ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

令和の敗戦

2021年07月30日 | 沈思黙考

政府関係者の「もの言い」が、いよいよ昭和の敗戦前夜のようになってきた。私たちは今後も冷静かつ強い問題意識をもって見ておく必要がある。そして感染症の本当の怖さは、感染者の苦しみ方や亡くなり方もさることながら、社会システムの崩壊と、人々にとっての世界観の崩壊なのだということを認識しておかなければならない。

政府関係者の「もの言い」

本稿を執筆しているのは2021年7月29日の夜だが、関東はまさに爆発的に新規感染者数が増えてきている。オリンピックの開催が直接・間接に影響していることに議論の余地はないだろう。
筆者が以前投稿した表現を再利用すれば、日本はまさに「インパール作戦を始めてしまった」のである。

そして「だいじょうぶだ。いける。心配ない」といった物言いばかりが、この国の指導者層から発せられている。その一つひとつを見聞きするたびに、昭和の敗戦前夜とそっくりな状況になり始めていることに、戦慄さえしてしまう。

その政府アナウンスの傾向はザっと次のとおりだ。

  • 「より悪い状況よりは良い」という表現が目立ってくる
  • 「後手後手」なのに「先手先手」と言い張る
  • 科学的・合理的根拠ではなく、抽象的な言葉や論法で切り抜けようとする
  • 不都合な真実を意識させないように仕向けようとする。統計などは都合のいい切り口だけを取り上げて恣意的なコメントをする。評価基準や考え方を変えて「問題ない」ことにしてしまう
  • 先行きの見通しについて、We can...で語れる話しかしなくなる。We cannot...という表現になる話を極力避けようとするため、正確な現状が正しく伝わらない(奥歯にものが詰まったような言い方)。

こんな発言しかしなくなれば、正常な国民なら誰も政府のメッセージに耳を傾けようとはしなくなる。まして各種イベントや子どもたちの年間行事などを「強制自粛」させておきながらオリンピックだけは強行するという、科学的にも「ちぐはぐ」なことをしていれば当然のことだ。
集団の指導者層としては敗戦前夜のような末期症状である。

正しいメッセージも伝わらない悲劇

「現在こういう状況である。○○は出来る。しかし残念ながら□□は出来ない。だからこうしようと考えている。その理由はこうである。負担が大きいところに対してはこのように対応したい。だからどうか皆さん協力していただけないか」
なぜ、こういった当たり前の仕事が出来ないのか(私たちは本来「政府や自治体がなぜ当然のことをできないのか、やらないのか」を継続して追究・追及・監視すべきである)。

政界を引退するらしいドイツのアンゲラ・メルケル首相に日本国籍を与えて来日してほしい気さえしてくる。世界を感動させた彼女の演説に特段の宗教色はなかったものの、そこには牧師を父に持つ彼女の確固たる生命観、倫理観、哲学が感じられた。
しかし今の日本のリーダー層に、そんなものは微塵も感じられない。捻じ曲がった強欲資本主義に支配された、「団塊ダメ系オヤジ連」なのである。

じつは最近の研究で、2回目のワクチン接種は1回目から2週間ではなく、6週間ほどあけたほうがより効果が高いという研究結果が発表されている。ワクチンの供給が安定的ではない状況では注目すべき話だ。
最先端の科学者たちですらわからないことが多い新型コロナウイルスである以上、最新の科学的知見を踏まえて対応を柔軟に変化させていくことにも意味がある。

しかし仮に、政府がこうした最新の科学的知見をもとにした接種スケジュールの調整を国民に発表しても、国民にとってはもはやワクチン調達の不手際に対する政治家の「いいわけ・責任逃れ」としか理解されないだろう。まったく残念な話だ。
こういった科学的事実は、権力から独立した科学者から発せられなければならない。そのうえで最終判断するのは我々一人ひとりの国民なのだから、その判断力を培っておく必要がある。

強行五輪をどう受け止めるか

コロナ禍においてオリンピックを強行したこと。これについては事後に厳しく問われるべきである(スポンサーの姿勢も問われるべきだ)。
しかし当然ながら選手、特に日本人の選手が非難されるべきではない。彼らは言わば、心身ともに揺さぶられたうえに、複雑な精神状態でのパフォーマンスを期待されるという、ある意味で被害者だ。
今回、結果はどうであれ不思議なほどいつものパフォーマンスが発揮できない選手が目立つ。それは、いつものような祝福が存在しない特殊な状況下のオリンピックにおける、どこかにわだかまりを残した姿にも見える。

2020年を焦点としてすべてを調整してきたことがほとんど無意味になり、苦しんだ面もあるだろう。選手としてのピークに合わせられないまま2021年の開催に参加している選手や、あるいは2021年参加を諦めた選手もいるかもしれない。
しかし厳しい言い方だが、営々と築き上げてきたものが外部の理不尽な力によって水泡に帰してしまうようなことは、多くの人の人生で起こりうることである。
その人生がオリンピック選手のように、より多くの人の目にセンセーショナルに映るものなのか、それとも冴えないサラリーマンのように誰にもわかってもらえない挫折なのかという違いではないだろうか。

冴えないサラリーマン人生であれ、輝くオリンピック選手であれ、挫折を感じたその後に自分は何が出来るのか。そこを考えることが出来るならば、人としてまだまだ勝負は出来るのではないか。
人生は誰かに評価され決めつけてもらうものではない。自分が決めて自分で挑戦していくものである。「自分は終わった」と思えばいつでも終われるだろうが、挫折を貴重な経験に転ずる精神・思想を持てるなら、誰にも負けない新しい世界が見えてくるに違いない。

感染症の本質

感染症という問題の本質は、社会システムの崩壊と、人々にとっての世界観の崩壊である。

それは第一に、小規模な感染拡大の兆候を軽視したことによって加速度的に状況が悪化し、取り返しがつかなくなる状態へ一気に進んでしまうという特性である。
第二に、多くの人が社会人としての機能を失っていくことによって社会がこれまでどおり回らなくなり、今まで当たり前だった日常が崩れていくことである。
第三に、自分の身近な人が(経済的にも医学的にも)倒れていく現実を前にして、一人ひとりにとっての「この世」が崩壊していくことでもある。

感染の拡大は、例えば火災の広がりとも似ている。
たとえボヤのような火災であったとしても、消防車が最低3台は緊急出動すると聞いたことがある。「こんな大げさなことになってしまって、近所の手前も考えると恥をかいてしまった」などと感じる人も中にはいるようだが、それは重大な誤りである。また通報した人を非難する者も間違っている。

火災もウイルスも「問題が小さなうちに万全すぎる態勢で臨み、徹底的にたたいてしまう」これが鉄則なのである。このような問題には言わばオーバースペックな対応が必要なのである。
「そんな大げさな」といった言葉や「きっと大丈夫バイアス」とでもいうものに支配されていると、手の付けられない状態の中、次々と犠牲者が出ていく現実を呆然と見つめるしかなくなってしまうだろう。

2020年の初頭に横浜港・大黒ふ頭に来たダイヤモンドプリンセス号のことをどのくらいの人が覚えているだろうか。ワクチンどころかウイルスの特性さえよくわからないという状況下で、果たして「適切なオーバースペック対応」がなされていただろうか。そうでなかったとすれば、それは政治だけの問題ではなく「そんなところに、そこまでリソース(税金など)を突っ込む必要あんのか!?」と騒ぐような人々の価値観や問題意識も問われるべきだろう。

まとめ

強行五輪については批判されるべきだが、だからといって我々はヤケになってはいけない。
「民間のイベントや子どもたちの年中行事が中止になってんのにオリンピックかよ。だったらこっちもやってやろうじゃないか」という気持ちもわからないではない。しかしそれでは自分たちの首を絞めてしまうことになる。自滅の道である。
さらに言えば、どんな構図であれ日本国内が分裂して喜ぶのは日本以外の国々である。

昭和の失敗を総括しようとしない国民に、知ろうとしない国民に、イヤな記憶は水に流そうとする国民に、いま当然の帰結が訪れようとしている。
国家のリーダー層は「令和のインパール作戦」に足を踏み入れた。
仕事もなくなり食うに事欠く人も多い。人から見えない下着類をずっと着古している人も少なくないはずだ。女性の生理の貧困は、女性の社会参加という意味においても重大な問題である。

しかし我々はいま、誰かと集って気炎を上げてみてもほとんど意味がない。
その重苦しい鬱憤(うっぷん)を「静かで激しい怒り」として、自分が生きる社会に対する強い問題意識を育まねばならない。そうして「じつはまだ終わっていなかった戦後」を脱却し、「まだ始まっていなかった21世紀」を始めなければならない。

令和3年、日本はオリンピックとパラリンピックの間で戦後76年となる終戦の日を迎える。このまま感染状況が悪化し「令和の敗戦の日」とならないことを願うばかりだ。
そのためには一日も早く「団塊ダメ系オヤジ連」を退場させ、新しい社会システムを構築しなければならない。
新しい時代を語ることができる真っ当な大人と、ヤケにならずに前へ進もうとする若者を力いっぱい応援しながら、自分も社会の片隅から発言していきたい。

コロナ禍とオリンピックに関する過去投稿一覧


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