ハナウマ・ブログ

'00年代「ハワイ、ガイドブックに載らない情報」で一世を風靡した?花馬米(はなうま・べい)のブログです。

車いすのままタクシーに乗る人の意見

2023年10月23日 | 自動車交通

少し前、筆者は、「車いすに乗ったまま乗車できるタクシー」に関して、乗務員の自己犠牲的ボランティア精神に寄りかかっている、という指摘をした(「10月20日、タクシーが激減する?」)。これはつまり、タクシー乗務員側の視点で語ったものである。

それで今度は、車いすユーザーの視点に立った話も考えてみたいと思い、あの投稿のあと、ある車いすユーザーの話を聞いた。もちろんそれは一個人の意見に過ぎず、代表的意見とはいえない。
しかし一考の価値はあるだろうと思い、ここに書き留めておこうと思う。

INDEX

  • 90代の老母と60代の娘
  • 期待なんかしちゃいないよ
  • 複雑で習熟が必要な乗降作業
  • ユニークなアイディア
  • 改善を阻むもの
  • 関連リンク

90代の老母と60代の娘

その人たちは、車いすでないと外出できない90代と思しき母親と、60代と思しき娘である。その娘の意見に、筆者は一理あると考えたのだ。

この親子は、月に一度程度の割合で外食を楽しんでいる。母が乗った車いすを娘が押しながらの外出である。そしてその往復には、件(くだん)のトヨタ社製ジャパンタクシーを利用している。

知らない人も多いと思うので、ここで豆知識のようなものを述べておくと、タクシーには「障害者割引」という制度がある。
また、認定された障害者に対しては、自治体からタクシー利用券が渡されている(詳細は地域によってやや異なるかもしれない)。

一般的には、障害者手帳を乗務員に見せ、乗務員がメーターを操作すると、運賃が1割引となる。9割となった運賃は現金で払ってもいいし、タクシー利用券で払ってもいい。
タクシー利用券には100円とか500円とかの種類があって、たいてい小切手帳のような束になっている。それを降車時に切り取って乗務員に渡せばよい。
ただしタクシー利用券に対してお釣りは出ない。

ついでに言えば、タクシー乗務員は、「障害者手帳をまじまじと見たりしてはいけない」のだそうだ。乗客から「自分は障害者手帳を持っている」という申し出があれば、手帳(の写真付き証明ページ)をキチンと確認しなくとも「障割ボタン」を押すよう会社から指導されているのだという。

なぜかといえば、「写真付きの証明書をまじまじと見ることは、プライバシーの侵害にあたる行為と主張され、トラブルの原因になるから」なのだそうだ。
「証明書を確認して割引を適用すべし」という話と、「プライバシーの侵害である」という話が、奇妙な矛盾を抱えたまま、社会にまかり通っていることになる。

ある乗務員の話では、どう見ても障害者とは思えない人物が、「自分は障害者なので割引よろしく」という客もいるのだという。それでも、外見からはわからない「内部障害」ということもあるので、障割ボタンを押すほかないのだという(割引額はタクシー会社または乗務員個人が負担)。

いっぽう、多くの人が知っている通り、タクシーには乗務員の顔写真付きの運転者証が掲示されている。これについても最近は、顔写真と氏名の表示が裏面になったデザインのものが普及し始めているという。
なぜなら、勝手にこれを撮影してSNSなどに公開してしまう輩(やから)がいるためだという。悪質クレーマー、カスハラ(カスタマー・ハラスメント)への対策であるらしい。
いやはや、なんと悲しい高度技術社会であろうか。

期待なんかしちゃいないよ

さて、60代の娘の意見はこうである。
「タクシーの運転手に、あんな複雑な(車いす乗降のための)段取りなんか期待しちゃいないよ。(乗降作業を)しょっちゅうやってる私がやってしまうほうが何倍も早いし、周りの車の迷惑だって抑えられる。
そもそも運転手に研修なんかしたって、車いすの客になんてめったに出会うもんじゃないでしょ。そのうち忘れちゃうのが当然だよ」 という。

また、周囲の車や通行人に対して、一種の「見せ物」のようになってしまう乗降時間を、極力短くしてやりたいという気持ちもあるようだ。

確かに、めったにやらないことをスムーズにやれと期待するよりも、慣れている人がやる方が手っ取り早いことに違いはないだろう。ある意味、合理的である。
車いす乗降の作業を「全面的に」「完璧に」乗務員がやるべき、という発想は、現実的には無理があるのかもしれない。
とはいえ利用者側からすれば、介助者が乗降作業を出来るようにしておくというのも奇妙な話だ。

では、その「複雑な乗降作業」とは具体的にいかなるものなのか。
今や筆者の「飲み友」となっている現役のタクシー乗務員に頼んで、その作業を見せてもらった。
筆者がボンヤリとイメージしていたのは、路線バスや電車でたまに見かける車いす乗降だったが、ジャパンタクシーのそれは、とうてい現実的とは思えない、ハッキリ言って「ほとんど無理だろそれ」と思える複雑なものであった。

複雑で習熟が必要な乗降作業

トヨタ社製のジャパンタクシーに車いすのまま乗降するときのポイントは大きく4つある(厳密には車両の年式によって作業にやや違いがある)。

  • 昇降スロープの組立・収納
  • 車内での車いすの90度回転
  • 車いすを固定するための複数のベルトによる締結
  • 車いすの人のためのシートベルト延長と締結

項目を並べただけでもその大変さが伝わるかと思うが、付け加えるとすれば、介助者(すなわちもう一人の乗客)の座席を確保するための作業と、「車体右側ドアの開放」という厄介な問題も付随する。

まずは昇降スロープ。
路線バスで見かけるように、一枚の丈夫な金属製の板がスッと出てくるのかと思いきや、三つ折りに畳まれたアルミ製の板2種類を組み合わせて作るようになっている。まずはこれを組み立てなければならない。

つぎに、人が乗った状態の車いすを車内に押し上げる。
このステップでは、歩道などの段差があるほうが却ってスムーズなようだ。場合によってはアルミ製のスロープも1種類で済むという。しかし、人が乗った車いすを押し上げるのには、力もいるしコツもあるようだ。

さて、トヨタ社製ジャパンタクシーでは、車いすは車体の左側面から乗降させる設計だ。そのため車いすを押し上げて乗せた状態では、乗客は進行方向に対して右を向いていることになるし、介助者の座席を作ることもできない。そこでなんとタクシーの中で、車いすごと90度回転をさせるというのである。

助手席は前もって前方に畳んでしまえるし、運転席も一時的に前方へずらしているとは言うものの、かなり「ムリムリ」な作業だ。
車いすを扱ったことがある人ならわかるだろうが、足置きが前に突き出ているし、車いすのハンドルを持って操作する自分の体(や頭)もあり、狭い車内空間で、かなりアクロバティックな作業となる。
妙な言い方かもしれないが、小柄な東洋人の器用さが要求されるステップだ。

ようやく90度回転が出来ると、次は車いすの固定である。
「ラッシング・ベルト」とかいう丈夫なもので車体と車いすを複数個所締結する。

そしてシートベルト。
車いすの人は当然、通常とは着座位置が異なるし、後席シートは折りたたんでしまっている。そこで別にある延長用のシートベルトをつなぎ合わせて、車いすのひじ掛けなども利用しながらシートベルトをセットする。

ザっと説明しても、こんな感じなのである。当然だが乗車時と降車時にこれらの作業が必要だ。
ちなみにこの一連の作業中のある時間、「車体右側の」客席ドアを開放しておかねばならない。交通量がある場所や狭い道路などでの乗降作業は、「右ドアを開けっぱなしにしとくなよ!」といった誤解を招くこともあるだろうし、他の交通の迷惑や危険性さえ惹起(じゃっき)させかねない。

こんな「ムリムリ」が実現してしまったのは、ひとえにガスタンクの搭載だったのではないかと思う。
ジャパンタクシーのベースは、一般販売されている車種「シエンタ」である。
いまパソコン入力で「支援多」と日本語変換されてしまったが、介護事業所などでもよく利用されている車種だ。そしてそれらにおいては、車いすをバックドアからまっすぐ乗せるようになっている。

しかしジャパンタクシーでは、燃料コストが抑えられるLPガスとバッテリーのハイブリッド車としたため、後部ラゲッジスペースにガスタンクが載ることとなり、車いすは横から乗せて車内で90度回転させるしかなくなったのである。
それでもここまで「ムリムリ設計」が普及したのは、国、大企業、業界団体のなせる業(わざ)、というところだろうか。

ユニークなアイディア

「介助者がある程度、乗降作業に慣れておく」という考え方には、反感を覚える人も少なくないはずだ。そもそもこれだと、車いすユーザーが介助者なしで外出することを否定しているように受け止められかねない。

先に紹介した娘は言う。
「理屈から言えば、金を払って乗る方が努力するというのはおかしいよ。だけど私らにとって大事なのは、チャッチャと事を済ませていくことなんだ。
たかがタクシーの乗り降りぐらいで、あぁだこうだと(運転手、企業、行政に)文句をつけても時間とエネルギーのムダ。
私らはね、いま、目の前のことを済ませていくことが大事なんだ。毎日それの連続なんだよ」

そういって彼女は、一つのユニークな方法を話し始めた。
「ベルト固定なんてしなくていいよ。運転手に急ブレーキになるような運転をするなと言っておけばいいの。
それにスロープだって2枚組み合わせていたら時間がかかって仕方ない。1枚だけで急角度になっても、運転手と私で力を合わせれば(車いすは)上がっちゃうもん。
それに、いつだったか、(車いすを)横向きのまんま送ってもらったこともあるよ」

当然だがこの方法は、問題がある。
ベルト固定をしない、あるいは簡略化することや、車いすの横向き乗車、すなわち90度回転をしない方法は、万一の事故の際に被害が大きくなるリスクがある。
また急角度のスロープでは、何かのきっかけで車いすが倒れてしまう可能性も想像できる(歩道の段差があれば1枚でも緩いスロープで渡すことが可能)。

そもそも法的な問題があるかもしれない。
ただ筆者の記憶では、自動車のシートベルトについては、妊婦や障害者など、事情がある人は除外されていたと思うし、路線バスには初めからシートベルトが装備されていないことの説明も聞いたことがある。
特殊事情ということで、一定の条件(たとえば高速道路を走らないとか)を前提にルールを緩和することは考えられるかもしれない。

改善を阻むもの

しかし、「常に完璧であるべき」なのかどうかについて、筆者は考えてしまうのである。
ここで出てくるのは、「何かあったときに責任を取りたくない」という考え方である。行政にしろ、乗務員を雇用している企業にしろ、「我々としては、言うべきことは言い、やるべきことはやっていましたが、何か。」というポジションを取りたいのである。

問題が起きてしまったとき、誰が悪くて、だれは悪くないのか。そういった考え方で「のみ」世の中を切り分け、理解していこうとする思考法そのものが、もっと大切な何かを犠牲にしているような気がする。
これは、車いす乗降に限らず、社会の中のいろんな面で言えるような気がしている。

責任論そのものは、社会を運営していくにあたって必要不可欠なものではあるけれど、それ「だけ」では、行きつくところ非難の応酬で成り立つような、恐怖が支配する社会になってしまう(筆者は個人的に、西洋思想、特に一神教思想がその源流にあると思っているが、話が途方もなく広がってしまうので割愛)。

うまく説明できないけれど、人間が生きていれば、ケガもするし病気にもなる。死にもする(いや100%の確率で死にますが)。それが生きているということでもある。
なんらかの事故(交通事故に限らず)も起きるだろうし、大なり小なり事件も起きるだろう。それは人や物を愛したり、夢や希望を持ったり、約束しあったりするが故だ。
そんな世の中を、「責任と罪と罰」というような発想のみで進んでいこうとすれば、相互非難、相互監視、相互束縛の社会で生きなければならない。
私たちは怯えながら生きるために生まれてきたのだろうか。
そう考えてみると、パレスチナの社会と現代日本社会は、その表出の形は違っても、怯えながら生きるしかないという点で、似通っているような気さえしてくる。

乗務員一人ひとりが、車いすユーザー一人ひとりが、介助者一人ひとりが、そして「そこに居合わせた他人」の一人ひとりが、そこにある課題に対して出来ることをやる、という発想こそ大切なのではないか。
責任が、賠償が、謝罪が、という考え方も場合によっては必要かもしれないが、最初からその発想では、社会は前へ向かって発展しない。かえって反社会的なエネルギーにさえなりかねない。

話が抽象的になってしまったが、車いす乗降の作業ステップを、賢く簡略化するという彼女の発想は、一理あると感じた。もちろん否定する理由、理屈を挙げることは簡単だが、ではそれで、すべてが丸く収まるのかという別の問題も起きてくる。

明治期以降からなのだろうか。日本社会は、
「すべての事象は、正しい言葉と、正しい論理で整理されるべき。そしてその方法によってのみ、この世を説明しきれるはず、理解しきれるはず。」
とでもいうような発想が社会に浸透してきた。
もちろん科学技術の発展などには欠かせない考え方だけれど、こういった考え方こそが「善」であり、それ以外の方法は「悪」であると位置づけて突っ走ってきたここ100年ほどの日本は、少し「西寄りに」ぶれていたのかもしれない。

やや、養老孟司っぽい話になるが、そのうち死ぬ人生の、「わずかな人生期間」において、あまりに理屈で考えこみすぎて、かえって自分の首を絞めることにはなっていないだろうか。
一人ひとりが出来ることをやり、それでもうまくいかなかった場合には、(理屈を考え合わせつつも)理解しあい、許しあえる社会、そんなバランス感覚があれば、急速に人口減少へと向かいはじめた日本にも、望みはあるような気がするのである。

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