赤ずきんのお散歩ブログ

参加したウォーキング、写真付きでご紹介します。
よろしくお願いします。@^-^@ノ

⓫花と緑のうるおいファーム西尾市憩いの農園から吉良の里へ

2021年06月19日 06時00分00秒 | 名鉄ウォーキング

平成28年5月22日(日)

2016年名鉄 春の歩け歩け大会

花と緑のうるおいファーム西尾市憩いの農園から吉良の里へ」の続きです。

 

これから源徳寺の本堂へ入って行きます。

 

信じる道の山

信道山 源徳寺

おじゃましま~す。。

 

展示室に来ました。

室内はこんな感じです。

気になるのだけ順番に見ていきます。

 

荒神山の決闘のお芝居などなど。

五木ひろしさんも芝居されたようですね。

公演前に墓参されていました。

 

昭和3年頃の西尾市葵町、江崎一家の記念写真

清水次郎長の女房三代目、おてふ(お蝶)は、西尾藩士江崎丹次(十石二人扶持)の娘です。

仁吉は、次郎長と兄弟分の杯を交わす仲。

 

荒神山(こうじんやま)の喧嘩(1866年 慶応二年)

神戸長吉(かんべちょうきち)と穴太徳(あのうとく)の縄張り争いが荒神山(現在の鈴鹿市)でありました。

次郎長は神戸長吉側につき、吉良仁吉を大将に、大政と大瀬半五郎らを荒神山に向かわせます。

穴太徳・黒駒の徒130人余を相手に闘い、穴太徳の弟分角井門之助を倒すも、このとき仁吉・法印大五郎が戦死。

憤慨した次郎長は480名を動員し「長槍170本、鉄砲40丁、米90俵」を船に積み、

穴太徳に再び挑んだところ、穴太徳とその後ろ盾の丹波屋伝兵衛らは恐れおののき、

ひたすら陳謝し和議を受け入れました。

この事件以降、全国に「清水次郎長」の名を馳せ、貫禄を増すことになりました。

 

寺男 法被

藤の花があしらわれている。

 

そしてこちらは仁吉の位牌。

釋馨香

 

仁吉の妻、おきく使用の鏡と油つぼなど。

 

慶応二年(1866)、伊勢、神戸の長吉が、桑名の穴太徳に荒神山(庚申ヶ原)の縄張りを奪われ、

仁吉に助成を求めた。。

しかし三か月前に嫁となった「おきく」は、穴太徳の養女である。

義理のため女房を離縁し、長吉に助成することになった仁吉。

清水一家の中主だった大政、小政をはじめ十八人衆が助成することになり、総勢二十四人が

寺津港より荒神山に向けて出港しました。

喧嘩は仁吉が勝利となったが、仁吉、法印大五郎、幸太郎は戦死した。

仁吉28歳でした。

 

仁吉の姉、イチさん。

 

仁吉かしら?

 

御朱印大変そうw

頑張ってください。

 

ご本尊様がありました。

お参りしてきます。

 

人生劇場の一説ですね。

 

尾崎士郎

人生劇場望郷編 

比翼塚の章より

 

 

震災で倒壊してしまった鐘楼。

 

山門も倒壊して、今はありませんでした。

 

源徳寺を後にして、次は人生劇場を書いた尾崎士郎の眠るお寺さんを訪れます。

続きはまたです。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (takechiyo_1949)
2021-06-19 09:13:41
お早うございます。
@竹千代です。
お願いがあります。
拙GooBlogにて、赤ずきんさんのお散歩ブログを紹介したいです。
URL添付をお許し願えませんか。
宜しくお願い申し上げます。
返信する
竹千代さんへ (赤ずきん)
2021-06-19 21:03:30
コメントありがとうございます。
何か関連のある記事でしょうか?
それならかまいません。
ありがとうございます。
返信する
Unknown (takechiyo_1949)
2021-06-19 21:21:31
JR駅からハイキングの記事です。
いかがでしょうか。
返信する
竹千代さんへ (赤ずきん)
2021-06-19 21:28:10
コメントありがとうございます。
何か漠然としているので、今回はご遠慮させていただきます。
すいませんです。
返信する

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