ある日々

日々思ったこと

自殺を売り物にする

2008-05-20 23:49:33 | ニュース
アッコ 加護に苦言「仕事選んでる場合か」(スポーツニッポン) - goo ニュース

相変わらず、馬鹿なババァが吼えているが、1つだけ正論を言っている部分がある。


自殺を図ったことを告白したことについても「なんで“リストカットしました”って言う必要があるの?そういうことを言った方が記事が大きくなるとかってこと?完全な自殺未遂でしょ。本当に苦しい思いをしたのなら、そういうことはだまってなさい」と厳しく話した。


という部分だ。

加護は復帰以来、何かというと「リストカットをするまで追い詰められた」というのを口にしているように見える。が、その背景には「そこまで私は追い詰められたのだから、皆、同情して応援してね」という計算が見える気がしてならない。

そう考えると、本当にリストカットをしようとしたのかどうかも怪しく思えてくる。単に同情を引くための道具として自殺を使っているのではないか。

まぁ、ハッキリ言って、俺としては彼女の復帰が成功しようが失敗しようが知ったことではない。しかし、何か自殺を売り物にする復帰戦略に浅ましさを感じてならないというだけのことだ。

やはり大阪府民は馬鹿揃いだな(苦笑)

2008-04-19 04:32:22 | ニュース
【風】PT案説得 涙の知事に反響続々 「妥協せず府の大掃除を」 (産経新聞) - goo ニュース

こんな男の涙なんて、所詮は茶番劇に過ぎない。
少なくとも、政治というのは「論」と「理」に基づいて理性的に進めるべきものであり、浪花節的に泣いて物事を解決しようとするのは、論理的能力に欠ける馬鹿のやることである。つまりは、このニュースに対しては、最大限の失笑を返すのが、知性ある人間の取るべき態度だ。

にも関わらず、大阪ではこの茶番劇を好意的に受け止める人間が少なくないのだそうな(苦笑)。どうも、大阪には「政治」と「吉本新喜劇」との区別をつけることも出来ない馬鹿が一定数存在するらしい。

そういえば、先日、橋下が女子職員に論破を食らって「議論、大いに結構」と負け惜しみを言った事件の時も、大阪府民の中には「知事をいじめるな」という反応があったとか。

政治の世界という、互いに主義主張をぶつけ合う場で、議論が「いじめ」に摩り替わるというのは、サルにも劣る脳みそである。大阪人はサル未満が少なからずいるのだろうか。

まぁ、結局は、こういう馬鹿が少なからずいる街は、金をマトモに使うこともできないし、それを正すべき時に、より馬鹿な人間を選出するような、大笑いな街であるということだろう。

だから、今後、大阪人は笑いを取ることにだけ専念して、政治的に関東人に征服されて、関東人の下僕として生きるのが良いのではないかな(爆笑)。

危険な裁判員制度

2008-04-14 10:50:18 | ニュース
毎日1冊!日刊新書レビュー ド素人の多数決で「感情裁判」時代がやってくる?~『つぶせ!裁判員制度』井上薫著(評:荻野進介) 井上薫著、新潮新書、680円(税別)(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

裁判員制度というのは、非常に怪しい経緯で出てきた制度に思える。私自身は、こういった社会情勢や制度の変化に、さほど疎くもないと思っているのだが、この裁判員制度については「気づいてみたらやることになっていて、マスコミも表立って議論していない」という状況だった。ガソリン代には蜂の巣を突いたかのような報道をするマスコミが、より大事かつ危険な法案に対して静観を決め込むというのも不自然極まりない。

そもそも、この制度、日本で成立しうるのだろうか?
日本人というのは、とかく「論理」より「情」流されがちである。そのような文化を持つ民族には、根本的に裁判官は向いていないのではないかと思う。

この記事のコメントで、ある人は言う。

愛人なら刑が重くてよいと考える程度の国民には、愛人だと刑が重くなるような判決がふさわしいのではないか

この人は本心で言っているのではなく、「法で裁く」という概念に対する理解度の低さを皮肉ってはいるのだろうが、それでも大きな誤解がある。

多くの人が誤認しているが、裁判とは法にのみ基づくもので、情に基づくものではない。仮に情を挟む必要があるなら、立法で情を法に反映させるのだ。陪審員制度に賛成する者が「国民の情に沿った判決が出る」というのは、実は馬鹿げた意見だ。裁判は「情に沿う」必要はない。それ以前に「国民の情に沿った法律」を作るのが筋なのである。すなわち、上記の意見で言えば「愛人なら刑が重くてよいと考える程度の国民には、愛人だと刑が重くなるような法律を作る必要がある」とするのが正しい物の見方なまのである。

こういった点を取っても、いかに「法で人を裁く」ということに、多数の人が無理解であるかが分かる。

また、あるコメントは言う。

自分は阿法学部のアホ学生だったから、専門家にかませて置けばよい、面倒なことは真っ平ごめんと言っていると、自分が誤認逮捕されたとき、「専門家」がきちんと刑務所に送ってくれるでしょう

これなどは初歩的かつ幼稚な詭弁に過ぎない。まず「専門家がちゃんと裁かないかもしれない」「誤認逮捕がある」というのは、発言者の恣意的かつ極端な仮定(前提条件の設定)に過ぎない。それを前提にするのは卑怯である。
第二に「専門家がちゃんと裁かないかもしれない」が事実としても「陪審員が(専門家より)正しく裁く」とはならない。もしかすると「陪審員は専門家より、もっと適当に裁く」かも知れない。専門家否定の立証=陪審員肯定の立証とはならない。

また、あるコメントこう分析する

一般論で言えば、多くの国民は、裁判自体に対して、自分には関係ないと考えているのではないだろうか。自分は、裁判を起こす事もなければ、訴えられる事もないと思っているので、人を裁くなんてと思っている人が大多数だと思われる。

しかし、これは見当違いだろう。自分が裁判の原告・被告になるかどうか、と、「他人を裁く」ことに対して重荷を感じるかどうかになど、全く相関はない。むしろ、自分が裁判と無縁と考える人こそ、他人を裁くことを気軽に考えるのではなかろうか。

さらに、同じコメント者は言う。

『裁判員制度』の本当の目的は、国民に判断をさせる為ではなく、裁判に無縁な一般人を裁判に参加させる事で、国民に裁判を身近にすることが目的のように思える。

そもそも「なぜ裁判を身近にする必要があるのか」「陪審員になれば身近になるのか」という点で説得力のある説明がない。それこそ、なぜ「強制裁判傍聴制度」では駄目なのか。

また、ある人は言う

民主主義国家として世界の尊敬を集めたいと思うのであれば、

他国と同じ制度を導入せよ、とのことだ。幼稚園児のような「他所ではこーなんだよ!僕も同じことしたい!!」レベルの意見で話にならない。そして、他所の猿真似が尊敬を集める行為だと考える愚かさは救いようがない。

ある人は言う

反対されている方は結局「自分が人を裁く事が嫌だから反対」という事でしょうか?「現実を直視するのが嫌だから法律の専門家に今までの様に任せておけば良いではないか」というお考えのようで。はっきり言いますが、それは著者も含めて明らかに逃げ、無責任ではないのでしょうか。


むしろ「能力もないのに人を裁きたがる」「能力もない人間に人を裁かせることを肯定する」方がよほど無責任だろう。他人の人生を何だと考えているのか。他人を刑務所に送ることを軽く考えているのではないか。

陪審員制度をやるにあたり、陪審員が裁判官と同レベルの法律知識や判断力を持っているなら、私も賛成しよう。しかし、そんなことを想定するのは非現実的だ。

以上、陪審員制度に賛成する意見を見てきたが、結局はこの程度のレベルなのである。容易に問題点を指摘できてしまう。この程度も分からず、裁判員制度に賛成する人間というのは、概ね「他人を裁き、運命を左右する力」に憧れる傲慢な人間と考えて良いのではなかろうか。

多少なり思慮と良識のある人間なら、専門知識もない自分が、半端な知識と感情で他人の運命を決めるなど、真っ平と考えるものだ。

さらに言えば、そういう「陪審員の権力」に憧れる人間は、自分が裁かれる側になる可能性も考慮していないのだろう。なぜなら、彼らは自分が「正義」の側の人間と思っているからだ。「正義の側にいる自分は、陪審員として正しい判断ができるし、当然、裁判の被告になっていい加減な陪審員に裁かれる心配もない」と考えていればこそ、この問題だらけの制度に賛成できるのである。

私は、そういう人間は、自分の能力に対して、誇大妄想を抱いている人間であると考える。

やっぱり橋下は雑魚だった

2008-03-19 00:44:48 | ニュース
府職員、勤務時間中は「禁煙」=30分の休息は廃止に-橋下大阪知事(時事通信) - goo ニュース

休憩をなくして効率が上がるのか。休憩することが府政の赤字の問題なのか。
少し考えれば、そうでないことくらい分かるはず。

要するに「自分は大ナタを振るった」というポーズが欲しいだけ。本質的な部分へ改革の手を入れる能力がないから、知事の強権で職員を締め付けて見せただけにすぎない。

いや、仮にポーズでなく、本心からこれが府政の改革だと信じているなら、橋下は正真正銘の馬鹿ってことでしょう。

無能ほどサービス残業を誇る

2008-03-14 17:30:33 | ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080313-00000932-san-pol
「どれだけ残業してると…」橋下知事に女性職員が猛反論

橋下知事が初朝礼 女性職員、発言にかみつく一幕(朝日新聞) - goo ニュース

各論についてはどうでも良いと書いたが、あまりに、周りのブログを見ていると「民間ではサービス残業なんて当然」という意見だらけで笑えたので。

結論から言えば、無能な人間ほど、自分がどれだけサービス残業をしているかを誇る、ということだ。仕事というのは成果であり、給料というのはその成果に対して支払われるものである。残業しているにしても、いないにしても、成果のある仕事をしているのであれば、その成果分の給料は請求して当然のことである。むしろ、請求しない方が、自らの仕事の価値を貶めていると言って過言ではない。

にもかかわらず、これだけ「サービス残業なんて当然」「府職員は甘い」という意見が多いということは、要するに、価値を貶めてもかまわない程度の仕事しかしていないということに他ならない。

そして、サービス残業の時間の多さを競うことで、いかに自分が会社に従順かを競う。無能な人間は、そこしか誇れるものがないからである(笑)。

普通以上に優秀な人間は、成果を誇るのである。

そもそも、橋下が勤務時間外に朝礼を開こうとすること自体がおかしい。
逆に言えば、その朝の時間に朝礼を開くことに、そこまでの意義があるのであれば、残業(というか早出だが)として喜んで認めれば良いだけの話である。朝礼というのは、上司たる自分の意思を徹底するものなのであるから、明らかに仕事なのだから。

橋下が「自分の話に十分な価値がある」「それを話して聞かせることが、府政にプラスになる」と自信を持っているのであれば、部下に給料を払って聞かせて何も問題はないはずだ。サービス残業というものは、ある意味、社員の「お情け」に頼るような施策である。府職員の「お情け」に頼らなければ自分の政策も伝えられない、その程度の価値の話しかできない、というのなら、橋下はあまりに無能ということだ。

知事たる橋下に取って、自分の意思を部下に伝えるというのは、部下に対するオーダーである。オーダーはするが、金は払いたくないというのは、飲食店でやれば食い逃げという立派な犯罪だ。

また、府民も「府が赤字なのだから、役人はサービス残業でもしろ」というのは恥ずかしいことだと理解するべきだろう。サービス残業という「お情け」で、行政サービスという「価値のあるもの」を受け取ろうとするのは、お情けにすがって物をねだる乞食と同じだ。それとも、大阪府民は乞食なのだろうか?

タバコだ雑談だを槍玉に上げるのも、あまりにも雑魚の思考回路である。
タバコだ雑談だのせいで、大阪府政は赤字なのか?それらをやめれば赤字は解消するのか?違うだろう。

確かに府政の金の使い方に拙い点があるからこそ、府は赤字になるのだが、それなら、その拙い点をピンポイントで正すべきであろう。丼勘定で「職員総懺悔」的に問題を処理しようというのは、真の問題点を解決できない無能な人間の考えることだ。そして、まさに、橋下がやるべきことは、真の問題点を解決することではないのか。

結局、昨日の朝礼で橋下は、「信念もなく威勢の良いことは言うが、議論からは逃げるヘタレである」ことと「真の問題点を解決することができない無能な人間である」ことを露呈したわけだ。

公務員というと、何でもつるし上げれば良いと思っている馬鹿な輩も多いが、物事はすべからく、正しい見方が重要である。

■秀逸
噛み付け! それでよい!(ロビントンの独り言)

橋下、尻尾を巻いてトンズラ

2008-03-14 14:52:01 | ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080313-00000932-san-pol
「どれだけ残業してると…」橋下知事に女性職員が猛反論

橋下知事が初朝礼 女性職員、発言にかみつく一幕(朝日新聞) - goo ニュース

サービス残業の是非や、朝礼云々は、とりあえず、どうでも良い。
問題なのは、橋下が反論されて「ありがたい意見。どんどんいってほしい」とトンズラをこいたことだ。

職員の勤務に対して、真に道理の通った信念を持っていたのであれば、府職員のたかがヤジ的な反論に対して、真っ向から論破できたはずである。それができないということは、所詮は思いつきで威勢の言いことを吼えていたに過ぎないということだ。

馬鹿な産経新聞は

橋下知事は「ありがたい意見。どんどんいってほしい」と余裕の表情で応じた

などと間抜けなことを言っているが、単に予想外の反撃に対して反論に窮したので、「自分は議論を呼び起こすために敢えて言ったのだ」と逃げの強がりを打っているに過ぎない。いわば、ネットの掲示板などで反論に窮した人間が「釣ろうとしただけだよ」と言って、必死に上から目線を保とうとするのと同じである。

これが石原都知事のような人間であれば、その場で真っ向から議論を戦わせたであろう。良し悪しは別にして、石原は威勢の良いことを言うときは確固とした信念を持っているからである。

繰り返すが、各論について、どちらが正しいか、妥当であるかは、この際どうでも良い。

明らかになったのは、橋下が、自分で売った喧嘩に反撃され、尻尾を巻いて逃げながら、後で必死に強がって見せるような、虚栄心ばかりが肥大化した雑魚である、ということなのだ。

病気と犯罪が同じ量の国なんだとさ

2008-03-04 21:28:43 | ニュース
【風】医師 警察官より多いのに…(産経新聞) - goo ニュース

産経新聞の記者には、医者は不要だろう。馬鹿につける薬はないからだ。
この馬鹿は、医師数が警官の数より多いとして、あたかも医師不足が誤りであるかのようにミスリードしようとしている。

しかし、ほんのちょっと頭を使って考えてみよう。
一生の間なり、一年の間なりに、「警察にお世話になる回数」と「医者にお世話になる回数」と、どちらが多いだろうか。

医師にお世話になる人間は、善良な市民から、年寄り・子供まで、あらゆる人間なのである。しかも、年寄りに至っては日々の大半を医師に世話になったりしている。また一度入院すれば、退院までは毎日医師の世話になることになる。

一方で警察はどうか。
スピード違反等の軽微な犯罪や、道案内を受けるなどのサービスに関しては、多くの市民が世話にはなるが、それでも、年間に医師に世話になる頻度と比べてどうだろうか?
まして、一般に言う「犯罪」を犯す人間は、ごく一部に限られている。一度、逮捕・投獄されたからと言って、出所まで警察に世話になるわけではない。

要は、この馬鹿記者の犯した最大の間違いは、対応しなければならない仕事量(医師なら病気対応の仕事量、警察なら犯罪対応の仕事量)を全く勘案せず、単純に人数で比較してしまった所にあるわけだ。

この馬鹿記者の頭の中では、市民は「犯罪」も「病気」も、人生の中で同等に行ってゆくのだろう。あるいは、産経新聞の記者は、病気に犯されるのも、犯罪を犯すのも、同じ日常である「犯罪常習者集団」なのかもしれない(笑)。

そもそも、比較というのはなるべく条件を揃えなくては意味がない。医師も警察も、ある1つの仕事をするときにチームを組むことが多いが、その人数はどうか。1つの仕事に平均何日くらいの手間を取られるのか。

そういう条件を数値に勘案しなくては比較の意味がない。
そんなことは、今時、小学生でも知っていることだ。

産経記者の知能レベルは、小学生にも劣るということである。

無能な役人に払う給料はもったいない

2008-02-26 05:57:40 | ニュース
<ポスター>「米の作りすぎは、もったいない!」に農家反発
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080225-00000109-mai-soci

むしろ、無能な役人に払う給料の方が「もったいない」というべきだろう。

「作りすぎはもったいない」というのは、ある意味、事実ではある。
しかし、その量の米が「作りすぎでない」ようにするのが、農業行政が取り組むべき仕事だろう。

すなわち、米が余るのであれば、食料自給率を上げるとか、輸出して商売として成り立つようにするとか、そういうことを考え、取り組むのが農林水産省の仕事なのである。にも関わらず、作付けの方を減らして辻褄を合わせようとするというのは、自ら「自分達は無能で仕事ができません」と宣言するに等しい。

無能な役人に払う給料の方がもったいない、と言えよう。

誰が救急医療を壊したか

2008-02-19 14:54:08 | ニュース
15病院受け入れ断る=救急搬送、61歳女性死亡-東京
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080219-00000045-jij-soci

もはや救急医療崩壊という状態であるが、誰がこのような事態を招いたのだろうか。

一つの原因は医師の不足であり、その背景には、厚生労働省が医師数のコントロールを誤ったことが挙げられている。これはこれで、改善していかなくてはならないが、医師不足は既に社会的な認識になりつつあり、改善への合意形成は可能であろう。

しかし、見逃されがちなもう一つの問題は、実は深刻である。
それは「救急医療で、何でも医師のせいにすれば良いと思っている愚か者が存在する」ということだ。そういう馬鹿は患者にもいるし、マスコミにも沢山いる。そしてそういう人間どもは、思い込みの「正義」を振りかざしては訴訟を起こし、病院の正常な業務を妨害するのである。

近年、各地で産婦人科医が訴えられる事例が相次いだ。また、先日も「綿飴を食べ歩きしていて転んで、割り箸が脳に刺さった」子供の親が不毛なイチャモンを続けている(とりあえず敗訴)ことが報道されている。

もちろん、医師は患者の救命のために最大限の努力を行うべきなのは事実だ。しかし、助からないものに努力をするのは、ただでさえ足りないリソースの無駄遣いでしかない。
また「救急の医師がそっけない」ことを「必死に努力していない」と患者は思いこみだが、医師も日常の業務でやっているのであり、淡々と事が進むのは当り前だと理解するべきであろう。病院内に患者を救うための怒号が飛び交い、医師が走り回る、というのは、ドラマの中の誇張された世界の見すぎである。

かく言う自分も、親を急な病気(いわゆる突然死)で失っている。
病院に着いた時、親は心肺停止状態で、医師はすでにサジを投げていた。そして「さぁ、肉親の方、とっとと死んだと認めて下さい」というような態度を感じたのも事実だ。それに対して「いや、そんなに簡単に諦めないでさ。他に、なんか生き返らせる方法はないのかよ。お前ら医者だろ」と思ったことも、正直に認めなくてはならない。

肉親の治療に対してそういう感情を持つことは、自分はむしろ自然なことだと思う。その感情を恥じるつもりもないし、恥じる必要も感じない。

しかし、その「自然な感情」と、治療の客観的な正誤とは、また別次元の話であることは、冷静に理解するべきであろう。まして医師に、自分と同じような動揺を感じて欲しいと思うのはお門違いだ。

医師は、あくまで「医師という職業の人間」であって、「神」ではない。全ての命を無条件に救えるわけではないのだ。単に自分の職業の範囲で出来ることをするだけの人間なのだ。

にも関わらず、結果が気に食わないと医師を訴える。医師が一生懸命でなかったのが悪かったと医師を訴える。それは、医師に対して過剰な期待を抱きすぎなのであり、クレーマーやモンスターペアレントと同じ人種のすることだ。

そして、そういう人間が存在すると、医師側もリスク回避を考えなくてはいけなくなるのだ。患者側が「受け入れてくれて頑張ってくれたんだから死んでも諦めよう」と思う患者ばかりであれば、病院は気軽に救急患者を受け入れるであろう。しかし、その中に一定数「受け入れたからには、助からなかったら病院の怠慢に違いないから訴えてやる」という人間が混じると、病院も受け入れる前に「助けられるかどうか」を吟味しなくてはいけなくなる。そして、確実に助けられる人しか受け入れたくない、と思うのは止むを得ないだろう。

つまり、最近の救急医療崩壊の原因の一つは、安易に医師を訴えるような連中なのだ。もちろん、医師を訴えること全てを否定はしない。中には本当に医師のミスや怠慢もあるだろう。
そういう事例は別にして、安易に「命は救える」と思い、安易に医師を訴える人間こそが、救急医療を壊し、そして他の救急患者を殺している犯人なのである。

マスコミの中には、こういう連中を「正義の士」のように持ち上げるものもある。割り箸の件の親は、自分達の過失(割り箸をくわえたまま、子供を歩き回らせる)を棚に上げて、本まで出して医師への誹謗中傷を行っているようだ。

私は、こういう人たち(マスコミ・モンスターペイシェント)を支持する気に、まったくならない。
なぜなら、自分が救急医療を受ける立場になったとき、助かりたいからである。
今日もまた、どこかの救急患者が、こういう人たちによって殺されている。
私には、人殺しを支持する趣味はないのだ。

■秀逸
この事例を追っている。根本は産婦人科医逮捕・・(しゅーの部屋)
医療崩壊(うろうろドクター)


■追記
ブログを巡っていたら、コメント欄に興味深い情報があった。
http://blogs.yahoo.co.jp/gmy2266/2629848.html
以下、引用する。


●なんで急患の受け入れを断るの?
・(人員・設備が足りない…などの)物理的問題で、(受け入れると犯罪になってしまうケースがある…などの)法的問題で「受け入れ不能」だからなんです。

●なんで「専門外だから」が断る理由になるの?
・「専門外の患者を受け入れるのは犯罪」という司法の判例(奈良心タンポナーデ事件)があるからなんです。

●ベッドが無いなら、廊下で治療すればいいんじゃないの?
・「設備不十分な状態で患者を受け入れるのは犯罪」という司法の判例(加古川心筋梗塞事件)があるんです。
・そもそも、「ベッド」「ベッド」って言われてますけど、病院でいうところの「ベッド」は、心電図とか、酸素マスクとか、呼び出し用ボタンとか、それを管理する人員とか、それら全て「込み」ですからね。もはや「ベッド」というより「設備」と言ったほうが適当かも。

●応急処置してから、他の病院に移すのは駄目なの?
・「応急処置の後、他病院に転送するのは犯罪」という司法の判例(上に同じく、加古川心筋梗塞事件)があるんです。


こうやって、救急医療は壊されていくのだ。

お湯が沸くのは火があるからか

2008-02-17 00:28:48 | ニュース
自己責任論にNO 女性団体、立ち上がる 米兵事件(朝日新聞) - goo ニュース

「お湯が沸くのは火があるから」。別におかしな文章でもない。では「お湯が沸くのは水があるから」はおかしな文章だろうか? 誰かがお湯を沸かすのを阻止したければ、火を消すのも一つの方法だし、水を取り去ってしまうのも一つの方法だ。

物事にはいろいろな見方があり、ある問題を防ぐ方法はその観点ごとにある。それらは優劣をつけるようなものではなく、どれも次元の違うところで大事ということも少なくない。先の例で言えば、お湯を沸かすのを阻止するのに、どちらの方法を使っても良いのだ。やりやすい方でやれば良い。どちらが良いか論争するのは不毛だ。

「レイプする人間が悪い」のか「レイプされないように気をつけるべき」か、という論争も、これに近い不毛さがある。しかし、この手の事件があるたびに出現するキチガイ女性団体は、その程度を理解する知性もない。

このブログでも何度も書いている通り「悪人をなくす」と「自らの身を守るように気をつける」というのは、次元の違う問題であり、どちらが大事とか比較する話ではないのである。敢えて言うなら、どちらも大事であり、共にやれることをやれば良いだけの話である。

そして「悪人をなくす」と「自らの身を守るように気をつける」と、どちらが「自分でできること」かと言えば、当然後者である。個人の力で悪人を根絶やしにすることは不可能だが、自分の身を少しでも安全な場に置く努力は個人でもできる。だから、個々人が後者に気をつけるべきだという話になるだけだ。

それはレイプに限ったことではなく、犯罪全般に言える一般論である。

にも関わらず、「レイプされる人が悪い」という論調があるかのような被害妄想を元に「レイプ犯と被害者とどちらが悪いか」などという比較を展開する者こそ、レイプの根絶を妨害している者と言っても過言ではないだろう。

なぜなら、そういうキチガイどもの考えによれば「安全は周囲の誰かから与えられるべきものであり、本人は何ら自覚しなくても良い」ということになるからだ。そういう非現実的な妄想世界を夢想している人間は、現実世界の問題解決に何ら寄与しないどころか、有害な妄想を広げ問題解決を妨害するだけの有害な存在なのである。

キチガイ女性団体こそ、レイプを奨励している存在であると自覚するべきだ。

■秀逸
アメ公相手に限らず、最低限の自衛は必要でしょう(言わしてね とんぺいより)
非武装対話派の理論だ(泥舟斎の戯言(たわごと))
自己責任論にNO、ではない(ニュース斬り)