愛王亭の業務日誌

愛王亭のアマチュア無線とパソコンの日誌です。
JA8IOTのBLOG

JE8NHD 松崎さん

2007年07月22日 | 各局紹介

JE8NHD松崎さんのシャックにおじゃましてきました。 OMは、教師のCMをリタイアされ、XYLさんのJE8SHMとアクティブなハムライフを過ごされています。JAGで活動され、各種コンテストに参加されています。JARL渡島檜山支部のコンテストでは、奥様が固定で運用するので、移動をされています。アンテナは、クリエイトの218Hをメインに、144MHZMHZヤギスタック、50MHZの6ELを上げています。WORKバンドの周波数も、218Hで使えるそうで、最近はWORKバンドにもQRVしています。奥様はJALSのメンバーでもあります。
モータは、電動でクランクアップします
各種コンテストの楯がずらりと並んでます
アンテナからの引き込みは、このように処理されています。やはり気になりますね。
サブのVUHF無線機も、ごろごろしています
登山も趣味にしています

パソコンは、2台あります。

 


JA8EUT 野田さん

2007年07月19日 | 各局紹介

JA8EUT

 JA8EUT 野田さんは、マイクロウェーブを中心にハムライフを楽しんでおられます。 シャックは、マイクロ関係のパーツ、測定器、無線機で足の置く隙間がないほどでして、その様子は、まさに圧巻そのものです。自他共に認める渡島檜山を代表する自作派でして、野田さんのシャックを見ていると、なにかしら嬉しくなってしまいます。 全国の仲間と連携をとり、「全国一斉(縦断)マイクロ波移動運用会」に積極的に参加していまして、マイクロウェーブでのDxを模索されています。編集子は、横津岳の移動実験に、おじゃましたことがありましたが、技術力を駆使した移動の様子は、アマチュア無線の「パイオニア精神」を見せていただき、感銘を受けました。 高い周波数に”挑戦”していく野田さんの、ますますのご活躍を期待しています。



最期の鉱石検波器  JA8OW谷本さん

2007年07月14日 | 各局紹介

  最期の鉱石検波器
JA8OW谷本
写真は鉱石検波器である。大きさは並べたボールペンの先
と比べて、どの位のものか判ると思う。
日本でラジオ放送が始まってから、鉱石ラジオも使われた。
中でも、方鉛鉱を使った、鉱石検波器が長い間使われた。
形も変わり、大きさもどんどん小さくなって、使いやすいもの
変わってったが、これが最期の形ののものである。
FOXTONという日本の会社の製品で、FT-2という形式
名がついている。
両端の金属部が接続用の電極で筒の中には、コイルスプリ
ングと方鉛鉱の小さな結晶である。
この小さな直径2m位の結晶を片方の電極に押し付ける。
一種のポイントコンタクトダイオードである。
この形式のものはコンタクトポイントを変えるため、そして検波性能の一番良いところを探るため、スリットがある。このスリットからドライバー等の先で石をつついて接触している点を変えるのである。
しかし、たいていは、この鉱石検波器自体をホルダーから取って、机でトントン(時にはバシツ!)と叩いて感度の良くなるところを探して使った。

(2)ゲルマニュームダイオード
アメリカでゲルマニウムダイオードが発明されて数年が経とうとしていた1952年頃、この鉱石検波器は20円位のものであった。IN34というゲルマニウムダイオードを探して函館市内のあらゆるラジオ屋、電機屋、電気店を回ったところ、その名前をしている店が3店、その内、現物をおいて売っている店が2店であった。その内の1店は当時、棒二森屋内で電気製品を扱っていた藤山さん(故 JA8AG)の所である。但し値段は1個 安いものでも1000円以上で、小使いが月にせいぜい50円位の貧乏ラジオ少年には、手が出なかった。

(3)ラジオの話
空襲警報を聞いた国民型ラジオが残っていて家の中心にあった。それはNHKしか放送しかなかったものなのに、民放が始まると少しばかり、モダンな感じの番組を流すとそちらの受信が多くなる。
一家にとって、2台目のラジオを年端も行かぬ少年が作って楽しむことが、この鉱石検波器でできるようになったのである。
しかし、時の流れは速くこの直後1年か2年でゲルマニウムダイオードやトランジスタが大量に出回るようになり、真空管が極めて安くなった。
そして、この写真の形式の方鉛鉱、鉱石検波器はあっという間に姿を消したのである。
(4)宝物 発見!
最近、物置を整理していたところ、思いもかけず、
この鉱石検波器が転がり出てきた。
約50年の再開であった。古い、古い鉱石検波器
フォックストンの名も読める。見かけは悪いし、も
ちろん性能も悪い。しかし私のアマチュア無線の
原原点である。私にとって、心の中では永遠の宝物
である。


JA8NBN 浜田さん

2007年07月12日 | 各局紹介
  

鉱石ラジオからハムライフへ半世紀
JA8NBN
昭和23年頃、中学生の私はどうも引きこもりの性格の手伝って、科学的な遊びが好きで、そのひとつのラジオ作りに入っていったようです。時代からいって、もののない時だっただけに、どうして部品を調達したのか、いまだに記憶がありませんが、函館市内か東京の科学教材所だったようです。
スパイダーコイル、エナメル線、鉱石検波器(方鉛鉱の半導体でフォックンが主流・・・・)とエンパイヤチューブ、そしてレシーバとアンテナがあれば、NHKの放送が聞こえたものです。時間を忘れて組み立てことがいろいろと思い出されます。
 その後0V1、1V1、5球スーパー・・・・・、5・12A・12F・6WC5・6C6・6ZP1・etc・・・・・並べるだけで、懐かしいです。
 
971年(S46)、電話級を取得して32年になろうとしています。OMの方々のアドバイスもあってQRTもせずハムライフを歩いてきました。ふと気がつくと、定年退職して7年目、第一の趣味として「絵画」が少し超えて?しまったようです。おかげさまで、暇ない過ごして・・・・・・・でもアマチュア無線を改めて見直してみたいと、昨年末にOMさんの協力をいただき。シンプルですがHFのビームANT(以前はDP)をあげることができました。DXが10Wでもできることを実感!  おそまきながらいま、1ランクUPのライセンスを考えております。
初めは遠くの局との交信が夢だったのですが、アマチュア無線技師なのですから、交信だけでなく昔の気持ちになって、半田ごてやら、テスターなどを握ってみるのも、一考で新しいハムライフを発見するのではと。いまは、不安定な時間の流れておりますが、せめて趣味などを通じて、生活を湯やかにできれば・・・・・・・
 
浜田さんの絵画
【編集者注】
浜田さんは、絵では超有名人でして作品は、各展覧会へ出展。北海道新聞等で掲載されている。北海道新聞社から本を2冊出版されました。
【本の概要】
函館っ子の表情や息遣い、心意気を伝える113話。「函館新聞」、「みなみ風」に好評連載した界隈シリーズを一冊にまとめた。それぞれに画家笠島芳朗、浜田昌夫、佐野忠男三氏のスケッチが彩りを添え、函市のマップとユーモラスな人物イラストも一層本を明るく華やかにしている。登場する市民はゆうに三人を超える。
 

JA8KFJ せたな町 桜井さん

2007年07月12日 | 各局紹介
北桧山のJA8KFJ桜井さんのお宝は、SSTVの基盤です。 九州のSSTVのグループから入手したSC801という基盤を利用して、すべてTTLチップで構成されているというもので力作のスキャン・コンバーダー。 部品はすべて、1個1個 通販で調達し、全部揃えるのに、相当に苦労したそうです。まずロータリースイッチの回路が3段5接点となっており、なかなかあうものがなく、雑誌「トランジスタ技術」隅から隅までの広告を探しようやく探しましたそうです。
ケースも基盤にあう、ちょうどいいケースがなく、ステレオ用のものを鈴蘭堂から通販で取り寄せたこと、水晶はあうものが入手できず特注品、また電源部は+−12V +-5Vの電源トランスが調達できず、ようやの思いで、インベータゲームの電源部を入手し流用したそうです。 目標は、メーカー製品と遜色のないようにデザインには、少々凝ったということで、実際にケースに各パーツを収めてアンプのような仕上がりのようになり、満足しているとのことです。
ハンダづけは、かなり細やかな作業が要求され、細いハンダを買って慎重に作業したものの、動作せず、部品数、ICが、100個、コンデンサ100個、抵抗100個という代物。トラブル対策には相当の労力が予想されるため、ガックリしたそうです。 しかし、ここで諦めてはと奮起し、シンクロスコープで1カ所1所を波形のチェックをしながら、ようやく原因が判明、目に見えない程の半田の“糸”がショート、状態となっていました。まさに、根気との勝負でしてこの“糸”を取り除き、ようやくの思いで完成。 苦労の連続で、はじめて画像を見た時は、ラジオを初めて作った時以来の感動で、思わず寝ている家族を起こしたそうです。 レディメイドでは、味わえない当時の最新デジタル技術を集合したこの装置は、ハムライフで忘れることのできない機器となったそうです。 最近は電波はあまりでないものの、常にチャレンジ精神アマチュアスプリッツを忘れることなく末永くハムライフを楽しむというOM、今後の活躍に期待です。
 

各局紹介 JA8QKW

2007年07月07日 | 各局紹介
JA8QKW
山田OM
JA8QKW山田さんは、元プロの通信士でモールス信号を扱っていました。現在はリタイアなさっています。アマチュア無線でも、CW中心に各周波数をアクティブに運用しています。ご自宅に行って、まず驚くのは、クリエイトタワーKT18Rの上に鎮座するログペリアンテナで、重量は、半端な重さではなくでなく、建設にあたっては、その重量さゆえにクレーンを用いて設置したそうです。一昨年の台風では、被害をこうおむったそうで、以来、強風の際には、アンテナを低く降ろしていても心配だそうです。シャックは、まさにハムの部屋でして、パーツやジャンク、無線機に囲まれており、この風景は”感動”でした。氏は、ジャンク集めも上手で短時間にあっという間に、”お宝”をゲットします。無造作に置かれている物品は、マニアには垂涎の的です。
ログペリは、QKWさんの代名詞  得意分野のモールス信号
業務用無線機の数々、バーニアダイヤルの自作機も見られる。 こちらは、業務用無線機や、懐かしい高一中二スーパ、トリオの9R59等
各種アンテナの切替器、これだけの本数を切り替えるのは圧巻です。 P220という送信管は、やはり大きい 送信所廃止の際に譲り受けた
DXをゲットしたモータ制御、SWR計をスポットが照らす 科学の祭典にて、子供達にゲルマニウムラジオ作りをレクチャーする山田さん

ja8enx

2007年07月07日 | 各局紹介

古きよきダイヤル                             


                                       JA8ENX 熊谷    


ハムを始めたのはラジオが好きだったからです。私が小学生低学年のころ家にあった5球スーパー(と思われる)の横長ダイヤルが、思えば最初のダイヤルとの出会いでした。 やがて、小学校高学年になり、我が家にもようやくテレビが来て、「ハローCQ」という番組を夢中で見ていました。番組中に出てくる通信機にあこがれていた思い出があります。中学生となり0-V-1と呼ばれる真空管1本の再生式受信機を作ってSWLを始めましたが、このときのダイヤルはバーニアダイヤルで等分目盛りのため今どこの周波数を聞いているのかちっとも判らないものでしたが、それでも見た目が少し通信機らしくなって悦にいって局まで使っていました。そうしているうちにトリオの9R59Dを借用することが出来ました。今と違って受信周波数はかなりアバウトなものでしたが7メガヘルツのハムバンドがスプレッドダイヤル一面に広がり、ゆっくりとダイヤルを見ながら回してゆく感じが心地よく、夜な夜なワッチしたものでした。


初めて本格的通信型受信機に触ることが出来た感激は今でも忘れることができません。 今から約16年前、最初の息子が生まれたときに夢にまで見たあの憧れのコリンズ社KWM-2を手にしました。こ機械は今から30年以上前に製作されたものですが、今でも充分通用する性能を有しており、日本でもかなりのコリンズファンが現用装置として運用しています。なかでも何よりそのダイヤル。つまみと一体デザインのダイヤル目盛りはその後の各社のモデルとされ、1KHzがメインダイヤル直読でしかも正確、当時としては画期的な0.5KHzオーダーでの待ち受け受信可能です。ダイヤルつまみを回したときの感触、そして暖かなダイヤル照明、どれをとっても筆舌に尽くしがたく私にとって究極のものです。


 


 


 


 


 


デジタル全盛の今、アナログに戻れとはいわないが、デジタルつまみをいくら回してもロータリースィッチを回している気にしかならないのは私だけでしょうか。 ダイヤルに灯る暖かい火を見ながら7MHzのざわめきに耳をすましグラスを傾ける。そんな時を過ごすのが至福のひと時なのです。  


各局紹介 JA8ABG 大島OM

2007年07月02日 | 各局紹介

JA8ABG 大島OM 北海道八雲町

BLOGに、北海道渡島檜山のアマチュア無線家を紹介させていただきます。内容は、ご自身で書かれた記事や、私が取材したものをupします。

はじめに、私のアマチュア無線の”師匠”でもあるJA8ABG大島さんです。中学の時にお世話になり、ハンダづけにはじまり、真空管ラジオや無線機などを教えていただきました。OMは、測定器も自作なされていました。では、大島OMの記事です。

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私にとっての、アマチュア無線の“お宝”は、東京での貧乏だった学生時代に、製作した高一中2(高校1年、中学2年ではありません。Hi)の受信機です。

構成の基本は、高周波増幅1段+中間周波数2段で、CW用に中間周波を50Khzで、プリセレも内臓し、真空管17本を使っています。ちょう松下電器がアマチュア用のコイルを販売した年に作成し、この受信機を見ると、当時 苦学生をしながらアマチュア無線をしていた頃の様子が懐かしく思い浮かびます。  苦労した点は、真空管を入れすぎた為に発熱で温度が上昇し、局部発信器がずれ、対策としてケースを開けて運用しました。Hi 今では、簡単に入手できるファンも当時は難しかったのです。

 

 

 

 

 

  メインダイヤルは10:1で国産品を用いましたが、バリコンの羽根を抜くなどしてブロードにダイヤルできるよう調整を行いました。 コンパクトなケースに収納した受信機は、シャーシを“コ”の字型にし、真空管を横に配置し、またツマミを2連してスイッチまでも自作するなどして、いかに小型化するか配慮しました。これを見た何人かが「是非、譲って欲しい」と申し出であり、泣く泣くQSYしました。

 左は、開局当時のシャックの写真でして、全て自作でオンエアーしていました。

開局当初は、このような装置            最近、オーディオの装置にも囲まれています。

 

このような、受信機も制作しました。最近は、アンテナを上げて、細々と運用していますが、トランシーバの調子が悪く、アクティブティが下がっています。