夕方の6時過ぎ、「ナイターはどこでしてるねん。」とチャンネルをあちこち動かしている時、
アナザーストーリーズ「落語を救った男たち 天才現る!古今亭志ん朝の衝撃」
という番組が目に飛び込んだ。
江戸落語では、前代の正蔵と志ん朝しか聞かない私は、番組に飛びついた。
NHKの番組紹介である。
『1961年暮れ、古今亭志ん生倒れる!居眠りをしても客が喜んだ男が病に倒れた時、落語は衰退の危機を迎えた。娯楽が多様化し、演芸場は閉鎖。それを救った天才が古今亭志ん朝。圧倒的な話芸は今なお伝説。だがその素顔は驚くほど知られていない。とびきりシャイで、取材を好まなかったためだ。今回、ライバル立川談志をはじめ、関係者の証言で知られざるエピソードを発掘。落語家たちが“あの”語り口で振り返る、笑撃の真実!』
入門から真打ちまで10年かかるところを5年で済ませた天才。
その前いる先輩を抜かして。後の談志・円楽がいたそうですね。
襲名披露の初日が、父志ん生の「火炎太鼓」3日目が文楽の「明烏」。
しかも先人の真似でなく、自身の話しっぷりと言うから、天才以外の何物でもない。
談志が、「銭払って聴くなら志ん朝」とまで言ってる。
談志が、円楽らとテレビ「笑点」をスタートさせても、演芸場。
しかしNHKのバラエティーや、鬼平犯科帳の“うさぎ”を演じていた人ですからね。
談志が、志ん朝を飲みに誘い落語論を戦わせようとしても、しなかった志ん朝。
談志は、志ん生を継いで欲しかった。それを口にすると、
「襲名の口上、最後まで付き合ってくれますか?」談志は、もちろんOK。
その夢を叶えられず、志ん朝のまま逝った。
私の中で、先代正蔵と志ん朝が。生きつづけるだろう。
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