= 前回の続き =
昼食を済ませてから、
知恩院へ向かった。
知恩院は
鎌倉時代に法然上人が念仏を始めた浄土宗の総本山である。
日本全国に7千の寺院と6百万人の檀信徒を有するそうだ。
国宝の御影堂は修復工事中であったが、
三門を始め、巨大な伽藍を見物した後に、大きな御堂に入った。
正面に法然上人の遺影を祭ってある大広間では、
ご婦人が持参した納骨の法要が行われていた。
私は一人で畳み間に座して、
二人の僧侶の響く読経の声に、暫くの間耳をすませた。
今までこれほど長い間、
読経を聞いたことがなかった。
僧侶が喉の奥からコロコロと
内臓全体で震わせて発声し、
建物全体に響かせていているような読経の声には
リズム感があり、
ハーモニーがあり、
独特な音色があって、非常におもしろかった。
ただ、何を唱えているのか?
その内容に全く検討がつかないのが残念である。
ー私は仏教徒ではないが-
おそらく(私の想像だが・・)、
殆んどの仏教徒の人たちの思いも同様であろう。
経文は難しく
内容を充分に理解している人は少ないのでは?と思った。
けれども、
人々が仏教の教えに畏敬の念を持ち、
正直に「ありがたい!」と思うのは
この読経を耳にした時に、
その音色が心に伝える
精神的な安らぎもあるからではないかと思った。
誰かの研究に、
このような読経の心理的効果を書いた論文があるかもしれない(?)
又、仏教の各宗派によっても、
読経の音色やリズム感に違いはあるであろうから・・
その辺の違いを書いた
研究書も一度読んでみたいものだ・・と・・
そんな事も思った。
私が熱心に読経に耳を傾けていると、
一人の外国人女性が近づいてきた。
フランス人で両親と息子を連れて、
日本を7日間で旅行していると語った。
又、ニューヨークから来たと言う
4人組の若者にも出あった。
彼らも又、僧侶の読経を興味深く見ていた。
私は寺院の中で、
国籍は違っても一つの同じ空間の中で、
人間が何かを求めて、共有しながら生きている・・
非常に、
興味深いひと時を過ごした思いになった。
それから、
祇園界隈を散策することにした。
京都の祇園といえば、
八坂神社付近の有名な遊里である。
大通りは多くの観光客で賑わっていたが、
私は静寂を求めて、一筋裏の通りをゆっくりと歩いた。
奥まったところにある
ひっそりとした
お茶屋の軒先に吊るしてあった
風鈴が風に揺れて、
突然「チャリン!」と響いた。
「あぁ!
京都も夏だ!!」
万歩計を見ると
一日の歩行数は約19,000歩。
随分多く歩いたものだ。
私の身近な所にある
初夏の京都がどんなものか?を知る
健康的にも爽やかな
散策の一日となった。(笑)