goo blog サービス終了のお知らせ 

心のままに・・・

実体験をもとに小説仕立てでお話を書いています。
時々ひとりごとも…

去りゆく人 8 ~ last ~

2013-03-03 20:55:27 | 去りゆく人


春になり、大学の二年生になった私たちはサークル活動に夢中になっていた。


他校の学生との交流も盛んになり かなりの大人数で海だ山だと遊び呆けていた


そんな中で、私はお気に入りの男の子を見つけ密かに憧れていたが


彼の周りには、いつも華やかな女の子達がいて


気後れするわたしは、遠くから見つめては“ふぅ・・・”とため息をつくばかりの日々を過ごしていた。


そんな私を見かねた真理子には、“千秋はおとなしいから駄目よ、そんな事じゃ いつまでたっても


彼なんてできないんだから!”


と、何度も言われていたが、やはり弱気な私は “振り向いてもらえるのを待つ・・・”


なんていうまどろっこしい態度で真理子を イライラさせていたことだろう・・・





夏休みに入りいつも真理子が啓太と一緒に行っていた神戸へ、私はその年初めて連れて行ってもらった


啓太は父親の会社へは行かないと言い張り就職活動に燃えていた




異人館通りというオシャレな山の手を散歩したり、美味しいスイーツのお店や


可愛い雑貨のお店を覗いたり何もかもが新鮮で一度乗ってみたかった大きな観覧車にも感動を覚えた


貨物船がまるでおもちゃのように見えて子供のように はしゃいで楽しい夏休みとなった


真理子のお母さまのご実家は、川の名前がついた駅からほど近い閑静な住宅街にあった


近くには、美味しいスイーツのお店やブティック


それはそれは素敵で、こんなところに暮らしてみたいと私は結局一週間ほど滞在させてもらった


真理子は、お盆の前に杉山くんがこちらへ遊びに来る事になっている ということで神戸へ残ったが、


私は、8月の一週目には一人帰って来ていた。


夏休み中は、サークルの別の仲間たちと食事に行ったり、アルバイトの助っ人に呼ばれたり


と、それなりに充実した日々を送っていた






ある日の夜、サークルの先輩達と行ったお店で騒いでいた男の子の一人が奥のTVを指さし


“おいっ!すごいことが起きたようだぞ!”と、小さく叫んだ


TVでは、有名女性アナウンサーが驚くようなことを伝えていた・・・・・・・















1985.夏・・・あの出来事は、今でも忘れられない


それは、呑気に遊び呆けていた私たちにも大きな衝撃を与えた出来事だった・・・


まだ、誕生日を迎えておらず未成年だった私だが、その日は先輩たちに混じって


密かに居酒屋なる場所へ行った


学生が騒げるその店の奥には小さなTVが置いてあり


そのTVは、夕方に起こった悲惨な出来事を伝えていた


その場にいたみんなは、息をひそめ「ニュース速報」のテロップを見つめた 


その時にはまだ、何が起きたのか・・・


飛行機が墜落したという情報は伝わったが、どのようなものなのかよくわからなかった











それでも私たちにとっては、蚊帳の外の出来事で最初こそ驚いたが、


すぐに忘れたように騒ぎその日は、それぞれ帰路へと向かった









次の朝早くに電話があった “千秋・・・・・・千秋・・・・”


電話の向こうで ただ泣くばかりの真理子


“真理子?!大丈夫?何かあったの? 泣いていてもわからないわ、何があったの・・・?”


そう尋ねながら、私は”まさか!!?”と思わず受話機を落としそうになった


泣きながらとぎれとぎれに話す真理子・・・


それはとんでもない出来事を伝えるもので、信じられない話の内容に全身の震えが止まらなかった














あれからどのくらいの日々が経ったのだろう・・・・



今も自分の無力さを 悔やんでしまう












あの日起こった出来事は、私にとって決して蚊帳の外の出来事ではなかった


真理子の大好きな杉山くんが、墜落した飛行機に搭乗していたというのだ・・・


大阪の空港まで迎えに行っていた真理子は到着するはずの飛行機が一向に現れず


自分が時間を聞き間違えたのか?くらいに思っていたらしい


そこへ空港のTVが、信じられない出来事を映し出していた








真理子が“お盆の前に杉山くんがこっちに遊びに来る”と言っていた


それは真理子の元気の源でもあり楽しみに迎えに行ったはずだ






あの夜真理子は、ひとりでどうやって過ごしたのだろう?


あの時 私は、どうしたらよかっただろう・・・?






真理子のSOSにどうやって答えればいいのかわからず、ただただ震えるばかりだった。


どうすることも出来ずにTVにかじりつくことしかできなかった


乗客名簿というものが放送されその中に”スギヤマリョウスケ”という名前を


見つけた時の衝撃は、今も忘れられない・・・・・・







あの日電話で泣いた真理子の泣き声が、私が聞いた最初で最後の真理子の泣き声だったと思う


あの夏休みの大きな衝撃の後真理子は、しばらくこちらへは帰らずお母さまの実家で過ごしていた。


まだ若かった私には、どうすることも出来ず真理子からの連絡を待つしかなかったのだった









その年の冬真理子は杉山くんへの想いを心に封じ込めて二度と杉山くんの事を話さなくなった


想いを封じ込めたまま真理子は人前で決して泣かなくなった


ただ・・・あの時もらった細く美しいリングだけは今も肌身離さず身につけている


大切な人を失ってしまった真理子の想いを この先も決して忘れることはないだろう







そういえば・・・あの事故のことを“追悼の為に歌にした”というアーティストがいる 


その歌を聞くと、今でもあの出来事を思い出し胸の奥がチクチク痛む・・・・・・








そう・・・それは、むかし啓太が教えてくれた素敵な声の男性アーティストの曲 


今聞いても、心の奥がキュッと痛くなるようなそんな切ない歌声で


いつまでも忘れられない忘れてはいけないと、言っているような気がする


今、改めて・・・・沢山の方のご冥福をお祈りします。