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はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その9  ⑥中江兆民誕生地

2010年11月16日 | はりまや橋地域のお宝・スポット・四季

さる10月23日、北街コミュニティ計画推進市民会議が主催する、「はりまや橋界隈史跡めぐり」が企画されていたので、参加しました。

9時30分、30人を超える参加者が、新堀小学校内の新堀コミュニティホール前に集合しました。

史跡めぐりは10時にスタートして、 ①魚の棚 ②はりまや橋 ③河田小龍生誕地 ④武市半平太道場跡 ⑤岡本寧浦塾跡 ⑥中江兆民誕生地 をゆっくりと巡って、12時少し前に出発地点に帰ってきました。

地元の参加者が、自分が住んでいるところに、こんな史跡があることを知りませんでした・・・と話していました。

また、家族連れで参加された方も多く、中でも新堀小学校の4年生の二人は、歴史に関心が深く、説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

その子達は、すでに相当な知識を持っているのです。"歴女"ならぬ、歴史好きのこども"歴チル"とでも言うような感じで、大変嬉しく思いました。

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その1 新堀コミュニティホール前に集合 

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その2 ①魚の棚

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その3 ②はりまや橋1

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その4  ②はりまや橋2 地下広場ギャラリー

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その5  ②はりまや橋3 からくり時計

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その6  ③河田小龍生誕地

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その7  ④武市半平太道場跡

はりまや橋界隈史跡めぐり・・・その8  ⑤岡本寧浦塾跡

 

⑥中江兆民誕生地

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出典: 土佐の歴史散歩 中江兆民誕生地

(1847~1901)
 「東洋のルソー」「日本のルソー」といわれる思想家で、約100年前にルソーの「民約論」を翻訳しました。
 はじめて留学に出た長崎で坂本龍馬や後藤象二郎、岩崎弥太郎たちと知り合いました。
 彼の語学力はすばらしく、岩倉遣欧使節団に参加フランスに行きルソーの著書に出会いました。
 東京外語学校校長、元老院権少書記官を経て「東洋自由新聞」を創刊しました。

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出典: 中江兆民誕生地

弘化4年(1847年)11月1日に中江兆民が誕生した地。

住所 高知県高知市はりまや町3丁目19−18 周辺

地図 http://chizuz.com/map/map55764.html

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出典:南国土佐へ来てみいや 東洋のルソー - 中江兆民生誕地

[ 高知県高知市はりまや町3丁目 ]
弘化4年(1847)に土佐国高知城下の下山田町部屋町の、土佐藩足軽の家に生まれ、文久元年(1861年)14歳の時、父の死により家督を相続し足軽の身分となっちゅう。

翌年「土佐藩校文武館」に入学し、慶応元年(1865)土佐藩の藩費留学生として長崎に出てフランス語を学ぶがですが、この時、「龍馬」は長崎で"海援隊"を組織しちょったき、出会ちゅうようながです。

その後、幕府の語学所学頭・平井義十郎からフランス語を学び、慶応3年(1867)江戸に出たのち、兵庫が開港されると上方へ赴き、フランス外交団の通訳を務めるがです。

明治4年(1871)にフランスへ留学し、明治7年(1874)年に帰国すると、自身が創設した仏蘭西学舎を中心に、フランス流の自由民権論を唱え、自由民権運動の理論的指導者となるがです。

そのなかでも「ルソー」を日本に紹介した功績は大きく、「東洋のルソー」とも呼ばれるようになったがです。

「兆民」は号で、「億兆の民」と言う意味じゃそうです。

また「秋水」とも名乗っちょたようですけんど、この号は弟子の「幸徳秋水」に譲り渡したそうなが。


[ アクセス ]
・土佐電鉄「高知橋」電停より、徒歩約5分

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閉会のご挨拶は、地元新堀小学校の校長先生でした。ずっと熱心なこども達に、同行されていました。

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