Accumulation journalière

とある社会人の日常と夢への道のり。時々月に還ったうさぎ🐰のことも。※画像を使用する場合はひとことコメント下さい

人の儚さ

2018年01月24日 23時14分46秒 | 日記
先日、フォーマル用のバッグとハンカチを買いに行きました。
それは、知人のところに挨拶に行くために買っていたものでした。
しかし、今日、会社でお世話になった方の訃報があり、
早速それを使うことになりそうです。

一緒に仕事はしたことはないのですが、
たまにうちの事務所にふらっとやって来ては
声を掛けてもらってあだ名で呼んでもらったり、
たった一度、一緒に飲んだ飲み会では隣の席で飲んだり、
可愛がってもらっていました。

元々体調がすぐれないとは聞いていたのですが、
皆の前ではいつも笑顔で絶対に苦しそうな顔は見せていませんでした。

最後に会話したのは多分去年の7月くらいでしょうか・・・
他の先輩とティラミス氷の話をしてたのを聞いていました。

気さくに話しかけてくれていた元気な頃を知っているからこそ、
訃報を聞いた時は「えっ…」と絶句してしまいました。
自分でも分かるくらい、明らかに動揺していて、
その後の仕事に集中できませんでした。
気がついたらぼーっとしていました。

仕事の最中、その方のことを思い出して、
少し涙ぐみそうになりましたが、ぐっと堪えました。
もしかしたら、他の誰かも泣きたいのを堪えているのかもしれない、と思ったら
自分だけここで泣く事はできないと思ったからです。


まさかここ一年足らずでこんなに
人の死にふれることになるとは思いませんでした。
この一年、喜ばしいことも沢山あったはずなのに、
たった一人の訃報だけで、大きなものを失ったような気がします。
それが何度もあったのですから、尚更喪失感が大きいです。

皮肉なことに、この一年、親族側、弔問客側をどちらも経験したおかげで、
弔事の一通りの流れは理解できました。

でも、こんなに何もかも一気に経験したくなかった・・・。


今日は動画の続きを作る気にもなれないし、
ふざけたことを言う元気もないので、もう寝ようと思います。


人生80年とかいいますけど、そんなの一握りだなと今日、心の底から感じました。
大抵の人はそれまでは生きない。

昔から変わらず、結局、人の命は儚いものだなと思いました。
コメント
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