ある意味、これでよかったのかもしれない。
タイトル奪回はならなかったけど。
最後尾に落ちたことで、ほとんどのドライバーとレースをすることができた。だから。
やはりあの瞬間、時代は変わったのだ。FW16がタンブレロのウォールに衝突した瞬間と同様、鈴鹿で248F1のエンジンが煙を噴いた瞬間、F1は次の世代へと引き継がれた。
そして、ミヒャエル・シューマッハに与えられた役割も変わった。
ミカ・ハッキネンの引退後、ミヒャエル・シューマッハは唯一の絶対的王者としてF1に君臨してきた。
それは裏を返せば他に有力なドライバーがいなかったからでもあり、F1自体が彼にそうあることを求めたとも言える。
だが、2000年以降にF1デビューした才能ある若手ドライバーが経験を積み、戦闘力のあるマシンを手にした今、ミヒャエル・シューマッハが絶対王者である必要はなくなった。
ミヒャエル・シューマッハに頼らずとも、F1はやっていけるようになった。
当然ミヒャエル・シューマッハの役割も変わる。
次世代へ、引き継ぐこと。
その象徴がフェリペ・マッサだ。24歳の青年は、ミヒャエルと1年間同じチームで過ごすことで大きく成長した。
地上波で脇坂氏がコメントしていたが、確かに今日のミヒャエルの走りは、昔の走りだった。かつてベネトンでカーナンバー19あるいは5をつけて走っていた頃のような、アグレッシブな走り。失うものは何もなく、ただ、前だけを見て挑戦し続けていた頃の走り。
最後に、原点に戻った。
だけどもし、ミヒャエルのマシンに何のトラブルも起こらなかったら。
タイトルの行方はどうなっていたのだろう。
しかしそれを論じるのは、あの日イモラで事故が起きなかったら、と言うのに等しい。
そういった、アクシデントやトラブルも、すべてひっくるめての上でのレースなのだから。
その先に待っていたのは栄光ではなかった。
でも、非常に穏やかな終わり方だった。
それこそ、ミヒャエル・シューマッハという人間の本質を表しているのかもしれない。