それからの数年、私はSRAMの仕事をやっていたわけだが、もともと欲しくても買えないようなパソコンすらいじったことがない私には、コンピュータ環境でコンピュータの部品を作ることには強い違和感をいただき続けたことが否めない。しかし、電子工学科で、プログラミングを知ったり、電磁気学、解析力学、線形代数、電子物性理論基礎をしっかり学んだので、どうにか同じ大学・大学院の講座の先輩に励まされながら、できる限りのことをセルフフォローアップし、CASLを覚えて情報処理二種の資格を独学で取得したり、NOVAにいって英会話を習い、社内英語検定(HELPTと呼ばれていた)でBランクに後一歩まで辿り着いていったし、退職する前の、やや円高の名残のあったときには上司に社費留学を個人的に許可されていた。
しかし、私は疲弊していたらしい。
妹弟達が自立し、私が始めの宝くじ的就職場所から退職するまでの約5年の間、次男は自称”命の楽器が壊れたとき”と、”借金の取立てに困窮したとき”の二回だけ私を頼ったが、それ以外は全く家族の助け無しに自立していった。ボーナスの時期に限ってきていたので???ではあるものの、私は実家にも、ボーナス月は7万+10万円を渡していたので、当然、
クレジットのキャッシングに頼るようになってしまっていた。
しかし、私のキャッシングはあくまでもきつい仕送りのしわ寄せのみであって、
パチンコ・競馬・マージャン等の賭博に手を出すことで欠損した埋め合わせではない。LSIの設計の仕事と学習は十分刺激的であるので、そんなものには目もくれていなかったので、ここで、ある元友達に言っておきたい。
余興では、大学で覚えたドラムで、社会人バンドの練習や、デイブ・ウィックルのドラム教則本の練習で時間が十分埋まった。
パチンコを始めて覚えたのは、パチンコ巣鴨会館の遅番ホールスタッフ店員で5ヶ月走り回っていたときでもなく、その後、ASA新聞奨学生の東大生だった時に、新聞専売所の悪徳的専業さんと付き合った時がはじめてである。それ以来、小遣い稼ぎに使いたいとしばらく思い込んで、かなり時間とお金を損したところもあるが、
それは、1996年夏(クーラーで涼める唯一の場所がPACHINKO:台湾にも”パチソコ”があるが、あれはどう見ても”ン”ではない。。。)~1999年の出来事だ。
しかし、仕送りなどで、カツカツだった私はその友人が結婚したといって、私をモヨウシモノに誘ってくれた時も、その後、社員寮にひとりバイクで新婚旅行の写真を見せにくれたときも、お祝儀らしきものは何も渡せなかった。まともにお祝いすらできなかったのである。ちょうどそのころ、やっと妹二人が次々と高校を卒業し、社会人に無事なるところだったので、私は退職して大学にいって、科学の基礎固めをしようともぼんやり思っていた頃だったので、また貧乏になる覚悟の状態だった。(ASAでバイトして合格し、新聞奨学生で卒業してやろうと思っていた:浪人のとき一度、日経の新聞奨学生として、駿台午前部理科一類に選抜試験で入学したが、結局その年は学校に殆ど行かなくなり、都落ちした落人だったのを自分の中で解消する意味も兼ねて)。
先日、ジュンク堂で「An Illustrated History Of The USA」Bryn O'Callaghan著
で、短いアメリカの歴史を覚えようと思って、はじめの章を読むと次のようなコラムが書かれていた。それを読んで、彼は、そんなふがいない私の行動をみて、さぞかし私の一家を全員バカにしただろうということが初めて、強く思い出された。
まずは、家族みんなを代表し、ここにお詫び申し上げたい。
Potlatches-
The "potlatch" was a popular ceremony amongst the wealthy Pacific coast tribes of North America. The word means "gift giving". A modern potlatch is a kind of party at which guests are given gifts, but the original potlach ceremonies went much further.
A chief or head of a family might give away everything that he owned to show how wealthy he was and gain respect.
To avoid disgrace, the person receiving the gifts had to give back even more. If he failed to do so his entire family was disgraced.
この本は、買ったけど、そこで読むのが止まっている・・・
しかし、私は疲弊していたらしい。
妹弟達が自立し、私が始めの宝くじ的就職場所から退職するまでの約5年の間、次男は自称”命の楽器が壊れたとき”と、”借金の取立てに困窮したとき”の二回だけ私を頼ったが、それ以外は全く家族の助け無しに自立していった。ボーナスの時期に限ってきていたので???ではあるものの、私は実家にも、ボーナス月は7万+10万円を渡していたので、当然、
クレジットのキャッシングに頼るようになってしまっていた。
しかし、私のキャッシングはあくまでもきつい仕送りのしわ寄せのみであって、
パチンコ・競馬・マージャン等の賭博に手を出すことで欠損した埋め合わせではない。LSIの設計の仕事と学習は十分刺激的であるので、そんなものには目もくれていなかったので、ここで、ある元友達に言っておきたい。
余興では、大学で覚えたドラムで、社会人バンドの練習や、デイブ・ウィックルのドラム教則本の練習で時間が十分埋まった。
パチンコを始めて覚えたのは、パチンコ巣鴨会館の遅番ホールスタッフ店員で5ヶ月走り回っていたときでもなく、その後、ASA新聞奨学生の東大生だった時に、新聞専売所の悪徳的専業さんと付き合った時がはじめてである。それ以来、小遣い稼ぎに使いたいとしばらく思い込んで、かなり時間とお金を損したところもあるが、
それは、1996年夏(クーラーで涼める唯一の場所がPACHINKO:台湾にも”パチソコ”があるが、あれはどう見ても”ン”ではない。。。)~1999年の出来事だ。
しかし、仕送りなどで、カツカツだった私はその友人が結婚したといって、私をモヨウシモノに誘ってくれた時も、その後、社員寮にひとりバイクで新婚旅行の写真を見せにくれたときも、お祝儀らしきものは何も渡せなかった。まともにお祝いすらできなかったのである。ちょうどそのころ、やっと妹二人が次々と高校を卒業し、社会人に無事なるところだったので、私は退職して大学にいって、科学の基礎固めをしようともぼんやり思っていた頃だったので、また貧乏になる覚悟の状態だった。(ASAでバイトして合格し、新聞奨学生で卒業してやろうと思っていた:浪人のとき一度、日経の新聞奨学生として、駿台午前部理科一類に選抜試験で入学したが、結局その年は学校に殆ど行かなくなり、都落ちした落人だったのを自分の中で解消する意味も兼ねて)。
先日、ジュンク堂で「An Illustrated History Of The USA」Bryn O'Callaghan著
で、短いアメリカの歴史を覚えようと思って、はじめの章を読むと次のようなコラムが書かれていた。それを読んで、彼は、そんなふがいない私の行動をみて、さぞかし私の一家を全員バカにしただろうということが初めて、強く思い出された。
まずは、家族みんなを代表し、ここにお詫び申し上げたい。
Potlatches-
The "potlatch" was a popular ceremony amongst the wealthy Pacific coast tribes of North America. The word means "gift giving". A modern potlatch is a kind of party at which guests are given gifts, but the original potlach ceremonies went much further.
A chief or head of a family might give away everything that he owned to show how wealthy he was and gain respect.
To avoid disgrace, the person receiving the gifts had to give back even more. If he failed to do so his entire family was disgraced.
この本は、買ったけど、そこで読むのが止まっている・・・