ハルとサトの日々

このブログはハルとサトが、この世で元気で楽しく暮らしていた時のお話

来年も・・・

2006-12-31 | 旧時々記

今年もあと数十分
慌しく過ぎていった12月が終わり
ホッとするこの時間
今年一年を振り返ってみたけれど
頭が空っぽになってしまって
何も思い浮かばない
何事もなく過ぎた一年だったから

何事も無く過ぎるのは
幸せな事だと、つくづく思う

来年も良い一年になりますように・・・


 


上海

2006-12-16 | 旧時々記

蘇州から上海へ着いたのは陽が西に傾きかけた頃でした。ビルの谷間に見える夕陽が、旅の終わりが近づいた気持ちと重なりました。
薄暗くなりかけた豫園を足早に見学した後、上海蟹の夕食です。上海蟹を初めて食べてみれば、懐かしいお味でした。
伯父が川蟹を捕る名人だったので、子供の頃、遊びに行けば、近くの川で山ほどの川蟹を捕ってきて、茹でて食べさせてくれました。
上海蟹はその川蟹と同じお味でした。

ゆっくりと済ませた夕食の後は、中国雑技団の演技を見に行きました。神業の連発でした。
旅の疲れが出たのか、薄暗い中で眠くなりかけていたところ、いっぺんに目が覚めるほどヒヤヒヤする演技もありました。
もしかして五輪の体操の選手よりハイレベルなのではと思いました。「中国の体操が強い理由がわかったでしょう?」
本当にそのとおりです。でも日本の選手も負けないで~!!


そして最後の観光は外灘の夜景です。


中国語ではWai Tanですが、「バンド」と英語名で呼ばれるのが普通のなのでしょうか。
黄浦江の対岸は租界時代の建物がライトアップされて、今の私の感覚で言えば、テーマパークの中にいるようでした。
旅行の初日、バスで移動している時、黄浦江沿いのもっと上流の所だったような気がしますが、
2010年の万博会場であり工事が始まっています・・・と、聞いたように思います。

上海で最も高い建物であるマンションは、中国一の高さだそうです
価格も当然高く、日本円にすれば1億3000万円くらい(だったかな?)です。
裕福な人が増えた上海でも、中国の物価を考えれば、かなり高価です。当然買う人はいません。
人が住んでいないはずのそのマンションは、夜になれば灯りがともっているそうです。何故灯りが灯っているのか・・・?
上海の人達の間でも不満の声があるそうです。にもかかわらず、現在、そのマンションの横には、
完成すれば世界一の高さになるというマンションを建設中でした。
又、北京五輪や上海万博のためなのか、ハイウェイの工事も順調に進んでいます。日本であれば、個人所有の土地を買収しなければなりません。
交渉が難航すれば完成までかなりの時間がかかるのが当たり前になっています。でも中国は保障の問題は後にして、すぐに立ち退いてもらうので(強制的?)
完成は早いと中国の人は誇らしげに話していました。民主主義しか知らない私には違和感を感じる解釈です。

表面的には日本の昭和三十年代から現在の姿を、同時に見ているような中国です。
まだ変わりつつあるのかもしれませんが、急激な変化にひずみが出来ているように私は感じました。
そこは思想の違いで、中国にとってはひずみではないのでしょうか?

中国の一般的な人が重く感じる経済的負担は、家を買うこと、子供の教育費、医療費の三つだそうです。
医療保険はあるのですが、風邪を引いてお医者さんにかかれば、5千円くらいかかるそうです。
豊かな暮らしをするために、中国の人はみんな頑張って働いているそうです。
中国人のガイドさんも日本語や文化や歴史をよく勉強していて、本当に一生懸命で中国を案内していただきました。
そして商魂たくましい面もありました。それらはすべて一生懸命働いているからだと感じました。

この旅行の間、素朴な疑問がありました。私はどこを旅行していても、犬や猫を見かけると大抵写真を撮ります。
ところが見かけたのは犬が2匹と猫が1匹だけでした。朝、中国の人が犬を散歩させている姿を一度も見ていません。
ガイドの張さんに、犬や猫を飼わないのか聞いてみました。「そんなことはありません。私も日本犬を飼っていますよ。可愛いですね~」
張さん家のワンちゃんの特徴を聞いてみれば、たぶん紀州犬ではないかと思いました。
はっきりと覚えていないのですが確か、最近の中国の裕福な人は犬を飼う人が増えて、ステータスシンボルの一つでもあると読んだことがありました。
「狂犬病の事があって、今は政府がうるさいのです」うるさくなる前はどういう状態だったのか・・・そこまで突っ込んで聞くことができませんでした。
中国では犬を食べる食習慣があったのは有名ですが、今はどうなのでしょう?その事も聞けませんでした。

こんな調子で、中国人のガイドさん二人に、どんどん話しかけた私、もしかすると私を苦手だったかもしれません。
えびすさんのような笑顔のお年寄り達と、気楽な冗談を言い合っている方がよほど楽しそうでした。
なので中国の方が嫌がりそうな質問ができませんでした(爆)


(中国の電話ボックスです)

旅行の4日目、朝6時半にはホテルを出発して空港へ向かいました。三泊四日の旅は終わり、いよいよ帰国です。
総勢23名の団体ツアーに一人で参加して、初めは知らない方ばかりでした。いきなり添乗員に間違えられて慌てたりしました(笑)
知り合いが全くいなくても、 傍にいるどなたでも、見た感想などの言葉をかわしました。
お食事の時は空いている席を見つけて、色々な方のお隣に座らせていただき、同じテーブルになった方達とお話をしながらいただきました。
そうしていくうちに親しみが湧いてきて、寂しさは全くありませんでした。
友達と参加するのも楽しいけれど、一人で参加すれば、たくさんの方達とお話をするようになり、それなりの楽しみがあります。

年配の方が多く、皆さんニコニコ笑顔で旅を楽しまれ、とてもお元気そうです。
ところが旅も終わり近くになってよくお話を聞けば、海外旅行も難しいのではと思うような病気で、病院通いをされている方が結構いらっしゃるのです。
皆さんに共通していることは、前向きに人生を楽しんでおられることでした。
難しいことなんて考えず、人生の苦しみも喜びも包み込んでしまうような笑顔は、本当にすごいです。


たったの四日間だったけれど、今回の旅行で見た事感じた事を、これからも記憶にとどめて、少しずつ理解していければ、
私のこれからの人生も、少しは奥行きができるかもしれません。


旅行三日目

2006-12-15 | 旧時々記

三日目はやっと晴天になりました。空気がヒンヤリとして澄み切っています。
写真は蘇州のホテル前の交差点です杭州と同じく通勤の車と自転車がビュンビュンです
昨日のブログで書き忘れたのは、蘇州の名物料理「松鼠魚」です。
どういうお料理なのかわからなくて、、今日のお料理は「鼠」よね・・・と、皆で鼠、鼠、と話していると、
中国のガイドさんが呆れたように説明してくれました。松鼠とは中国ではリスのことでした。日本は栗鼠ですね。
お魚を揚げた姿がリスに似ているお料理なのだそうです。
出てきたそのお料理は、肝心のリスが寝転んでいたのでわかりにくかったです。

蘇州には世界遺産の立派な庭園がいくつかあります。その中でも代表的な留園を見学しました。
石や池など素晴らしい風景が造られているのですが、私はその景色を見るための窓に魅せられました。
色々な形だったり、色々な模様の透かし窓だったりします。


寒山寺は遣唐使で空海と最澄が訪れた、日本にも縁が深いお寺です。
中央に三蔵法師、右側に鑑真和上、左側に旅の姿の空海の像がありました。
ガイドの張さんは、今年の大晦日に、このお寺の除夜の鐘を聴くツアーがあるそうです。
「雨が降らなければいいなぁ」晴れて良いツアーになりますように・・・。

境内の木には、赤いテープがいっぱい結ばれていました。

おみくじのようなものかと思ったけれど、「祈願」の文字があったので、絵馬のような物でしょうか。

蘇州は刺繍がさかんです。女性は刺繍が上手にできないと、結婚も厳しかったそうです。
美貌よりも刺繍が上手である方が歓迎されたようです。

刺繍研究所では細かい刺繍の技術を見せてもらいました。あの細かさ丁寧さは、私から見れば神業です。
刺繍製品の売り場をを見ていて、ある一角で足が止まりました。色彩が中国の感じではないのです。
日本の着物の帯のように見えました。係員の方がすぐに近づいてきて「着物は着られますか?」
「いえ、箪笥のこやしになっています」「じゃ、帯は必要ないですね。」
「箪笥のこやし」の意味を知っていたのにはビックリしました。本当に日本語をよく勉強されています。
綺麗な刺繍が全体に施された帯は、仕立てと送料込みでも、日本で買うお値段の半額か三分の一に思えました。
帯の生地や刺繍の色彩があまりにも日本人好みだったので、その点を聞けば、
デザインや色などはすべて京都から指定してくるそうです。中国の人はこの渋い色彩を選べないとのことでした。
「日本人以外で、この帯を買う国の人はいますか?」
「帯を買うのは日本人だけです。ただ中近東の方がテーブルアクセサリーや民族衣装の一部にするために買われたことがありました」

蘇州の街路樹には幹の下部を白く塗っているのが目立ちました。石灰水だそうです。

防虫のためと標識も兼ねているそうです。と言っても、標識の役目は、以前の節約の時代の頃の事で、
街灯の灯りがなかった頃、道路が真っ暗だったので、白く塗った街路樹がわずかに白く反射して、ガードレールのような役目をしたのです。

シルクの研究所も見学しました。
真綿が出来るまでの様子を説明してもらった後は、係員の方から真綿布団の売り込みです。
日本で売られている製品とくれべれば、とてもお安いお値段でした。
質が良くお安いとくれば、つい買いたくなります。
でも必要の無いものまで買ってしまわないようにしなければいけません。
中国の人が品質の良さを熱心に説明して、品物をどんどん進めるのは当然のことです。
真綿布団に限らず、お茶、印鑑、工芸品など、良い物がかなりお安い値段なので、日本人は購買意欲をそそられますね。

蘇州から1時間半ほどバスに揺られて、上海に到着しました。上海は明日にします。

 


 


旅行二日目

2006-12-14 | 旧時々記

前日の雨は上がったけれど、杭州はまだ曇り空で、とても寒い朝でした。
ホテルのバイキングの朝食はおかゆ、肉まん、小さくスライスしたパンや小さめの蒸しパン、
野菜炒め、ウィンナー等々色々な種類のお料理を、少しずつ美味しくいただきました。
蒸したサトイモのようなお芋の山盛りが、湯気がたって美味しそう~♪
食べようとすると、同じテーブルの人から、「それは何?」
「たぶんサトイモではないでしょうか?わからないから食べてみます」
「勇気があるのねぇ~(笑) 」ホカホカとして、とっても美味しかったです。
同じテーブルの方も、すぐに取りに行かれました(笑)

杭州の街は公園の中にいるような素敵な通りが多いです。街全体がとても綺麗でした。
中国の若い人達は、恋人同士で訪れるのが夢なのだそうです。
バスの窓から眺めることがほとんどだったけれど、のんびり歩くのもいいだろうなぁ。

中国人のガイドさんによれば、SARSの騒動の頃、街のイメージを良くするために
6ヶ月間くらいかけて街を綺麗にしたのだそうです。

急激な経済発展の影には、自慢の西湖が富栄養化でかなり汚染されました。
無リンの洗剤を使うことで、少しはお水が綺麗になったらしいけれど
元の美しさには戻っていません。琵琶湖を思い出します。
又、西湖には幾艘もの遊覧船が浮かんでいます。湖を汚染しないよう、どの船にもトイレがありません。
でも一艘だけトイレ付きの船がありました。
この写真の金ピカの竜の船です。


江沢民主席に、西湖を遊覧していただくために造られたものだそうです。
ところが江沢民さんは、自分だけが特別な船に乗ることを拒否したため、
この特別な遊覧船は、他の政府の要人が、たまに使うことがある程度なのだそうです。

ガイドさんのお話に笑ってしまったのは、カモメが一羽もいなくなった話です。
理由は獲って食べてしまうから。同じく野鳥の姿も見られなくなり、小鳥の囀る声も聞かれなくなってしまいました。
そこでやっと自然の景観は木や岩だけでなく、鳥もいてこそ一つの景色なのだと考え、以来、獲らなくなったそうです。
(たぶん政府の指導だったと思います)

西冷印社の庭園内の大木には何匹ものリスを見かけました。以前はリスも食べつくされていなくなったので
政府が他所から連れてきて放したのだと、ガイドさんが笑いながらのお話でした。
見学場所から次の場所まで、歩いて移動をしている時、山茶花の花が咲いていました。
「張さん、中国ではなんて言うの?」「茶梅(ツァーベイ)と言います」
歩きながら中国語と日本語について少しお話しました。「果物の林檎は中国ではピンゴーと言います。
明の時代までは林檎と言っていたのですが、ピンゴーに変化しました。ゴは果と書きます」
(ピンの字は忘れてしまったぁ・・・)

林檎は中国から伝わった果物です。調べてみれば、和林檎と言われ、直径3、4センチだったそうです。
今、日本で一般的なのは西洋林檎です。この旅行中のお食事でよく食べた林檎は
日本でお馴染みの林檎と比べれば、とても小さいでした。和林檎だったのかな?

夜は蘇州のホテルに宿泊しました。ここも四ツ星ホテルです。お部屋もとても豪華です。
私の部屋の前を歩いていた、一緒にツアーをしている人達を呼び込んで、一人部屋をご披露しました(笑)
さて、問題のお湯はきちんと出るかな?シャワーの量は普通でした。
そしてカランに切り替えるボタンを引っ張れば・・・抜けてしまった!!
これではシャワーしか使えません。仕方がないので、天井のシャワーからバスへお湯を溜めることにしました。
(ハル並みに学習するのだ)でもいざお湯につかれば、ぬるすぎて体が温まりません。
これでは風邪を引いてしまいそうです。もう一度切り替えのボタンと格闘してみました。
抜けてしまったボタンを、力いっぱい叩くように押してみると、カチッといい手ごたえがありました。
引いてみればカランに切り替わって、蛇口から熱いお湯がでたのです~♪

中国の人にとって、お湯さえ出れば故障したことにならないのかもしれません。
おかげで私も、少しは知恵を使うようになりました。

 

 

 

 

 

 


 


松山から上海へ

2006-12-13 | 旧時々記

旅行の一日目は移動だった。午後、どんより曇り空の松山空港を飛び立った飛行機は、分厚い雲の天井を突き抜けて、
空は真っ青、暑いほどの日差しが窓から差し込んでいた。
1時間半のフライト後、今度は雲の絨毯にもぐりこみ、いよいよ到着~♪
上海の空も、今にも降り出しそうな曇り空。
日本からの二人の添乗員さん、現地の旅行会社からは、中国人のガイドさん二人。
いよいよ中国の観光が始まる。
空港から貸し切りバスで、杭州へと向かうハイウェイを走りながら、上海の街を眺めれば、
高層マンションや同じ形の高級住宅が建ち並ぶ。
建設中のものもいっぱいあった。豊かなんだなぁ・・・と思いながら見ていると、
壊れかけた家や屋根瓦がはがれたままの家にも、住んでいる様子。
走っている車は、フォルクスワーゲン、アウディ、日本車など、外国製の車が目立つ。
ほとんどの車がホコリを被っていて、ピカピカの車は一台も走っていない。
けたたましいほどクラクションを鳴らしながら走っている。
いつの間にか雨が降っていた。

サービスエリアでトイレ休憩

中国的厠所を体験

この後、どこの公衆トイレでも、水洗ではあるけれど、照明が無いらしく夜は真っ暗。
トイレの個室内には、大き目のくず入れが置かれていた。
トイレットペーパーは無いので、誰もがペーパーを持参している。
お水の流れが悪く使用したペーパーは、そこへ入れていると理解。
杭州に着いた頃は、すっかり日が暮れていた。まずレストランに案内してもらって夕食。

トップの写真は、杭州名物の豚肉の角煮。地ビールと紹興酒がとても美味しい。

お料理が次々と出てきて、食べきれないほど。

私は薄味の野菜料理がとても気に入って、モリモリ食べた。

ホテルにチェックイン後、オプションで足ツボマッサージへ行ってみた。
足だけをお願いしていたのだけど、手や腕、肩や背中なども、丁寧にマッサージ。
体が軽くなり、足裏までポカポカになった。1時間で200元。

今までにマッサージを経験した方は、痛かったとおっしゃってたけれど、
前もって痛いのはヤダとお願いしていたので、柔らかなマッサージだった。

ホテルに帰った頃は11時を過ぎていた。
四星ホテルで一人部屋も豪華。ところが、いざ使おうとすればトラブルが・・・。
私がパスワードの登録をミスして、セーフティボックスが開かない。
日本語で書かれた対処法は、fu~fu~と声を発してみるとあるけれど、まさかぁ~!!
フロントに連絡して開けてもらった。
バスルームを使おうとすれば、シャワーからのお湯が充分出てこない。
カランへの切り替えが壊れている。お湯を溜めることもできず、
チョロチョロのシャワーを浴びて入浴はおしまい。寒かったぁ。