当時はリーグではなくチャンピオンズカップと呼んでいたな。
75-76シーズンの決勝は3連覇を目指すバイエルン・ミュンヘンとフランスリーグ3年連続優勝のサンテティエンヌで、これがオレにとっての初めてのチャンピオンズの決勝だった。あれは5月の半ば(12日だ)暑かったー!
その年のパリは猛暑で100年ぶりの暑さとか言ってたな。オレは4月18日にパリに着いてようやく慣れて来たころで、毎日フランス語の外国人向け語学学校に通っていたのだけど、まあ話題は毎日サッカー、フットボール、カルチョ、フスバルだったな。
第二次大戦が終わってまだ30年だから年寄りは実際にドイツ人とその辺で撃ち合った経験があるし、子供も爆撃を受けて逃げまくった記憶があるもんだから、その憎しみ恨みたるやそりゃーこの前のアジアカップの騒ぎなんてもんじゃーないぜ。
「ナチどもを殺せ」とかベッケンバウアーにナチスの親衛隊のかっこさせた風刺画とかさ、まあサッカーでは完璧に当時は2流国のフランスのリーグチャンピオンが74年のワールドカップを制した西ドイツ代表の主力で構成されたバイエルンと戦うわけだから盛り上げるためにはマスコミはこのくらいは煽るよな。
まあこの2チームは前年の75年に準決勝でも戦って0-2でバイエルンなんだけど、先制がベッケンバウアーで、もうひとりのDFにも決められての敗北だったな。フランス人にしてみればこの年の決勝の舞台がパリだっただけにかなり悔しかったらしい!決勝の相手はリーズで試合終了後にリーズサポーターがスタジアムの周辺でかなり暴れた映像もテレビでやってたな。とにかくフランス人にとっては何がなんでもドイツ野郎に勝って、優勝カップをもってシャンゼリゼを行進して欲しかったんだな。
56年と59年にレアルにランスが連敗して以来のフランスのクラブの決勝進出だったけど、グラスゴーでの戦いは前半はスコアレスで、後半にバイエルンのフリーキックが決まってこれが決勝点だった。翌日準優勝の選手たちはシャンゼリゼを行進したらしいけど、オレたち外国人は誰も見にいかなかったなーそういえば。
とはいえ、フランスに暮らし学ぶオレは当然フランスのクラブを応援したよ。翌76-77シーズンにもヴェール(緑=サンテティエンヌ)は準々決勝でワーォついにレッズと激突したんだ!
ベスト8には4連覇を狙うバイエルンと西ドイツリーグチャンピオンのボルシアがいた。ヴェールはなんとホームでのファーストレグを1-0で勝ちアンフィールドに乗り込んだ。当時のリバプールのエースはケビン・キーガン!そのスピードとテクニックはイングランドNo.1であり、いかに彼を封じるかがポイントだった。が、キックオフ直後にキーガンに先制され一度は同点に追いついたものの追加点を奪われ最後は1-3で敗退。フランスのクラブチームはその後は低迷して、ナント、モナコ、ストラスブール、ボルドー、パリサンジェルマンが挑戦するも早期敗退が続き、フランスのクラブがタイトルを獲得するのは93年まで待たされることになる。
キーガンの敵ながら素晴らしいテクニックとゴールセンスを見せつけられたオレはすっかりリバプールのファンになってしまった。だいたいオレは英国がどーも嫌いで英語に対する反発もありフランス語を始めた?くらいだから、いやーまさかキーガン、よもやリバプールの応援に回るとは思ってもいなかったさ!
この年の決勝はレッズ対ボルシアメンヘングランドバッハ。ドイツチームはバイエルンを破ったキエフを沈めて西ドイツ勢4連覇に向かっており下馬評は互角だった。ローマでの決勝はリバプールが先制して前半終了。後半に同点とされるもリバプールが2点目、キーガンが倒されたPKも決まり3対1で勝った!リバプールか・・・一度はいきてえな・・・そう思ったおれは9月になってアンフィールドへの遠征を決めたんだ。
75-76シーズンの決勝は3連覇を目指すバイエルン・ミュンヘンとフランスリーグ3年連続優勝のサンテティエンヌで、これがオレにとっての初めてのチャンピオンズの決勝だった。あれは5月の半ば(12日だ)暑かったー!
その年のパリは猛暑で100年ぶりの暑さとか言ってたな。オレは4月18日にパリに着いてようやく慣れて来たころで、毎日フランス語の外国人向け語学学校に通っていたのだけど、まあ話題は毎日サッカー、フットボール、カルチョ、フスバルだったな。
第二次大戦が終わってまだ30年だから年寄りは実際にドイツ人とその辺で撃ち合った経験があるし、子供も爆撃を受けて逃げまくった記憶があるもんだから、その憎しみ恨みたるやそりゃーこの前のアジアカップの騒ぎなんてもんじゃーないぜ。
「ナチどもを殺せ」とかベッケンバウアーにナチスの親衛隊のかっこさせた風刺画とかさ、まあサッカーでは完璧に当時は2流国のフランスのリーグチャンピオンが74年のワールドカップを制した西ドイツ代表の主力で構成されたバイエルンと戦うわけだから盛り上げるためにはマスコミはこのくらいは煽るよな。
まあこの2チームは前年の75年に準決勝でも戦って0-2でバイエルンなんだけど、先制がベッケンバウアーで、もうひとりのDFにも決められての敗北だったな。フランス人にしてみればこの年の決勝の舞台がパリだっただけにかなり悔しかったらしい!決勝の相手はリーズで試合終了後にリーズサポーターがスタジアムの周辺でかなり暴れた映像もテレビでやってたな。とにかくフランス人にとっては何がなんでもドイツ野郎に勝って、優勝カップをもってシャンゼリゼを行進して欲しかったんだな。
56年と59年にレアルにランスが連敗して以来のフランスのクラブの決勝進出だったけど、グラスゴーでの戦いは前半はスコアレスで、後半にバイエルンのフリーキックが決まってこれが決勝点だった。翌日準優勝の選手たちはシャンゼリゼを行進したらしいけど、オレたち外国人は誰も見にいかなかったなーそういえば。
とはいえ、フランスに暮らし学ぶオレは当然フランスのクラブを応援したよ。翌76-77シーズンにもヴェール(緑=サンテティエンヌ)は準々決勝でワーォついにレッズと激突したんだ!
ベスト8には4連覇を狙うバイエルンと西ドイツリーグチャンピオンのボルシアがいた。ヴェールはなんとホームでのファーストレグを1-0で勝ちアンフィールドに乗り込んだ。当時のリバプールのエースはケビン・キーガン!そのスピードとテクニックはイングランドNo.1であり、いかに彼を封じるかがポイントだった。が、キックオフ直後にキーガンに先制され一度は同点に追いついたものの追加点を奪われ最後は1-3で敗退。フランスのクラブチームはその後は低迷して、ナント、モナコ、ストラスブール、ボルドー、パリサンジェルマンが挑戦するも早期敗退が続き、フランスのクラブがタイトルを獲得するのは93年まで待たされることになる。
キーガンの敵ながら素晴らしいテクニックとゴールセンスを見せつけられたオレはすっかりリバプールのファンになってしまった。だいたいオレは英国がどーも嫌いで英語に対する反発もありフランス語を始めた?くらいだから、いやーまさかキーガン、よもやリバプールの応援に回るとは思ってもいなかったさ!
この年の決勝はレッズ対ボルシアメンヘングランドバッハ。ドイツチームはバイエルンを破ったキエフを沈めて西ドイツ勢4連覇に向かっており下馬評は互角だった。ローマでの決勝はリバプールが先制して前半終了。後半に同点とされるもリバプールが2点目、キーガンが倒されたPKも決まり3対1で勝った!リバプールか・・・一度はいきてえな・・・そう思ったおれは9月になってアンフィールドへの遠征を決めたんだ。
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