Accumulation journalière

とある社会人の日常と夢への道のり。時々月に還ったうさぎ🐰のことも。※画像を使用する場合はひとことコメント下さい

永遠に分からなくていい

2018年01月08日 00時13分35秒 | 日記
このブログ、Amebaでブログやってた時ほど詳細なアクセス解析ができないんですが
(別に商業目的とかじゃないんで要らないっちゃぁ要らないんですが)、
まぁ直近のアクセスとか、見れるものは気になるわけで。

たまに過去の記事とかむっちゃ遡って見られてたりするんですが、
その中にK氏のことを書いてた記事が読まれていました。

私どんなこと書いてたっけ?と思って私も読んでみたら、
私がむっちゃ落ち込んでたときに励ましてくれてたと書かれてありました。
それを見て、やっぱK氏は優しい人だったんだなぁと思いました。
当時は好きだったから余計にそう感じたんでしょうけど・・・


今はお互いに部署が変わってしまい、話すことは殆どなくなりました。
顔は見ますが、それも事務所ですれ違った時とか、
彼が外回りに行くとき後姿を見かける時くらい。
仕事上の関わりが全くなくなってしまったから、というのが本当の理由のはずですが、
なんか心理的な距離も離れてしまったように思います。
何かよそよそしくなったというか。

前だったら近くに来たら向こうから一言話しかけてきたりしてたのに。
本人も異動して間もないため、余裕がないんだろうなと思います。

私も、物理的にも心理的にも距離が離れすぎて、
K氏はもう以前のように気さくに話しかけてくれることはないし、
優しくもなくなったんだと思い込んでいました。

彼は部署が変わって人も変わってしまった、
だから私もこれ以上彼に関わるのはやめようと思いました。
以前のような関係には戻れないし、仕事の邪魔もしたらいけないし。


でも、ブログを読み返したことで、あの頃、彼にしてもらった沢山のことを思い出し、
私はそんなことも忘れようとしていたのかと自分を恥じました。

そういえばキャンプに行った時も、誰に対しても優しかったなぁと。
当たり前のように重い荷物とか持っていってくれたり、
着替えを忘れていたにも関わらず、ジーンズに焼肉のタレをこぼした私に
ジャージを貸してくれたりと普通に紳士でした(笑)。

そんなこんなでK氏には色々お世話になっていました。
だから、何かの形でお返しができないかなと思い、私は突如ハッとひらめきました。
私はすぐにスマホでLINEを起動し、K氏にとあるネットの記事を貼りつけてメッセージを送りました。

兄以外の男に、しかもK氏にLINEをするのは久々で
送る前は少し緊張していました。
かなりの確率で寝てるかもしれない、返事来ない、あるいは遅いかも、
それ以前に未読/既読スルーされるかもしれない、
部長みたいに反応薄くて一言で終わって虚しい気持ちになるかもしれないと思いました。

でも、きっと喜んでくれるはず・・・!と信じて、半ば投げやりのまま送りました。

すぐに返事が来るわけないと思っていたので、
他の作業をしていました。
しかし、返事は5分もしないうちに来ました。

恐る恐るトーク画面を開くと、K氏の喜びの声が。
「まじで!」とわくわくしてるクマ?のスタンプが連打されていました。

私はそれを見て、やっとほっとしました。
私が彼に送り付けたのは、彼が好きなアニメの新作決定の記事。
以前、このアニメが好きで、見ながら泣いたと言っていたのを覚えていたので、
彼がもしこのニュースを知らないなら喜ぶに違いないと思ったのです。

私がそれに「むっちゃわくわくしとるねw」と返事をしたら、
「俺はまた泣くんやろうな」と返ってきたので、
「絶対泣きそうw」と書いたら、またわくわくしてるクマのスタンプを連打してきました。

私はその流れに乗って、自然(?)に「ありがとう、そしてありがとう」とメッセージを送りました。
彼は何のことを言ってるのか分からなかったと思いますが、私は永遠に分からなくていいと思っています(笑)。

こういう形でしかお礼を言えない私を許してね_(:3」∠)_K氏、ありがとう、そしてありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そんな生き方

2018年01月08日 00時03分02秒 | 日記
今日は美容室に行って髪を染めにいっていました。
街へ買い物に行くと行ったら、美容師さんが毛先を少しくるんとしてくれました。

帰り道、ゲームが気になって、中古ゲームソフト屋に行ったら、
自分の興味あったゲームがお正月セール価格で売ってあって
ほ、欲しい・・・!と思いました。
ただ、手持ちがなかったので買えませんでした。


家に帰って、昼ごはん食べてから買い物に行こうと思って、
チンしたばかりの角煮まんを頬張っていたら、
突然家のインターホンが鳴りました。
私はてっきり宅急便屋さんかと思って玄関に向かったのですが、
何か雰囲気が違うなと思いました。

開けると、そこには50代くらいの女性がいました。
しかも自家用車に乗ってうちまで来たようでした。
私は最初「誰だろう?」と思っていました。
まったく見当がつかなかったですし、一瞬どこかの営業の方かなと思いました。
私が呆けていると、女性は自分の名前を名乗り、
「お母さんの幼なじみです」と言われました。

そこまで聞いて私はやっと思い当たりました。
母が亡くなったすぐ後に、「〇〇さん(母)の幼なじみですが」と留守番電話に録音が入っていました。
内容は母に線香を上げたいとのことだったのですが、
それを父に報告すると、「今はバタバタしとるし他にも来たいって言っとる人がおるけん今度まとめて呼ぶ」
と連絡もせずそのままにしていました。

まぁ、うちの留守電はあってないようなものですが・・・
いつも居留守使ってますし。録音も気がつかないと聞きません。

多分、こっちから返事寄越さないから、来られたのでしょう……
大変申し訳ありません…
本当は父に代わって私が対応すべきものを……。


「お父さんは?」と聞かれたので、慌てて
寝てる父を叩き起こしました。

そして、その幼なじみの方と、そのお母さんが家に入り、
お線香をあげて下さり、御霊前とお菓子まで置いていかれました。

母の葬式は家族葬だったので、
親族しか呼んでいませんでした。
お世話になった看護師さんやヘルパーさんも呼ばず、家族だけで行いました。
そのため、親族ではなかった方は葬式が終わってから、お線香を上げに来て下さいました。
私の幼なじみのお母さんも、去年の暮に来られました。

最初ぱっと見たとき、「お母さんによう似とるね」と言われました。
まぁ…似てる自覚はありますw親子ですしw

お線香をあげられたあと、生前の話を父としているのを横で聞いていたのですが、
どんな話を振られてもなるべく笑顔を絶やさないようにしていました。
でも、生前「お母さんは大人しい人やった、自分を抑えることが多かった」という話を聞くと
「確かにそうだったかも…」とやっぱり少し思い出してちょっと寂しくなったり。
急に爆発してキレることとかあったんで・・・w

「がんばる(努力?)するところもお母さんゆずりやね」と言われ
「まぁ、大学まで出ましたしね」と父も頷いたり。
誉められるとむずがゆい…_(:3」∠)_

でも、大学まで行かせてもらったことは本当に感謝しています。
文学を中心に色んな事を勉強させてもらい、色んな経験をし、
何より、今の大事な友達の大半は大学で出会った子たちなので・・・。
そして先生にも会えましたし。

私の人生の中で一番貴重だったのは大学時代です。
大学出てなかったら今の私があったかどうか・・・。


隣の県からナビを使って恐らく迷いながら2時間弱かけて
お参りするためだけに来て下さったその方たちは、30分ほど滞在したあと、
車に乗って帰っていかれました。

亡くなってからもうすぐ一年が経とうとしている今でも
こうして会いに来てくれる方たちが居て、
母もきっと嬉しかっただろうなと思いますし、
色んな人に大切にされてきたんだなぁと思いました。

私もそんな生き方が出来るようになりたいと思った今日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする