空(hanul 하늘)風(palam 바람)湖水(hosu 호수)2……青空を吹きぬける風が、湖水にさざ波をたてる。

私たちの暮らしは、美しい自然と共生をとりたい物です。そんな日々の暮らしで、感じたことを綴ります。

相田みつをさんの書6

2024-05-26 06:41:07 | 日記

相田みつをさんの書 6回目を御覧ください。

相田みつを「新版 いちずに一本道 いちずに一ッ事」角川文庫 より

 

 

 

【子規365日】■5月26

一人居る編輯局(へんしゅうきょく)や五月雨(さつきあめ) 1898(M31)年

夏井いつき【子規365日】朝日文庫

《五月雨 さみだれ》の俳句

さは皐月の略。みだれは水垂れともいう。梅雨期の霖雨。五月雨(さつきあめ)。

・さみだれや大河を前に家二軒     蕪 村

・さみだれや青柴積める軒の下     竜之介

・あひふれし五月雨傘の重かりし     汀 女

横田正知編「写真 俳句歳時記 夏」現代教養文庫 より

 

谷口 璽照さんのコメントです。

お説教から (谷口璽照)

 私の本名は幸璽(こうじ)と言いますが、狸小路でも袋小路でもない、ましてや紅こうじでもない、本当の実の名前は「凡夫」。欲張りで、すぐに怒って腹を立てるのに暇(いとま)なし隙間なしの、ろくでなし。煩悩に煩悩を重ね、悪に悪を作る我々の心を、一から十まで十から百まで、百から千まで千から万まで万から億まで。心の奥の奥底まで、見抜いて見抜いて見尽くしたゆえ、「凡夫」と名をつけなされたのです。
「しかるに仏(ぶつ)かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」
 しかるに、如来さまの御本願は誰がため? 五劫の思案は誰がため? 永劫の修行は誰がため? できた南無阿弥陀仏の六字の名号は、誰のためでもなかった、みんなこの私(わたくし)一人(いちにん)がためだった! この私(わたし)が助からなきゃ、いったい誰が助かるのか。
「他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」》

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お説教から (谷口璽照)
2024-05-26 17:46:32
 私の本名は幸璽(こうじ)と言いますが、狸小路でも袋小路でもない、ましてや紅こうじでもない、本当の実の名前は「凡夫」。欲張りで、すぐに怒って腹を立てるのに暇(いとま)なし隙間なしの、ろくでなし。煩悩に煩悩を重ね、悪に悪を作る我々の心を、一から十まで十から百まで、百から千まで千から万まで万から億まで。心の奥の奥底まで、見抜いて見抜いて見尽くしたゆえ、「凡夫」と名をつけなされたのです。
「しかるに仏(ぶつ)かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば」
 しかるに、如来さまの御本願は誰がため? 五劫の思案は誰がため? 永劫の修行は誰がため? できた南無阿弥陀仏の六字の名号は、誰のためでもなかった、みんなこの私(わたくし)一人(いちにん)がためだった! この私(わたし)が助からなきゃ、いったい誰が助かるのか。
「他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」

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