寅の日記

Twitter @torajiroh9000

今日、猫がなくなりました。

2013-02-23 23:00:00 | 
99年9月8日に田舎の倉庫の軒下で生まれた子供を1匹引き取ることにした。
最初の子を捕まえたら猛烈に暴れてかなり深い傷を負っていまいあきらめた。
しばらくして、この子なら大人しいと段ボール箱に入れて兄が持ってきたのがこの子。


野良は言うなれば野生。野生・・・ふと思い着いたのが映画の「野生のエルザ」兄が付けていた名前があったと思ったが忘れてしまった。

田舎から車で4時間、途中のサービスエリアで止まり猫の様子を見たが箱の中で固まっていた。これなら大丈夫かと思い助手席に座らせて残りの半分は都心の夜景を見ていたのか分からないが、相変わらず助手席に固まっていた。

家に着いて、田舎で買ってきたトイレやキャットフードを出して準備をしていた。そうこうしている内に姿が消えた。探したら、開いていた押し入の点検口から屋根裏に上がってしまっていた。

いくら名前を呼んでも来るわけがない。本人にして見ればエルザと呼ばれるのは初めて。買ってきたおもちゃで釣って近づいたところで手を出すと逃げてしまう。天井裏に上がって見たが天井の梁だけの部分が多く自由には歩けない。追うと先端の狭いところへ逃げてしまう。屋根からは一寸釘が何もせずに突き出していて頭を切りかねない。

当日はあきらめ点検口の下にキャットフードを置いて下りてこないかと願って寝た。
翌日はまだ夏の日ざしで30度を超えることは容易に想像できた。(最高気温32度)
このままでは熱中症になると思いまた点検口から天井へ頭を入れて見ただけで汗が噴き出す熱さ。名前を呼んだりキャットフードを見せたりしても近づくけれど捕まらない。

お昼近くになると外気も暑く、これ以上は駄目と屋根の先端で捕まえる方法がないか考えた。朝呼ぶと先端の方からあらわれたので通気口の近くが涼しいとわかりそこにいるようだった。

ベランダから短い軒を見ると梯子を2つ折りにして脚立にしてやっと通気口に手が届くことが分かった。また、通気口のふたは木ねじ数本で止められいるにも分かった。電動工具を持ち出し木ねじを取ると簡単に取る事ができた。次に水を飲みたがっているだろうと考えて浅いお皿に水をいれ通気口の中に置いて出てきて水を飲むのを待った。今気が付いたのだが、その時のお皿がこの家で飲んだ最初の水。今日最後に牛乳を飲んだお皿と同じだったと思う。小さな醤油皿で5枚ほどあるので全く同じかはわからない。

さほど経たない内に現れたところで前足を摑み引きずり出した。その瞬間下を見たら、ベランダから身を乗り出す格好になっていて落すと3メートル弱の高さがあるのに気づき、肝を冷やした。どうにか屋根裏から引きずり出して、一人と一匹の生活を始めることができた。

田舎で買ってきたものは、取りあえずのものだったのでスパーへ行き、キャットフードの買い足し、首輪、つめ研ぎなど必要と思えるものを買いそろえた。その頃の写真を見るとキッチンに、どんぶりに水、カレー用の皿に煮干、ドライ、缶詰を盛りつけて好きなものを何時でも食べられるようにしておいたのがわかる。

平日はサラリーマンだったので、朝7時過ぎに家を出ると、帰りは早くても夜7時、遅いと午前様もあった。そのため大盛りの猫茶わんが出来上がった。連れてきたばかりは外に出すと迷子になると考え、家の中で何でもできることを覚えるまでは締め切って出さなかった。

休みの日、9月と言えども暑いので網戸にしていたらすんなり開けて外に行ってしまった。ほどなく帰ってきたところを見ると家の周りをひと回りした程度で帰ってきたようだった。これなら大丈夫だろうと出す事にした。

問題は平日をどうしようか?窓を開けて置くと泥棒に入られる。いろいろ考えた挙げ句に出窓の横が目に入った。出窓の下にはエアコンの大きな室外機がありちょうどステップ替わりに使える。ドライバーなどで窓枠ごと外されても子供は入れても大人は入れないサイズなので猫の出入口として開けておく事にした。

休みの日に行動を見ているとそう長い間外には出ていない。困ったことは、良くスズメなどの野鳥を捕まえてくること。翌年の春には子供を産んだがその身重の体で低いうなり声を上げながらスズメを咥えて飛び込んできた。

見ると時々スズメが羽ばたく。なだめながら抱きあげ、後頭部に手をあてて両方の奥歯のあたりに親指と人差指で徐々に力を入れ口を開かせたたら、スズメが羽ばたき猫の口から飛び出した。見るとやっと巣立ちをするかしないか程度の小すずめだった。次の瞬間、開いていた戸から一直に飛び去った。後を少し追ったが後は飛んでいった空をしばらく見つめるだけ。

気が付けば親スズメなのか外は大騒ぎになっていた。それ以降は、首をシッカリ嚙みついて羽ばたけないようにして連れ帰るようになり、何羽、捕まえてきたことだろうか?大きなものはドバト大のものまで捕まえてきた。食べる訳ではないので片付けはいつも私の当番。

子供は5匹産んだ。(写真左から3・2・1・5・4番目)

最初の子が一番大きく150gだったと記憶している。出産が近いのが分かっていたことや田舎に帰る用事があったので、その日は早く帰る事ができた。
7時過ぎには家に着いて名前を呼ぶと、苦しそうにしている。時折トイレに行くのだがしばらくすると用意した箱の中に戻ってくる。そんな事を何度か繰り返していたら床が濡れている事に気が付いた。

尿なのか良く見ると微かに血が混じっているように見えた。破水なのか?かかりつけの病院へ電話をして見ると、今夜はお酒をのんだので診察出来ないと冷たい返事。9時過ぎにやっと一番目の子が生まれたもののしばらく放心状態だったのか何もしない。洗面にぬるま湯を張り、子供を洗うとやっとうぶ声を上げた。

その声を聞きつけ横たわっていたはずなのに足下へ来て帰せとばかりに足にしがみつく。ぬれたままではまずいとお思い、タオルで水分を吸い取って箱の中へ戻すと飛び込んできてまんべんなく舐めまわしてきれいにした。

2番目は40分後、3番目も同じくらいのインターバルで産んだ。まだいるのかお腹を触って見たらまだいる。4番目は暫く時間が掛かり12時前に生れた。4匹を舐め廻していたのでもう終わりと思ったが様子がおかしい。寝ないで付いていると2時前に初めて女の子。しかもそれまでは白と黒のツートンカラーだったのが、キジトラ柄の子が生まれた。


3番目の子が一番小さくて80gしかなかった。この子が無事育つか心配だったが、その心配は10日目に現実のものとなる。ほかの子は目があき乳首は見えたのだろう、この子
だけは目があかない。4匹は定位置の良く出る乳首を占領してしまい、この子だけが端の小さな乳首にやっと吸い付くのだがほとんど出ないようだった。その上、ほかの4匹が満足して乳首を離すともう終わりとばかり立ち上がりどこかへ行ってしまう。

目を見るとひどい目やにが付いいて開いてはいるが開けらないことが分かった。行きつけの病院は出産の時のこともあったし、もっと近い町内に病院がある事を知ったので、そこへ連れて行く事にした。今のかかりつけの病院はこの子を診察して貰ったのが切っ掛けになった。

ほかの子は活発に動くようになっていて、箱の中に一匹取り残されることもしばしば。お乳が貰えないならとミルクを与えてと言われ、粉ミルクとほ乳瓶を買い飲ませたが飲まない。2種類あって好みが分れると聞き、別ものにを買ったらようやく飲むようになった。体温維持が出来ないので温めるようのも言われた。その日の夜は抱いて寝てたのが大失敗。3時頃まで面倒を見ていたがさすがに眠くなり抱いて寝たら圧死させてしまった。

5時過ぎに目を覚ました時には、既に死後硬直で固まっていたので寝てももなくの事のようだった。庭先に穴を掘って横たわらせエルザに最期を見せようと連れて行くと、自分から穴に飛び込み、舐めまわしたものの死を悟ったのか穴から出て家に入ってしまった。

3週間も過ぎると、箱の中に敷いたタオルが1日で湿っている。エルザが舐めて処理をしていたが間に合わなくなってきたようだった。急きょ庭に入れるために買った砂でトイレを作り、一度入れて箱に戻しただけで、直ぐにそこで用を足すようになりタオルはぬれなくなった。エルザも家に連れてきた時に猫砂を入れたトイレに一度入れただけで覚えたので血筋なのだろうか?

傑作だったのは3ヶ月が過ぎた時、水回りの工事を頼んだ人が来た時、まだ、一階の箱で子猫たちは寝ていたい。エルザが二階と往復している気配に気が付き箱をのぞくと2匹しか寝ていない。変だと思って二階に上がると連れて来た二匹を抱え毛繕いしてあげていた。どうして2匹で止めたのか?今でも不思議でならない。

こう思い出を振り返って見ると、子供が生れた翌年までは、いろいろと思い出すものの、ここ十年は日常に埋没してしまったのか?写真も少なく多くを思い出せない。

ただ、一度家族みんながカルシウィルスにやられた時があった。その時に覚えたのか体調が悪いと手でトントンとたたくこと。苦しくてたまらず手で叩いたら病院へ連れていってくれ楽になったのを覚えたのだろう。

このころはお腹が空くと噛みつくことがサインだったんので直ぐに理解できた。10年と言えば早期退職で長年働いた会社を辞め家にいる事が多かった。ご飯の催促をする必要もなくなり噛みつく事を忘れたのだろう。

今回も私が部屋に居ると時は隣で寝て手をだしてトントンしていた。思えばご飯の催促もあったろうが、苦しくてたまらなかったのを伝えたかったのだろうと、今から思うと後悔がこみ上げてくる。

今年のお正月に今年は働かねばと思った。でも、猫たちが歳から寝込んだら可愛そうだとふと思った。今年でエルザ14歳、子供達が13歳。5年後で19と18歳そこまで働く必要はないだろうと思いを吹消した。それから2ヶ月も経たない内に現実のものになり、エルザは旅立ってしまった。

人の勝手な都合まで病気は聞いてはくれない。自分が倒れエルザが倒れこの2ヶ月で数十万が消えた。この先のことを考えると自分の身勝手な都合で隠居は出来そうもない。母の口癖「働かざる者喰うべからず」を思いましてしまった。残された4匹の子供達の治療費がないと言う理由で病院へも連れて行けない様ではエルザに申訳が立たない。

動ける間は何か職を見つけ不自由のない暮しをさせて上げるのが残った者の使命と心に決め、エルザの埋葬が終ったら色々やらずにいたことを片付け、職探しに全力をいれよう。
それにしても「13」は不吉以外のなにものでもないことがわかって来た。
初めて合った時からの日数を計算したら 4,916日 13年5ヶ月と15日間。3月?で14年?、エルザの年齢は13歳。あと数週間で14歳だったのかも知れない。



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