Accumulation journalière

とある社会人の日常と夢への道のり。時々月に還ったうさぎ🐰のことも。※画像を使用する場合はひとことコメント下さい

十二国記の大好きなセリフ

2021年11月09日 23時46分46秒 | 日記
今日は、私が人生のバイブルとしてる十二国記の中で、時に自分の心の支えになり、時に生き方の指針としている、大好きなセリフを紹介します。
それがこちら。

「私は慶の民の誰もに王になってもらいたい。地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れたものの末路は、昇紘(しょうこう)、呀峰(がほう)の例を見るまでもなく明らかだろう。そしてまた、踏みにじられることを受け入れた人々の辿る道も。
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない

他者に虐げられても、屈することのない心、災厄に襲われても挫けることのない心、不正があれば正すことを恐れず、獣(けだもの)にこびず、私は慶の民にそんな、不羈(ふき)の民になってほしい。
己という領土を治める唯一無二の君主に。
そのためにまず、他者の前で毅然と頭(こうべ)を上げることから始めてほしい
諸官は私に、慶をどこに導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか。」

(´;ω;`)ブワァァ…ッ!!
この台詞は、十二国の一つ、慶東国の王になった陽子の台詞です。
王といっても、この人、王になるまでがめちゃくちゃ大変でした。普通の女子高生として過ごしていた日本から突如異世界に飛ばされたものの、唯一の頼みの綱だった手下(神獣)とはぐれ、道行く人々に裏切られ、幻聴幻覚に苛まれ、死線を彷徨います。
やっと王になれたのも束の間、異世界出身なので、こちらの世界の常識を知らないため、官僚たちの言ってることがよく分からず、何を誰を信用していいのか分からない日々。とりあえず政治は全部神獣に任せて(前代未聞!)、勉強のために市井に降りて学びに出るものの、謀反を起こす勢力がいることを知り、自分を支持する国民と協力してやっと抑えたあとの場面です。(超ざっくりな説明)

このセリフの場面は是非ともアニメで見て欲しいと思うんです。BGMも最高なので。


私たちは生きていれば理不尽な暴力や脅威に晒されることは多々あります。何の脈絡もなく他者に虐げられることもあるでしょう。私も何度もありました。怖いです。恐ろしいです。

私は極力そういう経験を思い出さないよう、他のことをして忘れることで強くなっていったと思います。私の場合、言い聞かせや思い込みはあんまり効きませんから…。

何故、平和でないのか。穏やかに過ごさせてはくれないのか。たぶんそういう輩は心が貧しいんだと思います。まあ可哀想に。ろくな教育や愛され方をしてこなかったんでしょう。

これは私の完全なる経験上の偏見ですが、成績や学歴と、育ちの善し悪しは多少なりとも影響があると思っています。なので、大体何か自分に不快な言動をしてきた奴らは低学歴・頭悪かったので、頭悪いくせにと心の中で馬鹿にしていました。
そして大体私の方がお前らより稼いでるし貯金持ってるしとマウントを取ります。コレめっちゃ気持ちいいんでお勧めです。

……という、私は本来目指すべき強さより、ひねくれた歪んだ強さを手にしてしまいました。(たぶん陽子もそんなつもりでは言ってなかったと思う…。)
でも、生きるためならどんな手でも使いますよ。そうしなければ自分を追い詰めてしまうだけでしたから。
内に向けてた矢印を外に向けて、私は何とか自分を保っていました。

屈せず、挫けず、恐れず、媚びず。
今初めて気付いたんですが、このセリフめっちゃ韻踏んでますね。10年以上聞いてきたのに……。

きっとこれからも何かに挫けそうになるときは、この言葉を思い出します


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