白雉が落ちてはいないから

小野不由美先生著、十二国記の「白銀の墟 玄の月」(新潮社)のなぞを考察、ネタバレ含まれるため、未読の方はご遠慮のほどを。

【ネタバレ】(2)耶利の主公とは誰なのか

2020-03-28 18:26:09 | くらし・趣味
先の記事にて耶利の主公について描かれている場面から人物像を読み解き、琅燦が耶利の主公であると考察いたしました。
しかし、物語終局、漕溝への後退の場面、泰麒の問いかけに対する耶利の反応が最大の答えではないでしょうか。

鴻基から後退する場面で、泰麒が耶利の主公が琅燦ではないかと推度している様子が描かれています。
“「耶利を遣わしてくれたのは、琅燦だったのではないのですか」”
[4巻 24章 p403]

泰麒が耶利を遣わしてくれたのは琅燦ではないかと耶利に問い、その際、耶利は返答をしていません。
これは耶利には答えることができなかったからだと考えます。
否であれば否と答えることができたと思います。返答ができなかったのは、是であったからだと考えます。
耶利は主公が琅燦であることを明かせなかった、そして、泰麒への忠義から嘘をつけなかったのではないでしょうか。

なぜ耶利は琅燦が主公であることを打ち明けることができなかったのか、それは巌趙との会話から琅燦の複雑な立場を伺い知ることができます。
巌趙が泰麒の許に推参した際、官吏の中には阿選に反意を抱きつつ潜んでいる者達がいることが話されています。

“「——ある人物にも強く勧められた。台輔には俺が必要だ、と」”
“「官吏の中には阿選に反意を抱きつつ、忍従している者も多いのだ。互いにそうと知られないよう、ひたすら気配を消してはいるが」”
[3巻 16章 p275]

阿選に与していながらも、泰麒の身を案じ耶利を送り込んだことが阿選側の知ることとなれば、阿選への反意が明るみになり、琅燦の立場が危うくなります。あるいは、驍宗麾下にとっても琅燦は裏切り者として捉えられるが故、琅燦の複雑な立場を衆目のあるところでは打ち明けることが出来なかったのではないでしょうか。
いずれにしても耶利の複雑な心境が伺えます。

また、泰麒に対して黙秘はしたものの、嘘をつくことができなかったのは泰麒への忠義からだと考えます。
正頼奪還(失敗)の際、主人を替えてもよいという心情が描かれており、その後、驍宗の弾劾の前日には、巌趙との会話の中で泰麒を主と仰ぐ耶利の心境が語られています。
“——主を替えてもいい、と耶利は思った。
目指す場所が同じならそれで問題はあるまい。”
[3巻 15章 p207]
“「台輔は御自身を不甲斐ない、と言っておられたが、私にとっては面白い良い主人だった。——」
[4巻 23章 p357]

耶利は泰麒のことを琅燦同等、あるいはそれ以上の主として仰いでいたと思われます。
よって、ともに自分にとって大事な二人の主公への忠義から、返答に窮した耶利の無言であったと考えます。

以上が耶利の主公が琅燦であると考える根拠です。

【ネタバレ】(1)耶利の主公とは誰なのか

2020-03-27 20:26:55 | くらし・趣味
耶利の主公が誰であるのか、本編では誰であるか明かされていません。
私は耶利の主公は琅燦であると考えています。
主公について描かれているところを読み解いていくことで、詳らかにすることができます。

耶利の主公と玄管について、同一人物か否か、という疑問を多くの方がお持ちかと思いますが、ここはまず耶利の主公は誰なのか、ということのみを読み解いていきたいと思います。

琅燦が阿選に与し、驍宗に対して裏切りを働いているのに、耶利の主公であることに違和感があると思われますが、これはまた別の機会に解き明かしてまいります。
まずは耶利の主公について描かれている箇所を抽出してみます。

①台輔が宮城に帰還し、阿選を新しい王に選んだことを訊いた耶利と巌趙の会話です。
”「お前の主はなんと言っている」
「あり得ない、と仰っている」”
”「嵐が来た……」「——主公はそう言っておられた。嵐が来た、時代が動く、良くも悪くも、と」”
“「……お前の主の言うことは、さっぱりわからん」
「我々ごときに理解の及ぶような主公ではない」”
[1巻 5章 p300,301]

②耶利の主公が耶利に台輔の守護を命じる場面です。
阿選を王と名指ししたのは欺瞞であり、見捨てられた民を救いたいという望みはおそらく自分と同じであると云っています。
“——窓辺から雲海を見降ろす人影が誰にともなくつぶやいた。”
“「お前に頼みがある」「耶利、台輔のそばに行ってほしい」”
“「主公の命とあれば喜んで参りますが——巌趙のほうが適任では?」”
“「さすがに巌趙の身柄までは、私では動かせない」
“「私と台輔の利害が衝突することはない。私は戴を救いたい。国を救い、民を救い、その頂点にある玉座に驍宗様にいていただきたい。——願うことは同じだ」
“「台輔は阿選を王だと名指ししたのでは?」
「あり得ない。驍宗様が崩じる以前に次王が選ばれることはないし、もしも不幸にして驍宗様が崩じられたとしても、阿選が選ばれることはない」”
[2巻 9章 p215~218]

③泰麒が内殿に再び侵入しようと画策し、項梁と耶利を率いて路亭で話した際、耶利が自身が主公に遣わされた訳を打ち明ける場面です。
”「——私を台輔のおそばに遣わした方は、驍宗様こそが王だと考えておられるし、台輔も同様に考えておられると思っている。だから台輔を守る必要があるのだと、そう考えて私をここへ遣わされたんだ」
「耶利は嘉磬の私兵だったのでは?」”
“「そういうことにしておいてください」”
[3巻 15章 p170]


これらの場面から、耶利の主公の人物像を以下のとおりまとめられます。

・巌趙に信頼を寄せている
・泰麒の宮城帰還によるその後の波乱を予見している
・並の人間では及ぶべくもない知見をもっている
・雲海の上に住む身分(将軍、三公等)
・耶利を私兵として台輔の護衛につけられるほどに宮城内に人脈がある
・阿選新王は欺瞞であると推度している
・阿選は王の器ではない兇賊と断じている
・民を救いたいと望んでいる
・驍宗に玉座についてもらいたいと願っている
・嘉磬ではない(耶利は嘉磬の私兵ではない)

泰麒の守護は巌趙が適任ではないかと進言した耶利の言葉を受け、さすがに巌趙の身柄までは動かせないと云い、本来はそうしたいとする思惑が見受けられ、巌趙と近しく、信頼を寄せていることが伺えます。
驍宗の右腕である巌趙と近しいこと、阿選を兇賊と断じていること、驍宗に玉座についてもらいたいと願っていること、これらから、耶利の主公は驍宗の麾下であるように思われます。
耶利自身も「阿選に仕える気など毛頭ない」と言っているところをみると、耶利の主公が阿選の麾下である可能性は無いように思われます。

阿選謀反後に宮城内に留まっている主な驍宗麾下は、正頼、巌趙、杉登、琅燦の4名です。
正頼は虜囚であり、また巌趙は耶利との会話の内容から耶利の主公とは考えられないので、残るは杉登、琅燦のどちらかとなります。耶利と主公の会話の中で杉登の元主人である巌趙のことを呼び捨てにしており、また雲海の上の住人ということを加味すると、巌趙の麾下である杉登が耶利の主公である可能性はないと思われます。
琅燦であれば幕僚としての経験や人脈から、耶利を私兵として泰麒の元へ送り込むことも可能であると思われます。

【ネタバレ】(2)泰麒の角はいつ治っていたのか 妖魔の存在に気づくようになったのはいつ?

2020-03-18 22:12:03 | くらし・趣味
※「白銀の墟 玄の月」のネタバレを含みますので、未読の方はどうぞ読了されてからご覧くださいませ

泰麒は突然の不調以降、その後過渡的に角が回復したのではないかと、先のブログで考察いたしました。
泰麒が周辺の妖魔の存在に気づいていたと思われる様子からも、角の回復の様を考察してみようと思います。

突然の不調の後、泰麒は黄袍館の後院の路亭へ日々出向いては留まっています。
これは阿選の放った次蟾(妖魔)の存在に気づけるようになった証左でないかと考えます。

泰麒は路亭に火壺を持ち込んでまで、徳裕を付き添いにして路亭に佇んでいる様子が描かれています。
[2巻 9章 p187]

項梁は路亭に留まる泰麒に、眺望が気に入ったのだろうかと思っている様子が描かれています。

”王宮でも雪が降ろうかというこの季節、いかにも寒々しい場所だと思うのだが、眺望が良いのが気に入ったのだろうか。路亭に登れば東に隣り合う庭園が足許に広がる。南北を見れば雲海に臨んだ美しい入り江、北を臨むと広大な王宮の最奥までの様子が見て取れた。”[2巻 9章p187]

寒い屋外で留まる泰麒の身体を気遣う項梁に対し、泰麒は黄袍館では息が詰まると返答しています。

"「下はなんだか息が詰まるんです」"[2巻 9章p189]

外出もままならず、間諜も出入りしている環境では、いくら寒い中とはいえ外に留まるのは無理もないことなのかもしれません。しかし、寒さ募る折(極寒の戴国において)長く屋外に留まるという、突然の不調以降のこの泰麒の行動は不可解です。

これは妖魔のいる黄袍館から徳裕を遠ざけ、病の進行を抑えようとする意図を感じます。

泰麒が次蟾と病の直接的な関係に気づいていたかは不確かなものの、項梁との会話の中で病に関する内容が語られており、麒麟がそばにいることで症状が和らぐことに気づいています。

"「徳裕もそうでした。そばにいると、少し状態が良くなる。そしてそばを離れて夜を過ごすと悪くなるのです。あの病は夜に悪化し、麒麟を嫌うのかもしれません」"
[3巻 13章 p20]

驍宗様の王気に少しでも近いところに居ようとしたのでは、とも考えられますが寒い中、徳裕も連れ立って長時間というのはやはり違和感があります。
それゆえ突然の不調の後のこの行動から、王気を感じる事以外に泰麒自身に何らかの変化があったと考えるべきはないでしょうか。

また泰麒は妖魔の存在に気づいた一方、その時点では未だ妖魔を使令に下せるほどには、角は治っていなかったのではないかと考えます。

琅燦は弾劾の場で泰麒の角が癒えていたことに驚き、どこかの時点で治っていたと推度しています。

"――周辺には次蟾が跋扈していたのにそれに気付いている様子もない。""――どこかの時点で、泰麒は治っていた。それを今日まで隠していた。"[4巻 24章 p388]

泰麒の角の回復は完全ではなかったと考えていますので、初めの頃は次蟾を使令に下すことはできなかったのかもしれません。
その後、泰麒の憂鬱が深まる様は、もしかしたら指令に下すことのできる力が回復した中、妖魔を排除できないジレンマに苛まれていたのではないか、というのは穿ち過ぎでしょうか。

指令に下せる力が回復したものの、妖魔を排除してしまうと角が治っていることを阿選に気づかれてしまう、そのことを恐れ排除できなかったのではないでしょうか。
麒麟の本性を失ったままだと確信している阿選の誤解を解かない方が、阿選の油断を誘うことができると思ったのかもしれません。

泰麒の憂鬱そうにふさぎ込むことが増えた、というくだりは、民の救済が一向に進まないことに対してだけでなく、妖魔を排除できないことに対しても悩んでいたのではないでしょうか。
もし次蟾と病の関係に気づいていたとしたら、目の前で病の症状が進む徳裕たちを見るにつけ、泰麒の迷いは大きかったのではないかと思うと、とても辛いです。