堺・圓龍寺の法話です。
『この世の中は、煩雑(事柄がこみいっていてまとまりつかずわずらわしい)になればなるほど、こちらの思いがまっすぐ相手に伝わらない。
生活を見れば、なにかというと弁解ばかりして暮らしているようである。
弁解は、言い訳をすることであり、
釈明は、非難や誤解などに対し、相手の理解を求めるために自分の考えや事情を説明することである。
弁解は、単なる言い訳で、釈明は、わかってもらうために自分の思いを説明することことである。
国政(モリカケ問題)、国技(暴力問題)、皆さんどのように受け止めていますか。
弁解、釈明に明け暮れする自分を叱りながら、人間生活の深い味わいを考えさせてくれるものが、ひそんでいると思います。』
龍大カレンダーです。
雀さんも、12月最後の月になりましたが、2018年を確保できました。
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