上海下町写真館2014

ブログを始めて17年目、今でも多くの皆様が訪問していただけるので、できるだけ続けていきたいと思っています。

初秋の長門紀行(5):「松陰墓地」に参る

2014-10-21 06:00:00 | 国内旅行
1.松陰墓所に立つ吉田松陰の像
弟子の金子重之輔を従え、ペリー艦隊を見つめる姿だそうです。

2.松陰墓所の説明


「二十一回猛士」は生家の「杉」の字を「十、八、三」として足し、二十一となることから。

3.一族門下生たちと供に眠る


松陰生誕地の近くに一族の墓があります。

4.久坂玄瑞の墓


1840年藩医の三男として誕生。
16歳九州遊学の際、熊本の宮部鼎蔵に松陰に従学することを強く勧められ、帰着するとすぐ松陰に激烈な攘夷論の手紙を書き入門を嘆願します。
松陰は彼の才能を愛し妹「文」を15歳で久坂玄瑞に嫁がせていますが、玄瑞は1864年の長州藩暴発「蛤御門の変」で自刃しました。
享年25歳。

5.吉田松陰の墓


1859年江戸で刑死。享年29歳。
松陰の死後100日目に遺髪を埋めた墓とされています。
罪人のため墓碑には松陰の名は刻まれませんでしたが、門人たちの名が墓前に堂々と刻まれています。

墓前の楓の根が墓を傷つけるので、もうすぐ改装され、遺髪が確認できるかもしれないそうです。

6.高杉晋作の墓


騎兵隊など諸隊を創設し、長州藩を討幕へと方向付けました。
「高杉晋作」が上海で購入した拳銃が「坂本龍馬」に贈られたとの逸話が残っています。
1867年肺結核で病死。享年27歳。

7.吉田松陰生誕の地


生家は城下のはずれ、小さな家だったのでしょう。

8.松蔭の丘より萩城下を望む


城下町と城のあった指月山が一望できます。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

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