白雉が落ちてはいないから

小野不由美先生著、十二国記の「白銀の墟 玄の月」(新潮社)のなぞを考察、ネタバレ含まれるため、未読の方はご遠慮のほどを。

【ネタバレ】(2)泰麒の角はいつ治っていたのか 妖魔の存在に気づくようになったのはいつ?

2020-03-18 22:12:03 | くらし・趣味
※「白銀の墟 玄の月」のネタバレを含みますので、未読の方はどうぞ読了されてからご覧くださいませ

泰麒は突然の不調以降、その後過渡的に角が回復したのではないかと、先のブログで考察いたしました。
泰麒が周辺の妖魔の存在に気づいていたと思われる様子からも、角の回復の様を考察してみようと思います。

突然の不調の後、泰麒は黄袍館の後院の路亭へ日々出向いては留まっています。
これは阿選の放った次蟾(妖魔)の存在に気づけるようになった証左でないかと考えます。

泰麒は路亭に火壺を持ち込んでまで、徳裕を付き添いにして路亭に佇んでいる様子が描かれています。
[2巻 9章 p187]

項梁は路亭に留まる泰麒に、眺望が気に入ったのだろうかと思っている様子が描かれています。

”王宮でも雪が降ろうかというこの季節、いかにも寒々しい場所だと思うのだが、眺望が良いのが気に入ったのだろうか。路亭に登れば東に隣り合う庭園が足許に広がる。南北を見れば雲海に臨んだ美しい入り江、北を臨むと広大な王宮の最奥までの様子が見て取れた。”[2巻 9章p187]

寒い屋外で留まる泰麒の身体を気遣う項梁に対し、泰麒は黄袍館では息が詰まると返答しています。

"「下はなんだか息が詰まるんです」"[2巻 9章p189]

外出もままならず、間諜も出入りしている環境では、いくら寒い中とはいえ外に留まるのは無理もないことなのかもしれません。しかし、寒さ募る折(極寒の戴国において)長く屋外に留まるという、突然の不調以降のこの泰麒の行動は不可解です。

これは妖魔のいる黄袍館から徳裕を遠ざけ、病の進行を抑えようとする意図を感じます。

泰麒が次蟾と病の直接的な関係に気づいていたかは不確かなものの、項梁との会話の中で病に関する内容が語られており、麒麟がそばにいることで症状が和らぐことに気づいています。

"「徳裕もそうでした。そばにいると、少し状態が良くなる。そしてそばを離れて夜を過ごすと悪くなるのです。あの病は夜に悪化し、麒麟を嫌うのかもしれません」"
[3巻 13章 p20]

驍宗様の王気に少しでも近いところに居ようとしたのでは、とも考えられますが寒い中、徳裕も連れ立って長時間というのはやはり違和感があります。
それゆえ突然の不調の後のこの行動から、王気を感じる事以外に泰麒自身に何らかの変化があったと考えるべきはないでしょうか。

また泰麒は妖魔の存在に気づいた一方、その時点では未だ妖魔を使令に下せるほどには、角は治っていなかったのではないかと考えます。

琅燦は弾劾の場で泰麒の角が癒えていたことに驚き、どこかの時点で治っていたと推度しています。

"――周辺には次蟾が跋扈していたのにそれに気付いている様子もない。""――どこかの時点で、泰麒は治っていた。それを今日まで隠していた。"[4巻 24章 p388]

泰麒の角の回復は完全ではなかったと考えていますので、初めの頃は次蟾を使令に下すことはできなかったのかもしれません。
その後、泰麒の憂鬱が深まる様は、もしかしたら指令に下すことのできる力が回復した中、妖魔を排除できないジレンマに苛まれていたのではないか、というのは穿ち過ぎでしょうか。

指令に下せる力が回復したものの、妖魔を排除してしまうと角が治っていることを阿選に気づかれてしまう、そのことを恐れ排除できなかったのではないでしょうか。
麒麟の本性を失ったままだと確信している阿選の誤解を解かない方が、阿選の油断を誘うことができると思ったのかもしれません。

泰麒の憂鬱そうにふさぎ込むことが増えた、というくだりは、民の救済が一向に進まないことに対してだけでなく、妖魔を排除できないことに対しても悩んでいたのではないでしょうか。
もし次蟾と病の関係に気づいていたとしたら、目の前で病の症状が進む徳裕たちを見るにつけ、泰麒の迷いは大きかったのではないかと思うと、とても辛いです。


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