総一郎は上機嫌だった
このままいい雰囲気で誕生日を過ごしたいと思っていたのにアイツのひと言で
私にとっては、最悪の誕生日になるところだった
床での食事を済まし手洗いへと立った私に声をかけてきた男がいた
“あ、やっぱり野村やったんや”
そう気安く声をかけて来たのは、私が高校生の頃憧れていた男
でも、性格は最低な二度と会いたくなかった男
私は人違いのふりをして知らぬ顔で通り過ぎようとしたのに通りすがりに手を掴まれた
“はぁ? 何方かとお間違えではありませんか?” 関西弁を押さえた口調でしらを切った
だが男は 「何ええかっこしてんねん?アンタ野村やろ? しらばっくれてもわかんねんで
メッチャ男前さんと一緒やないか、今の彼氏か? 美男美女なぁ~」と、ねちっこく言いよってくる
私は静かに「人違いではありませんか?すいませんが、手を離していただけませんか?」 と言ったが
明らかに酔いが回っているその男は、ニヤニヤしながら一緒にいた男性達に向かって
「えへへ、この子綺麗やろぉ~? オレが昔ちょーっとだけつきおうたことある女やねん」
と、へらへらしながら言っている
連れの男たちは、「おいおい、嫌がってるやんか放してやりぃ~な お前、ただの酔っ払いやで~」
と気の毒そうではあるが、興味津々な顔つきで私の頭からつま先までを食い入るように見ている
私は、静かに話しているのではらちが明かないと思ったので
声はなるべく小さく、総一郎には聞こえないように注意しながら 言い放った
「ちょっと!いい加減にして下さらない?どこの何方とお間違えか存じませんが、あなた!失礼ですよ」
その声で、そばにいた従業員が 「お客様?どうかなさいました?」 と声をかけてくれたので
私は掴まれた手を指さし “なんとかして” と合図した
従業員が頷き 男の手を掴むとソイツは、「おい!何すんねん? オレの知り合いやで!」
と、騒ぎ出した
奥から兄の友達の川島さんも顔を出し “あっ・・・?” と私に気がついたようだった
「お客様 大丈夫でしたか? あちらの方少し酔いが回っているようですね、失礼しました」
そう言われて私は「いいえ、大丈夫です 何方かと勘違いされたようで・・・・」
と、あくまでもしらを切りとおした
川島さんは、気がついたようで 手洗いを済まして出てきた私に小声で
「絵里子ちゃんでしょう?嫌な思いさして悪かったなぁ~すんません
気ぃ悪うせんとまたよかったら来てね」 そう囁いた
私は、“やっぱしばれてたか・・・” と思ったが仕方がないので
「今のことお兄ちゃんには言わんといてくださいね
今夜はまだ京都におらんことになってるんです、明日実家へは顔出すんで・・・内緒で・・・」
と、人差し指を口に当ててにっこり笑ってあいさつした。
京都の料理屋は口が堅い 決して今夜のことが兄や実家にばれることはない
それにしても・・・お父さんから川島さんへと代替えしているとは・・・・私の計算違いだった
総一郎は「遅かったね、何か店の中でもめてる風だったけど絵里ちゃんは大丈夫だった?」
この人もご機嫌さんに酔いが回っていたようなので、
店の中での出来事が私に直接関係あったとはわからなかったようだ
私はホッとして、「そろそろホテルに戻りましょう」 と声をかけた
川島さんは、私と総一郎を見ると にこやかな顔で“おおきに!”というと、
私にはこっそり“OK”と指で示して
「おおきに、ありがとうござました。またお越しください」 と、総一郎に向かって丁寧にお辞儀をした

「床って結構リーズナブルなんだね」 ホテルに戻った総一郎が嬉しそうにそう言ったのを聞き
きっと川島さんが、嫌な思いをした私にささやかな“おまけ”をしてくれたんだな・・・・と、思った。

これから、総一郎と二人きりでゆっくり夜を過ごせると思うと 私は一人身体が熱くなるのを感じていた