上、ユニバでも二桁順位が当たり前だった日本の男子バスケットボールが。

ユニバーシアードとはいえシングル順位、それもメダルの一歩手前だったのですから、快挙と言ってください。

 

ちなみに、過去の最高順位は準優勝。佐古賢一世代の時です。ただ、この時は日本(福岡)での開催だったそうです。

それを考えると、バンコクという異国の地で4位に入ったということは、日本のバスケットボールにおいて歴史的な快挙なのです。

 

竹内公輔・譲次、石崎巧、菊池祥平、岡田優介なんて、想像しただけでわくわくするメンバー。そこに井上聡人、正中岳城、酒井泰滋もいて、あと私としては大屋が入っているのが嬉しい。

ここに佐藤託矢とか川村卓也が加わったら、どんなチームになるんだろう?とかね。

 

まさにこのチームが、日本男子バスケの新たな黄金世代。

北京五輪がなくなったし、佐古・折茂も代表引退を表明したので。

次のA代表はこの世代を中心に構成されるべきだと思うのですが。

 

協会、ひどい状態ですからね。

いまだに今年度の予算決まってないし、去年の世界選手権で出した13億円の赤字をどうするかも決まってないし。

評議員会もいつになったらまともに開かれるかわからないし。

このまま、何も決まらずに2007年度が終わっちゃったらどうするんだろうね。

 

現場の快挙と、協会の迷走ぶりと。

この落差を思うに、日本のバスケにどこまで期待していいのやら、考えてしまう私です。


ヒーロー

2007-06-22 21:34:19 | スポーツ

今さら私が書くことでもないのでしょうが。

 

MLB、パイレーツの桑田真澄投手、ほんとにいい顔してますね。純粋に野球と、自身の投球を楽しんでいることが伝わってきます。

イチロー選手が語ったように、力が抜けているからでしょう。

そして本人が語ったように、失うものは何もないから。

名誉やお金は、既に桑田投手の頭にはないでしょう。もしかしたら、勝ち負けすら、投げている時は頭の中にないかも。

ただ、自分のピッチングをして、相手を抑えること。純粋に、ピッチングのことしか頭にない。

だから、自然体でいられる。マスコミに対しても、あんないい表情が出来る。

 

昨年彼が巨人を退団した時は、MLBは無理だという声の方が多かったと思います。でも、今では彼の選択を失敗だと言う人はいないでしょう。

既に築いた地位、安泰な人生に甘んじることなく、己の欲するままに挑戦し、夢を実現させた桑田投手。

いい人生、送っていると思います。

桑田投手の活躍を見て、リハビリ中の清原選手も復活してほしいものです。

 

桑田真澄・清原和博のKKコンビ、20年前に甲子園を沸かせたこのふたりが揃って今なお現役というのはすごいことだと思います。

ふたりとも満身創痍だけど、野球に賭ける情熱がものすごいのでしょう。

それに、やはり若手・中堅選手にとっては憧れの存在のようですね。

松坂投手も清原選手と食事に行く時は緊張してるとか。イチロー選手が桑田選手を語る言葉の端々にも、敬意が感じられます。

それもそのはず、30代前後の選手が小学生の頃、ふたりは甲子園のヒーローだったのですから。

 

残り少ないKKコンビの野球人生、どちらかというと厳しいものになるでしょう。

それは、王・長嶋のような栄光とは程遠いものかもしれません。

それでも、最後まで諦めず、精一杯頑張って、全うしてほしいです。

記録には残らなくても、KKコンビは間違いなく、日本の野球史に残る存在なのですから。