先のエントリー(確信犯かよ 2007年12月6日)のコメント欄で、C_Cさんが書かれたフレーズ「司法が認めた科学技術者奴隷制」が気になっています。
「IPCCレポートを根掘り葉掘り読む会」の報告もしたいのですが、先日参加した「倫理創成研究会」が、技術者倫理の興味深い話だったので、こちらを先にご紹介。
ゲストのお一人が、NPO法人科学技術倫理フォーラム代表の杉本泰治さんでした。
「技術倫理教育におけるケーススタディの方法─法と倫理の学際を探る」というタイトルで、上記リンクしたウェブページの「用語が語る技術者倫理」の「第7回 法・倫理・倫理規定」を中心に話していただきました。
このウェブページ、かなり興味深いですね。「第2回 科学技術に携わる人々」には、職種の区別が明確にされています。書かれていますが、これは責任の所在を考えるに際して、大変重要なことだと思います。
話は遠回りになりますが...。
先日、仮名漢字変換など日本語ワープロの基本となる技術を発明した東芝元社員だった大学教員が、特許譲渡の対価を求める訴訟を起こしましたね。
ワープロ特許 東芝を元社員提訴@東京新聞(2007年12月8日)
同教授は「技術者は大変に厳しい仕事にもかかわらず、あまりにも見返りが少ない。訴訟を通じて技術者の地位向上を訴えたい」と話した。
だそうです。
似た境遇で見返りと言えば、音楽業界には著作料というものがあり、カラオケや携帯でダウンロードされるたびに、作詞家・作曲家に著作料が入りますね。ちなみに、パーセントは人によって様々だそうですが、おおむね1%ぐらいようです。10%というのは、吹っかけすぎのような気がします。まぁいいですが。
しかし、こういったシステムを開発・発明現場に取り入れる方向を推進すれば、「100%成果主義」になってしまって、さらに悲惨な状況になるような気がします。フリーランスでも食えるヒトは食えるし、そうじゃないヒトはまったくダメみたいな状況。
以前、サイエンスカフェ神戸に来てもらった「㈱日本触媒の元技術者」さんのお話からも、それは示唆されます。エントリーの一部抜粋。
一方で,企業の研究者が行う研究と言っても,なんと商品化されないまま定年を迎える方が大部分なのだという話も聞きました.まぁどんな職業でもそうかもしれませんが,何ともしんどい話だなとも思いました.
んなわけで、プロセス重視の風土を「研究室」に残したいならば、発明の対価は、それほど高くないものに抑える必要があるのでは?というのが、とりあえずのワタシの主張。
いや、この辺の話をC_Cさんが「奴隷制」と呼ばれているのかどうかはわからないのですが。
もうひとつ。
技術系の会社に勤めだしたこともあり、実際の技術現場もある程度は理解できるようになりました。
現職場で、原発ほどの緊急性はないですが、夜中でも何でも構わず対応せねばならないような不測の事態は起こりますし、故障・異常の程度が大丈夫か否かという判断は、何より現場に駆けつけた作業員が下さざるを得ません。
ならばこそ、緊急出動時における労働管理は丁寧に手厚くやられなければならないと決められていて、一昔前と比べて無理な出動は禁止されるようになったとのことです(例えば体調不良や飲酒時)。
ただ金銭的な話、つまり緊急出動手当てに関しては、バブル終焉以降はバブル期の何十分の一に減額されたそうで、景気が大幅に回復した現在も改善されるふうはないとのことでした。
ちなみに、原発事故が起こった場合には、現場に真っ先に駆けつけて被爆するのは、こういった作業員や技能者の方々だと思います。
あと、別系ですが、「奴隷制」ということを考える際、労働環境という面を注視するなら、やはり派遣技術者の存在は一考すべきです。プログラマー(技能者?)の友だちがいて愚痴をたまに聞きますが、かなり悲惨 そういった待遇改善は必要だと思っています。
しかし何にせよ、コメントでも書きましたが(確信犯かよ)、社会人なら一人一人が自分の職種に責任を持ってもらわなければなりません。再掲。
「ワタシが思っている原発の問題は、システムや制御の話じゃありません。ただ、何か異常があったときには、夜中でも緊急に出動して確実に作業をすることは、安全性確保が第一の現場では、エンジニア一人一人が責任をもってやってもらわなければ困ります。ほんの少しの傷も異常音も、見逃さず聞き逃さず、メンテナンスしてもらわなければ困ります。まぁ実際、エンジニアはよくやっていると思います。」
しかし、こういった「責任・倫理問題」から、スコーンと抜けている(と思われる)のが、「第2回 科学技術に携わる人々」の表でトップに輝く科学者(研究者)。
「原発は、原子力エネルギーそのものが問題ですよ。まぁ歴史を辿れば「正力松太郎」まで遡るワケですが、とりあえず「核燃料サイクル」なんてを考え出した人々(科学者や研究者じゃないのかしら)を小一時間ほど問い詰めたいですな。」
いや、もちろん、科学者倫理という考え方は、技術者倫理よりも古くからあり、生命倫理など、かなり議論され尽くしてきています。
ただ、それはほんとうに一部の話で。極論すれば生命倫理だけに集中してきたと言って過言ではありません。それと最近は、論文捏造などの不正行為に絡んだ反省から再熱しました。
原発問題、宇宙開発、環境・気象問題etcの研究開発に関して、議論はほぼゼロに近いと思います。
有名な話で、第一回原子力委員会に、湯川博士が「騙されて」担ぎ出されたために「核の平和利用」の象徴的広告塔となってしまった...などというのがありますが。
そういったお茶を濁すような逸話など、もう辟易というところ。
杉本さんは、「原子力学会の研究会」における研修資料を、ケーススタディとして紹介されていました。
それは、日本原子力学会倫理委員会『第2回原子力に関する倫理研究会 報告書』(2004)の作田博氏「原子力技術者の倫理」から引用されたものでしたが、杉本さんが指摘されたように、この研修資料は「技術者倫理」を思考する適切なケーススタディにはなりえてなかったと思います。全然ダメ。
...と、つらつらと駄文を書いてしまいましたが、本日の『ガリレオ』には偶然にも放射線被爆(中性子だっけ)が出てきましたよ。
「エラい学者さんには、こんなもの作ったら、こんなゴミが出るんじゃないかというところまで考えて研究してほしいよな。賢いんだから」と言ってたおっちゃんのセリフに大賛成です。
言いたいことは、この一言に集約されるのかもしれない
『ガリレオ』は来週が最終回のようですが、物理学師弟の因縁の対決があるようですね。
【追記】こんなシンポジウムの記録、見つけました。やってはいたんですね。でも全然届いていない。これ、じっくり読んでみます。