まるでシェークスピア劇でも見ているような金正恩による血の繋がっていない叔父張成沢の殺害。あるいはレーニンやスターリンの残酷な革命遊戯の果ての政敵殺害とも重なる。また、公開での恐怖政治体制はひところのサダム・フセインあるいはその息子ウダイ・フセインを彷彿とさせる。
狂気の独裁者の後見人という立場が如何に危険に満ちたものであるかは人類の長い歴史が証明しているが、特に思いもかけずに祭り上げられた独裁者が年端もいかない場合には、後見人は抹殺される可能性が飛躍的に高まる。熟練の、年長の主導者集団を排除して自分の狂気を実現しようとすれば大量殺戮よりほかにない。金正恩の場合にはそれらの要素がすべてそろっていた。ただ、それだけ自分の権威が確立していないのだから、次に死刑執行の機関銃が向けられるのは本人自身かもしれない。そうでなければシェークスピア劇は幕を下ろせないだろう。
この次に金正恩の肉声が聞こえる時、この劇が最高潮を迎える。そして金王朝の終わりの始まりが明らかになる。