私は、いろいろな国へ行ってきました。
その国でしか味合えない経験を求めて。
日毎自分がしていることをしたいなら、ご自分の国でのびのびとおやりなさい。
<コラム 筆洗>東京の渋谷に育った『野火』などの作家、大岡昇平さんが自伝『…
東京の渋谷に育った『野火』などの作家、大岡昇平さんが自伝『幼年』(文春文庫)に宮益坂について書いている。宮益坂は江戸の昔は旅人の「難所」だったそうだ
▼難所の理由は坂のきつさではない。坂ではなくて「お酒」。富士山を見ることもできた宮益坂には茶屋や酒店が集まっていたようで、「酒飲みにとっては通りすぎにくい」場所だったらしい
▼センター街に宮益坂、円山町…。渋谷は今後、文字通りの意味で、路上飲酒の「難所」になる。渋谷区議会は渋谷駅周辺の路上や公園での飲酒を禁止する条例改正案を全会一致で可決した
▼これまで10月のハロウィーンと年末年始に限っていた路上飲酒禁止を通年に拡大した。渋谷に集まる外国人観光客ばかりではないだろうが、路上で飲んで騒いでのトラブルや行儀の悪さに対策を強めた
▼空き缶のポイ捨てや酔客による通行の妨げに地元の方はお困りだっただろう。左党を敵に回したくないが、やむを得ない措置である
▼「ラスベガスで起きたことはラスベガスに置いておけ」-。ネバダ州のかつての観光キャッチフレーズだそうだ。ギャンブルの観光地なので多少はめを外しても大目に見る、ラスベガスの自由を楽しんで。そんなニュアンスがあるが、世界有数の観光地となった渋谷は大目に見ない道を選んだようだ。路上飲酒の「難所」であることを世界に告知したい。
でした。
谷口 幸璽さんのコメントです。
《昔の渋谷 (谷口幸璽)
私の勤めていた『大法輪』の本社は、渋谷から宮益坂を登った右手にあった。他に「映画情報」「世界画報」「家庭全科」というグラフ誌を出していた。向かいにビル建設前の空地があり、言わば大都会の真っただ中の野っ原になっていたので、そこでキャッチボールをして遊んでいたものだ。まだ恋文横丁(今の109辺り)があり、多くの大小の飲み屋が犇めいていた「小父さんたちの天国」であった。NHKと水道局の職員が幅を利かせていたものだ。今の若者たちとは違って、昔の小父さんたちの酔払いは、まだ可愛げがあったような気がするが‥‥いや、やはり同じか?》