白雉が落ちてはいないから

小野不由美先生著、十二国記の「白銀の墟 玄の月」(新潮社)のなぞを考察、ネタバレ含まれるため、未読の方はご遠慮のほどを。

余談ながら

2020-12-06 14:29:00 | くらし・趣味

まもなく十二国記の書下ろし短編の配信ですね。

もっと先の事だと思っておりましたが、気づけばこんなにも差し迫っておりました。


私事ですが、このほど赤ちゃんを出産いたしました。

十二国記の世界では、女性は妊娠することもなく、産みの苦しみも無いということに、改めて思い馳せる機会となりました。

赤子と共にお産を乗り越える常世と違い、卵果が成る世界では、別のもっと宗教的な親子の関係なのかしらと感じました。


短編配信前に、ブログをひと段落つけようと思っていたのですが、日々世話に追われて、

残念ながら、ただでさえ遅筆なところ、まとめが間に合いそうにありません。


もともと慣れないブログを始めたのは、ネットに散見する琅燦への誹謗を目にして、そうではないのだという思いを伝えたいと考えたからでした。

間に合えば簡単なブログを書きたいと思います。


短編で琅燦の謎が明かされるのか、楽しみです。


【ネタバレ】(3)泰麒の角はいつ治っていたのか 角の回復過程

2020-04-29 23:25:29 | くらし・趣味
※「白銀の墟 玄の月」のネタバレを含みますので、未読の方はどうぞ読了されてからご覧くださいませ

泰麒の角の回復がなぜ段階的だったのか、というところも想像の範囲ですが考察していきたいと思います。

泰麒の突然の不調の際に麒麟の力の回復があった一方、その後も徐々に力を増していき、しかしながら角の回復が遅れるような事態により、完全な回復には時間を要したのではないかと考えています。

泰麒は蓬莱で過ごしている間は、本来麒麟が摂取することができない食生活をしており、さらには『魔性の子』劇中にあるように様々な血の穢れ、怨詛により蓬莱から戻って来た際は重い穢瘁にかかっていました。
穢瘁が回復に影響していることを、麒麟の侍医である文遠も話しています。

“「――角は麒麟の生命の源でございます。それを斬る、などと。しかも故国で病まれたのですか。穢瘁さえなければお怪我も治ったことでございましょうに」”
[2巻 7章 p37]

蓬莱にいる間はほとんど角の回復がなれず、泰麒の角の回復は蓬莱から戻ってきてからだと考えられます。
「黄昏の岸 暁の天」でも、本来麒麟の身体に障る食事によって、治癒を損なったと記述があります。

“泰麒の身体は、蝕と当面の治癒とで正気を使い果たしていた。だが、それでもなお、治癒は進んだはずだった。長い年月をかければ、角の再生さえ不可能ではない。本来ならば。”
[「黄昏の岸 暁の天」p149]

蓬山で穢瘁を治してもらい、その後は麒麟らしい食生活をして、少しずつ回復していたのではないでしょうか。
しかし、白圭宮に戻って間も無く阿選に腕を切られ、深手を負っています。

阿選に切られた腕の傷が治っていない時期は、角の回復も遅れていたのではないかと考えます。
泰麒は恵棟を州宰に任じた時点では、まだ片腕を不自由にしている様子が描かれています。
[2巻 11章 p305]

さらに、正頼救出(失敗)とその後の応酬で泰麒は諸々無茶をしています。
耶利と項梁による見張りの排除による血の穢れ、自らの手による兵卒への傷害、さらには阿選に誓約を強要され、目から流血するほどに無理に平伏したことなどです。
[3巻 16章 p226]

これらの行為も穢瘁や身体の不調につながり、ひいては角の回復の遅れになったのではないか、それゆえ段階的な回復となったのではと考えます。


【ネタバレ】泰麒の鬣は伸ばしていなかった?

2020-04-29 22:05:53 | くらし・趣味
※「白銀の墟 玄の月」のネタバレを含みますので、未読の方はどうぞ読了されてからご覧くださいませ

「白銀の墟 玄の月」において、泰麒の鬣が伸ばされていない様子に違和感を覚えたので考察してみます。
泰麒は鬣を伸ばしていなかったのでしょうか。

「風の海 迷宮の岸」では、鬣の短さについて女仙に指摘され、仕方なしといった感じで髪を伸ばす泰麒の様子が描かれています。
鬣を切ってもよいかと尋ねる泰麒に、転変した際にはまだまだ短いのだと説得される様子であるとか、
煩わしそうにしていた伸びた鬣を女仙に結んでもらう様子、
蓉可との別れの場面においても、鬣の短さを気遣う優しい会話など、
さらには挿絵でも、少しずつ伸びる泰麒の鬣の様子が丁寧に描写されています。

ほんの数ヶ月の間の話でここまで鬣の長さに拘って描かれていたにもかかわらず、「白銀の墟 玄の月」で描かれている鬣に関する場面はほとんど見当たりません。
ひとつは物語冒頭の園糸が泰麒の姿に痛々しさのようなものを感じている様子です。

“——変わった色の黒髪が切り詰められているからだろうか。これは世捨て人——でなければ、身近に大きな不幸があって、深い喪に服していることを意味する。”
[1巻 1章 p38]

もうひとつは、浹和によって髪を切り揃えられる場面です。

“今朝も泰麒の身繕いを手伝うと——泰麒は必要ないと言うのだが、浹和が聞かない——髪を切り揃えにかかっていた。”
[2巻 7章 p11]

その後は切り揃えながら伸ばしているのかも分からず、何の様子も描かれぬままです。
「風の海 迷宮の岸」ではあれほど丁寧に描かれていた鬣について、「白銀の墟 玄の月」ではほとんど触れられていないことに違和感を感じます。

私は、泰麒が髪を伸ばしている様子がないのは、麒麟の本性を失った、麒麟らしからぬところを装った偽装だったのではと思っています。

ただ、素直に解釈すれば、深い喪に服しているとするのが正しいのかもしれません。
「魔性の子」で多くの犠牲を出して蓬莱から帰還したばかりの泰麒が喪に服しているのは自然なことです。
しかし泰麒は常世でのそのような慣習を知っていたでしょうか。
常世に居たのは実際1年程で、その間にそういった慣習を知り得ていたか、いささか疑問です。

やはり喪に服す以外の理由であったのではないでしょうか。
阿選は泰麒の角が折れ、麒麟の本姓を失ったままであると確信しており、転変した泰麒に驚く様子が描かれています。

“阿選も腰を浮かせ、呆然とその光景を見つめた
——角は、ないはずだ。
かつて阿選は泰麒の角を斬った。ために転変もできず、使令も呼べない、そのはずだった。”
[4巻 24章 p388]

泰麒は阿選がそのように思っていることを逆手にとって、麒麟らしからぬ装いとし、阿選側の油断を誘うため、鬣を伸ばさないでいたのではないかと、そのように思えてならないのです。
もし泰麒の角が回復していることを阿選側に悟られていれば、さらに厳しい監禁が行われていたやもしれません。
穿ち過ぎでしょうか。

【ネタバレ】耶利が巌趙に託したものとは

2020-04-28 19:58:25 | くらし・趣味
耶利が巌趙に託したものとは何だったのでしょうか。
驍宗の弾劾の前日、巌趙との会話の中で、耶利は自分が泰麒を刑場に連れ出すかわりに、巌趙に何かを託します。

“耶利は巌趙の腕を掴んだ。
「あとを頼む」
巌趙は少しの間、無言で耶利の眼を見た。耶利は頷く。——察してくれ。
「……お前が為せばいい」
——「私にはほかに用がある」
「——用?」
——「誰かが台輔を主上のそばにお連れしなくてはなるまい」”
[4巻 23章 p356]

私は耶利が託したものは、琅燦の救出だったのではないかと考えます。

静かな静かな泰麒の告白を受けて、耶利は泰麒と運命をともにする覚悟をしています。
弾劾の場で主上に跪拝し、ともに亡くなる覚悟の泰麒の願いを叶えたいと、さらにはそれが妨げられそうなときには、自ら泰麒を手に掛ける覚悟を持っていることが伺えます。麒麟の威光の通じない黄朱でなければ、麒麟を害することができないと、これが自分の役割だと信じています。

”自分が護衛を斬り払って泰麒のために道を作る。そして万が一——何が何でも泰麒を捕らえようとする阿選の手が、泰麒の願いを妨げようとしたときには。
——たぶん、これは黄朱にしかできない。”
[4巻 23章 p356]

弾劾の混乱の後、巌趙は正頼を救出し、王師による追撃を防ぐためにその場に留まり、その後の消息が途絶えています。
耶利が託したものは正頼の救出だったのではとも思われました。
正頼の救出も泰麒が兼ねてから願っていたことであります。
かつて正頼救出に失敗し、その後の正頼の生死も分からず、泰麒が気にかけていることを耶利も感じていただろうと思われます。
しかし果たして耶利がそれをわざわざ巌趙に託したでしょうか。
耶利が願わずとも、同じく驍宗の麾下である巌趙の方が、むしろそれを願っていたのではないかと考えます。

巌趙とは利害が一致しない事柄で、耶利にとって重要なこと、それは耶利の主公の救出ではないでしょうか。
であるが故に、巌趙も「お前が為せばいい」と言ったのではないかと思われます。

漕溝への後退の際、墨幟たちは琅燦が計都に騎乗して追ってきたと思しき状況に遭遇します。
計都はその気性のため巌趙しか世話ができず、泰麒の大僕として就く前は厩番をしていました。
弾劾の際に同じく本殿にいた琅燦に、巌趙が計都を用立てることは可能だったと思われます。

弾劾の場で、驍宗が討たれれば、琅燦が宮城に留まる理由も無くなります。
また、耶利は刑場で泰麒と運命をともにする覚悟を持っているため、自身では琅燦を救出する手立てがないと思ったのではないでしょうか。
それ故に巌趙にそれを託したのだと考えます。

弾劾の場では、驍宗然り、驍宗を救おうとする人が皆、死を覚悟してその場に臨んでいたことが伺え、改めて胸が熱くなる場面だと思います。

【ネタバレ】タイトルの意味

2020-04-28 19:49:56 | くらし・趣味
十二国記の「白銀の墟 玄の月」
タイトルの意味を私なりに解釈してみたいと思います。

まず”白銀”とは
・銀のこと。
・銀の色、すなわち銀色。しろがね色。
・降り積もった雪を喩えて言う語
物語の中で白銀といえば驍宗の髪の色を連想するのではないでしょうか。
驍宗失踪の手がかりの切れた帯には、いぶし銀の細工が施されていたのも印象的です。
また作中では雪の情景も多く描かれています。

“墟”とは
・荒れた跡
・大きな丘
荒れた跡というと、函養山とその周辺の廃墟、半壊した仁重殿、轍囲など粛清された都市などが、
また大きな丘とは、函養山が真っ先に思い浮かびます。

“玄”とは
・黒い色。黒
・天
・老荘思想の根本概念。万物の根源としての道
・奥深くて微妙なこと。深遠な道理。
・陰暦九月の異名
・遊里で、医者のこと。また、多くの僧は遊里へ行く時に医者の姿をしていたことから、僧のこと。玄様
黒といって思い出されるのは、黒麒(泰麒)、羅睺、墨幟(幟の墨線)
天は麒麟、王宮などが連想されます。
僧という意味合いは弱いかもしれませんが、高卓や道観の僧達、白幟の巡礼が思い浮かびます。
9月とはまさに泰麒が帰還したのが9月でありました。

“月”とは
・地球をめぐる衛星。太陽の光を受けて地上の夜を照らす。特に詩歌では秋の月をいうことが多い。太陰
・天体の衛星
・暦の上での一か月
・月の光。月影 
・一か月。
・機の熟する期間

“白銀の墟”とは、驍宗の囚われている函養山、驍宗の不在の荒れた白圭宮、阿選に誅伐された轍囲などの廃墟、などが連想されます。
それぞれの苦しい状況から救いを求めて祈る姿が思い起こされます。

“玄の月”とは、深謀遠慮な泰麒の王宮からの光輝、驍宗が函養山の底で受け取っていた轍囲の民の月毎の供物など、解釈できるのではないでしょうか。
また月で思い浮かぶのが『乗月』での、国主に就くことを拒む月渓への青辛の言葉です。
"「陽が落ち、深い闇が道を塞いでも、月が昇って照らしてくれるものです」
「仮朝と偽朝と、二つしか呼び名がないのは不便です。王が玉座にある朝を日陽の朝だとすれば、王のいない朝は月陰の朝じゃないかな。月に乗じて暁を待つ——」"
[『乗月』p115]
玄の月とは、まさに、驍宗の帰還を待ちながら、泰麒が奮闘する月陰の朝ではないでしょうか。

函養山に囚われた驍宗や粛清された民の祈りと、それを救おうとする泰麒や、轍囲の人々(白幟)、墨幟を表しているのではないかと考えます。
囚われた者と、それを救おうとする者達が表現されている、壮大な物語を象徴するような、奥深いタイトルだと感じました。
「堪え忍ぶに不屈、行動するに果敢」という戴の民の気質が物語全体に通じていることを改めて思います。