白雉が落ちてはいないから

小野不由美先生著、十二国記の「白銀の墟 玄の月」(新潮社)のなぞを考察、ネタバレ含まれるため、未読の方はご遠慮のほどを。

【ネタバレ】タイトルの意味

2020-04-28 19:49:56 | くらし・趣味
十二国記の「白銀の墟 玄の月」
タイトルの意味を私なりに解釈してみたいと思います。

まず”白銀”とは
・銀のこと。
・銀の色、すなわち銀色。しろがね色。
・降り積もった雪を喩えて言う語
物語の中で白銀といえば驍宗の髪の色を連想するのではないでしょうか。
驍宗失踪の手がかりの切れた帯には、いぶし銀の細工が施されていたのも印象的です。
また作中では雪の情景も多く描かれています。

“墟”とは
・荒れた跡
・大きな丘
荒れた跡というと、函養山とその周辺の廃墟、半壊した仁重殿、轍囲など粛清された都市などが、
また大きな丘とは、函養山が真っ先に思い浮かびます。

“玄”とは
・黒い色。黒
・天
・老荘思想の根本概念。万物の根源としての道
・奥深くて微妙なこと。深遠な道理。
・陰暦九月の異名
・遊里で、医者のこと。また、多くの僧は遊里へ行く時に医者の姿をしていたことから、僧のこと。玄様
黒といって思い出されるのは、黒麒(泰麒)、羅睺、墨幟(幟の墨線)
天は麒麟、王宮などが連想されます。
僧という意味合いは弱いかもしれませんが、高卓や道観の僧達、白幟の巡礼が思い浮かびます。
9月とはまさに泰麒が帰還したのが9月でありました。

“月”とは
・地球をめぐる衛星。太陽の光を受けて地上の夜を照らす。特に詩歌では秋の月をいうことが多い。太陰
・天体の衛星
・暦の上での一か月
・月の光。月影 
・一か月。
・機の熟する期間

“白銀の墟”とは、驍宗の囚われている函養山、驍宗の不在の荒れた白圭宮、阿選に誅伐された轍囲などの廃墟、などが連想されます。
それぞれの苦しい状況から救いを求めて祈る姿が思い起こされます。

“玄の月”とは、深謀遠慮な泰麒の王宮からの光輝、驍宗が函養山の底で受け取っていた轍囲の民の月毎の供物など、解釈できるのではないでしょうか。
また月で思い浮かぶのが『乗月』での、国主に就くことを拒む月渓への青辛の言葉です。
"「陽が落ち、深い闇が道を塞いでも、月が昇って照らしてくれるものです」
「仮朝と偽朝と、二つしか呼び名がないのは不便です。王が玉座にある朝を日陽の朝だとすれば、王のいない朝は月陰の朝じゃないかな。月に乗じて暁を待つ——」"
[『乗月』p115]
玄の月とは、まさに、驍宗の帰還を待ちながら、泰麒が奮闘する月陰の朝ではないでしょうか。

函養山に囚われた驍宗や粛清された民の祈りと、それを救おうとする泰麒や、轍囲の人々(白幟)、墨幟を表しているのではないかと考えます。
囚われた者と、それを救おうとする者達が表現されている、壮大な物語を象徴するような、奥深いタイトルだと感じました。
「堪え忍ぶに不屈、行動するに果敢」という戴の民の気質が物語全体に通じていることを改めて思います。


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