JA8EUT 野田さんは、マイクロウェーブを中心にハムライフを楽しんでおられます。 シャックは、マイクロ関係のパーツ、測定器、無線機で足の置く隙間がないほどでして、その様子は、まさに圧巻そのものです。自他共に認める渡島檜山を代表する自作派でして、野田さんのシャックを見ていると、なにかしら嬉しくなってしまいます。 全国の仲間と連携をとり、「全国一斉(縦断)マイクロ波移動運用会」に積極的に参加していまして、マイクロウェーブでのDxを模索されています。編集子は、横津岳の移動実験に、おじゃましたことがありましたが、技術力を駆使した移動の様子は、アマチュア無線の「パイオニア精神」を見せていただき、感銘を受けました。 高い周波数に”挑戦”していく野田さんの、ますますのご活躍を期待しています。
鉱石ラジオからハムライフへ半世紀
JA8NBN | |
昭和23年頃、中学生の私はどうも引きこもりの性格の手伝って、科学的な遊びが好きで、そのひとつのラジオ作りに入っていったようです。時代からいって、もののない時だっただけに、どうして部品を調達したのか、いまだに記憶がありませんが、函館市内か東京の科学教材所だったようです。 |
スパイダーコイル、エナメル線、鉱石検波器(方鉛鉱の半導体でフォックンが主流・・・・)とエンパイヤチューブ、そしてレシーバとアンテナがあれば、NHKの放送が聞こえたものです。時間を忘れて組み立てことがいろいろと思い出されます。
その後0V1、1V1、5球スーパー・・・・・、5・12A・12F・6WC5・6C6・6ZP1・etc・・・・・並べるだけで、懐かしいです。 |
山田OM | JA8QKW山田さんは、元プロの通信士でモールス信号を扱っていました。現在はリタイアなさっています。アマチュア無線でも、CW中心に各周波数をアクティブに運用しています。ご自宅に行って、まず驚くのは、クリエイトタワーKT18Rの上に鎮座するログペリアンテナで、重量は、半端な重さではなくでなく、建設にあたっては、その重量さゆえにクレーンを用いて設置したそうです。一昨年の台風では、被害をこうおむったそうで、以来、強風の際には、アンテナを低く降ろしていても心配だそうです。シャックは、まさにハムの部屋でして、パーツやジャンク、無線機に囲まれており、この風景は”感動”でした。氏は、ジャンク集めも上手で短時間にあっという間に、”お宝”をゲットします。無造作に置かれている物品は、マニアには垂涎の的です。 |
ログペリは、QKWさんの代名詞 | 得意分野のモールス信号 |
業務用無線機の数々、バーニアダイヤルの自作機も見られる。 | こちらは、業務用無線機や、懐かしい高一中二スーパ、トリオの9R59等 |
各種アンテナの切替器、これだけの本数を切り替えるのは圧巻です。 | P220という送信管は、やはり大きい 送信所廃止の際に譲り受けた |
DXをゲットしたモータ制御、SWR計をスポットが照らす | 科学の祭典にて、子供達にゲルマニウムラジオ作りをレクチャーする山田さん |
古きよきダイヤル
JA8ENX 熊谷
ハムを始めたのはラジオが好きだったからです。私が小学生低学年のころ家にあった5球スーパー(と思われる)の横長ダイヤルが、思えば最初のダイヤルとの出会いでした。 やがて、小学校高学年になり、我が家にもようやくテレビが来て、「ハローCQ」という番組を夢中で見ていました。番組中に出てくる通信機にあこがれていた思い出があります。中学生となり0-V-1と呼ばれる真空管1本の再生式受信機を作ってSWLを始めましたが、このときのダイヤルはバーニアダイヤルで等分目盛りのため今どこの周波数を聞いているのかちっとも判らないものでしたが、それでも見た目が少し通信機らしくなって悦にいって局まで使っていました。そうしているうちにトリオの9R59Dを借用することが出来ました。今と違って受信周波数はかなりアバウトなものでしたが7メガヘルツのハムバンドがスプレッドダイヤル一面に広がり、ゆっくりとダイヤルを見ながら回してゆく感じが心地よく、夜な夜なワッチしたものでした。
初めて本格的通信型受信機に触ることが出来た感激は今でも忘れることができません。 今から約16年前、最初の息子が生まれたときに夢にまで見たあの憧れのコリンズ社KWM-2を手にしました。こ機械は今から30年以上前に製作されたものですが、今でも充分通用する性能を有しており、日本でもかなりのコリンズファンが現用装置として運用しています。なかでも何よりそのダイヤル。つまみと一体デザインのダイヤル目盛りはその後の各社のモデルとされ、1KHzがメインダイヤル直読でしかも正確、当時としては画期的な0.5KHzオーダーでの待ち受け受信可能です。ダイヤルつまみを回したときの感触、そして暖かなダイヤル照明、どれをとっても筆舌に尽くしがたく私にとって究極のものです。
デジタル全盛の今、アナログに戻れとはいわないが、デジタルつまみをいくら回してもロータリースィッチを回している気にしかならないのは私だけでしょうか。 ダイヤルに灯る暖かい火を見ながら7MHzのざわめきに耳をすましグラスを傾ける。そんな時を過ごすのが至福のひと時なのです。
JA8ABG 大島OM 北海道八雲町
BLOGに、北海道渡島檜山のアマチュア無線家を紹介させていただきます。内容は、ご自身で書かれた記事や、私が取材したものをupします。
はじめに、私のアマチュア無線の”師匠”でもあるJA8ABG大島さんです。中学の時にお世話になり、ハンダづけにはじまり、真空管ラジオや無線機などを教えていただきました。OMは、測定器も自作なされていました。では、大島OMの記事です。
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私にとっての、アマチュア無線の“お宝”は、東京での貧乏だった学生時代に、製作した高一中2(高校1年、中学2年ではありません。Hi)の受信機です。
構成の基本は、高周波増幅1段+中間周波数2段で、CW用に中間周波を50Khzで、プリセレも内臓し、真空管17本を使っています。ちょう松下電器がアマチュア用のコイルを販売した年に作成し、この受信機を見ると、当時 苦学生をしながらアマチュア無線をしていた頃の様子が懐かしく思い浮かびます。 苦労した点は、真空管を入れすぎた為に発熱で温度が上昇し、局部発信器がずれ、対策としてケースを開けて運用しました。Hi 今では、簡単に入手できるファンも当時は難しかったのです。
メインダイヤルは10:1で国産品を用いましたが、バリコンの羽根を抜くなどしてブロードにダイヤルできるよう調整を行いました。 コンパクトなケースに収納した受信機は、シャーシを“コ”の字型にし、真空管を横に配置し、またツマミを2連してスイッチまでも自作するなどして、いかに小型化するか配慮しました。これを見た何人かが「是非、譲って欲しい」と申し出であり、泣く泣くQSYしました。
左は、開局当時のシャックの写真でして、全て自作でオンエアーしていました。
開局当初は、このような装置 最近、オーディオの装置にも囲まれています。
このような、受信機も制作しました。最近は、アンテナを上げて、細々と運用していますが、トランシーバの調子が悪く、アクティブティが下がっています。